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気になるア・イ・ツ その8 [SKYLINE]

現在、両膝の痛みに襲われて、歩くのもやっとな状況の銀狼でございます^^;


火曜日の夕方から、左ひざに謎の痛みが・・・
全く原因が判りません 単に歳のせい?(汗)

その最中、ある飲食店のデザインコンペに参加するため、
居抜物件の現地調査に出向いた際、置いてあった什器に右ひざを強打し悶絶・・・(´Д`;)

どっちも痛くてビッコひいて歩きたいのですが、
どっちをビッコひいていいのか判らなくなってます(爆)





な~んて、相も変わらずおバカな日々を過ごしておりますが、
ある意味膝の痛み以上に衝撃的なこともありましてねぇ。。。




商用のため、岩見沢という街にいた私
札幌から旭川方面に向かって車で約1時間の距離です

一仕事終えて、駐車場に停めてあった我が相棒に向かって歩いていた時、
通りがかりの男子小学生が私の相棒を見て、一緒にいた母親にこう叫んでおりました。



「お母さん!見て見て!スカイラインだよ!カッコイイ!」



『やるなぁ、坊主よ!幼いながらにこの車の良さが判るとは。。。
将来はきっと大物になるぞ!』


などと心の中でつぶやきながら、我が相棒に颯爽と乗ろうとした時・・・







「やっぱカッコイイよね!古いスカイラインは!」



・・・orz




えぇ、どうせ古いですよ!私の相棒は!(号泣)


などと心の中で毒づいていたのですが、ふと思ったことが・・・


『あの子は多分小学5~6年生くらい。
だとすると、我が相棒はあの子が生まれる前に発売されたんだよなぁ・・・(汗)』
私の相棒は平成11年式ですから、もう15年落ちです





ま、そりゃあ古いって思うのもしゃあないね!と妙に納得(笑)


納得したついでに開き直って、それをネタにしてしまえと思った次第でございます^^;


てなわけで、私が好きな車について勝手に述べる
「気になるア・イ・ツ」シリーズの第8弾をお送り致しませう~^^



私の相棒は中途半端に古いわけですが、
更に古いスカイラインと言いますか、ここからスカイラインの輝かしい歴史が始まったのだ!
という1台をご紹介することに致しましょう^^




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毎々こちらにご来訪頂いている男性の皆様方には説明不要ですね^^


プリンススカイライン(S50型)でございます^^



1957年 富士精密工業(後にプリンス自動車に改称)が初代スカイラインを発表。


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高級感溢れるデザインと当時としては高い走行性能で話題となりましたが、
爆発的な売れ行きまでには至らず。
販売価格が高かったせいもあったのでしょうか
何と1900ccエンジンを積んだ試作車は、当時の皇太子(今上天皇です)の愛車ともなったそうです。



その後1963年、プリンス自動車は小型ファミリーセダンというスタンスで
今回の本題となる2代目スカイライン(S50型)を発表致します。

ファミリーセダンとはいうものの、高い技術力で評価を受けていたプリンス自動車が作った車です。
走行40,000kmまたは2年間保証付の封印エンジンなどメンテナンスフリー化を推し進め、
またしても大きな話題をさらいました。



そして、翌年の1964年

ついにスカイラインの伝説が幕を開ける事となるのです。。。



自動車業界の活性化に伴い、国内各メーカーのモータースポーツ参戦が本格化するのですが、
プリンス自動車もこのS50型スカイラインで当時の日本グランプリ優勝を目論みます。

そのためにプリンス自動車がとった策が、
上級車種であったグロリアスーパー6に搭載している直列6気筒OHC1,988ccのエンジンを
直列4気筒1,500ccがベースであったスカイラインに無理やりぶち込むというモノ^^;

ノーズを200mm長くしてウェーバーキャブ3連装で武装した6発のエンジンを搭載し、
レース用のホモロゲーションをとるためにスカイラインGT(S54‐Ⅰ)として100台を発売するのです。



そして、同年5月に行われた第2回日本グランプリにて
車好きの方々にはなんまら有名なあのシーンが展開されることとなります。。。





スカイラインが参戦したのはGT‐Ⅱというクラス

ようやくレース参戦に乗り出したばかりの国内各メーカーの前に立ちはだかるのは
レーサー式場壮吉が個人購入してまで駆る”あの”ポルシェ904カレラGTS
ポルシェの参戦にはトヨタが一枚噛んでいるという黒い噂もありましたが・・・


レース用に作られた904カレラと市販車ベースのスカイラインでは差は歴然としている

・・・と思われていたのですが、



なんと7週目に生沢徹が駆るスカイラインがポルシェを抜き、
トップで鈴鹿のバックストレートに現れたのです!
まぁ、ポルシェがトライアンフのスピンに巻き込まれたっちゅうラッキーもあったのですが


最終的にはポルシェに抜かれ優勝をさらわれてしまうのですが、2位~6位をスカイラインが独占
一瞬でもポルシェを抜いた生沢さんは3位でした




あのポルシェを抜いたスカイラインに乗りたい!

こんな評判がたって、100台はあっという間に完売!


「スカイラインGTが欲しいんだよぉ~!」という声が後を立たず、
こんな車売れるわけねぇだろう~、なんてタカを括っていたプリンス自動車が慌てる事に^^;


そこで、当時のプリンス自動車役員であった村田滋氏が会社に強く働きかけ、
少量生産での発売に漕ぎ着ける事となります。


翌年1965年2月に
レース仕様と同じく、ウェーバー3連キャブを搭載したスカイラインGT(S54‐Ⅱ)が発売

最高出力125馬力は当時では凄い数値だったのですが、何せレース車両がベースとなっていたため、
ちょいと手を加えるだけで190馬力以上を搾り出すことが出来るというバケモノに^^;


同年9月にはウェーバーキャブが1基だけ搭載された廉価版のGT-Aも追加発売
(ウェーバー3連Ver.はGT-Bと改称)

手軽に速いスカイラインを楽しめるように・・・

という理由ではなく、あまりの反響の多さで車が予想以上に売れてしまい、
ウェーバーキャブを確保するのが大変になってきたからというのが実状だったんですよね(笑)



その後1966年にはプリンス自動車が日産に吸収合併されてしまう事となり、
「日産プリンススカイライン」へ改称。

1968年にはC10型(いわゆる箱スカ)にモデルチェンジを行い
「日産スカイライン」となってからも人気は衰えるどころか更に爆発。
日本を代表するスポーツセダンとして名を馳せていくわけです。





とまぁ、車に詳しくない方には「何のこっちゃ」って思われそうなくらい
グダグダと書き連ねてしまいましたが、
このS50型の成功がなければ今に至るまでスカイラインの存在は存続しなかった事でしょう。


私を初めとして古いスカイラインオーナーの方々が拘りとしている

直列6気筒エンジン

そして、丸型テール

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これは全て、このS50型から始まったのです。
箱スカは丸テールじゃないけどね^^;
あ、あとスカイラインは4ドアであるべきっていうのも私自身の拘りです


そういう意味で、私もずっとリスペクトしてきたわけですが、
歴代スカイラインの中では箱スカを一番に推してきておりました。


しかし、数年前


ある有名な方がこのS54Aをカッコ良く仕上げた写真を見て、

『やっべぇ!なんまらカッコよ良すぎだべや!』って一気に惚れちゃいまして。。。




所さんS54B-2.jpg


所さんS54B.jpg


所ジョージがプロデュースした、このS54Aにヤラれちゃいました^^;
S54Bって説もありますが、バッジが青なので54Aじゃないかと。。。

ちょっと記憶が曖昧になっているのですが、
確かエンジンにはマークⅡだったかアリストだったかの6発を積み、
足回りはインプレッサでミッションはRX-7用ではなかったかと。。。

外観以外はスカイラインじゃないのがアレだけどねぇ(苦笑)

「日常の足に使えるような車にする」って言って
何だかんだで2年かけて作り上げたらしいですな。


その後、所ジョージはワタナベに特注で8本スポークまで作らせまして
最終的にこんな感じに。。。



所さんS54A-3.jpg





コレを見た途端、

『いつかオレも54B買ってバリバリに仕上げたい!』

『そして、箱スカ4枚も一緒に所有してやる!』


なんて思いにかられちゃいまして・・・^^ゞ





まぁ、いつまでたってもガキなんですね(苦笑)




でも・・・



いつになったら買えるんだ、オレ?(泣爆)


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