くーぺさんよりご提供^^ (くーぺさんのブログはこちらから^^)
おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その13 [80's J-POP]
一気に雪が積もってしまってから、一向に除排雪が進んでいない札幌の街。
車道の路肩は、私の背丈(180cm)以上の雪が積まれ、
道路幅は狭いままで、中小路に入るとクルマがすれ違えないほど。。。
(路肩ギリギリに走ると、画像のように車は斜めになってしまう^^;)
中小路も酷いが、大きな幹線道路も常に渋滞…
運転していてもイライラが募るばかりなので、
何かゴキゲンなBGMでも…と思い、今日聴いていたのがコレ!
皆さんご存知のBOΦWY
正直なところ、私は彼らの大ファン!ってわけではなかった。
もちろん、しっかりチェックはしていたが、
当時の流行りモノの一つとして、とりあえず聴いていたって感が強い。
でも、BOΦWYには、私自身のちょっとした想い出があるので、
今回はレビューというよりも、私の若かりし頃の想い出を回想する形で書いてみようかと。。。
'85年の夏
私は地元の大学1年生。
まだ、運転免許を持っていなかった私は、自動車学校に通う資金作りのため、
とあるアルバイトを始めることに。
それは、コ〇コーラの配送業務助手である。
あの真っ赤なトラックの助手席に乗り、
社員の人と一緒にコ〇コーラなどの飲料水を運ぶ仕事である。
それまでも、単発での様々なアルバイトをこなしてはいたのだが、
継続して長期で働く、というのは初めての経験であった。
その夏は、とにかくクソ暑かった。
エアコンなどあるわけもない、配送のトラック。
与えられた制服は裏地すらなく、
汗をかくと身体にピタッとはりついて、動きづらいったらありゃしなかった。
私が担当していた配送地域は、
ススキノ・大通り・札幌駅前という、街のど真ん中。
コンビニや酒屋さんへの配送もあれば、大手デパートや飲食店、そして所謂飲み屋関係や
果ては風俗店までにも配送業務があった(@_@;)
風俗店では、風俗嬢の控室に飲料水を運ばなければならないのだが、
そこで待機していたお姉さん達には結構からかわれたりもした^^;
「お兄ちゃん、仕事なんてしないで私達と遊んでいきなよ~」
などと言って、裸同然でいる女性達が私を取り囲む。
まだ、ウブだったはずの私は、どうしてよいのやらドギマギするばかり…^^;;;
(後でわかったのだが、新人バイトの洗礼のようなモノだったらしい)
かと思えば、ススキノのとある酒屋さんに行った時などは、
1階に店舗があるのに、倉庫は5階まで行かねばならん、なんてところも。
もちろん、エスカレーターやエレベーターなどない。
コーラのケースを背中に5ケースくらい背負って、5階までの階段を何往復させられたことか。。。
必ずといっていいほど、そこの仕事の後は戻しそうになる(汚い話でスミマセン^^;)
それに、倉庫の入り口には、店舗が入っているビルに同じく入居している
カタギではない方々の車がドーンと置いてある。
当たり前のように、ドイツの超高級車である。
ハッキリ言って、邪魔!なのであるが、
文句を言えば命を取られかねない可能性も…(それは大袈裟だろ 苦笑)
何とか、ドイツの高級車にぶつからないようにケースを運ぶのだが、
そういう時に限って、その筋の若い衆が立ち番をして見張っているのだ。
暑いせいだけではない、違った意味の汗が噴き出てくる。
1回だけ、ドアミラーに「コツン」と当ててしまった時は、
「もう、終わった…」と思ったモノだ(T_T)
もちろん、若い衆が「テメェ、ぶつけただろ!オラァ~!」と怒鳴りこんできたのだが、
その大声を聞いてか、その筋の偉い方と思しき人が現れて、
「この兄ちゃんだって、一所懸命働いてるんだ!車も傷ついてないようだし、許してやれ!」
と若い衆を一喝してくれ、事なきを得た。
でも、その後には「もう1回、同じ事あったら…知らんぞ」とは言われたけど…(ノ><)ノ
まぁ、そんなこんなで免許を取りたいがためとはいえ、
かなりスリリングなバイトをしていたのだが、
一緒に回っていた社員の人が、これまた個性的だったのだ。
髪型はバリバリのリーゼント。
普段着は、完全にロックンローラー気取りである。
かなりの話好きで、とにかくよくしゃべる人であったのだが、
同時に、かなり手も早い人だった。
こちらがミスをすると、怒鳴られる前に拳が飛んでくる。
それも、ドテッ腹に。
「もう踏んだり蹴ったりだべや~」などと思いながら、
毎日バイトに明け暮れていた。
でも、この手の早いリーゼントの社員さんは、基本的にはとてもイイ人で、
仕事が終わった後は、よくドライブなどに連れていってくれたりもした。
彼が乗っていた車は…ジャパン!
大好きなスカイラインに乗れるのだから、
誘われれば、いつも喜んで助手席に乗せて頂いた。
そんなある日、いつものように仕事を終えた後、
「おい、銀狼。一緒に飯でも食ってくか?」と聞かれたので、
「はい!喜んで!」とついていった私。
リーゼント社員さんご自慢のジャパンを走らせて間もなく、
「おい、お前このバンド知ってるか?」と言い、
カーステレオから流れてきたのが、この曲。。。
「BAD FEELING」
BOΦWYの3枚目のアルバム「BOΦWY」に収録されており、
後に2枚目のシングル曲として、12インチシングルで発売もされている。
聴いた途端、イントロの布袋のギターにやられますた^^;
「コレ、何ですか!?」
「BOΦWYっちゅうんだよ。このギターがなまらかっけぇべ?」
いまだに楽器が苦手な私なのだが、
この「BAD FEELING」での布袋のギターには感激させられた。
もう、翌日には貸しレコード店に行って、
BOΦWYのアルバムを即借りて、カセットに録音(←買えばいいべや 笑)
一度知ると、とことん知りたくなる私は、BOΦWYの歴史を遡って聴き始める。
「もともとは”暴威”って名前だったんだぁ」とか、
「ヒムロックは、当初”氷室狂介”っていってたんだね」
などなど、色んな音楽雑誌などを読みあさりながら、BOΦWYを研究。
(「FM STATION」や「PATIPATI」など、当時は色んな雑誌がありました…)
でも、当時はそんなにのめり込むほどではなかったんだよなぁ。。。
なんでかって考えても、自分でもよくわかんないんだけど。。。
ただ、結構な年数が経った今になると、
妙にBOΦWYのメロディーが染みてくるんだなぁ。。。
後のビジュアル系と評されるバンドは、ほとんどがBOΦWYに影響された
と言っても過言ではないほどであろう。
所謂「J-ROCK」の基礎を作ったのは、このBOΦWYである事も間違いないと思う。
見た目からして、とんがった印象の4人組(当初は6人組)
楽曲のみならず、ビジュアルで魅せるという要素を持ったバンドは、
当時の日本でも稀な存在であった。
だけど、私はかなり後になってから、
彼らにちょっとした「田舎っぽさ」を感じ、それが妙に親しみを憶えた。
時が経ってから、BOΦWYが好きになったのは、その辺かもしれない。
「田舎っぽさ」というと語弊があるかもしれないが、
ヒムロックのキザな感じの中に、それが垣間見えることがあったのだ。
(決して、「田舎っぽさ」を悪い意味に捉えないでくださいね)
いつの時のかは忘れてしまったのだが、
BOΦWYの武道館ライブでのヒムロックの台詞にそれを感じた。
「IMAGE DOWN」という曲を歌っている最中でのセリフ
「♪ライブハウス武道館へようこそっ!」
「ここは東京だぜ!ここは…東京だぜぃ!」
こうして、文字にすると気恥ずかしくなるようなセリフを
あのノリでサラッと言えてしまうヒムロックには、妙に親近感を覚えてしまうのだ^^;
それでいて、初期の頃の楽曲は過激でパンキッシュな仕上がり。
今改めて聴くと、このギャップが非常にいい感じなのである^^
「カッコイイ」バンドの最先端をいきながらも、内面には「田舎っぽさ」を残したまま
というのが、私のとっては魅力と感じたのだ。
解散前の辺りでは、やはりどのバンドにもありがちな
「商業性」を念頭に置いた作品が多くなった感があるのだが、
私的には初期の”暴威”~”BOΦWY”になりたての頃が一番いいなぁ。。。
巷では、ヒムロックと布袋の不仲も取り沙汰されたりもした事もあったのだが、
それが解散の原因ではないようなのだし、もう一度…なんて事にはならないのかなぁ。。。
車道の路肩は、私の背丈(180cm)以上の雪が積まれ、
道路幅は狭いままで、中小路に入るとクルマがすれ違えないほど。。。
(路肩ギリギリに走ると、画像のように車は斜めになってしまう^^;)
中小路も酷いが、大きな幹線道路も常に渋滞…
運転していてもイライラが募るばかりなので、
何かゴキゲンなBGMでも…と思い、今日聴いていたのがコレ!
皆さんご存知のBOΦWY
正直なところ、私は彼らの大ファン!ってわけではなかった。
もちろん、しっかりチェックはしていたが、
当時の流行りモノの一つとして、とりあえず聴いていたって感が強い。
でも、BOΦWYには、私自身のちょっとした想い出があるので、
今回はレビューというよりも、私の若かりし頃の想い出を回想する形で書いてみようかと。。。
'85年の夏
私は地元の大学1年生。
まだ、運転免許を持っていなかった私は、自動車学校に通う資金作りのため、
とあるアルバイトを始めることに。
それは、コ〇コーラの配送業務助手である。
あの真っ赤なトラックの助手席に乗り、
社員の人と一緒にコ〇コーラなどの飲料水を運ぶ仕事である。
それまでも、単発での様々なアルバイトをこなしてはいたのだが、
継続して長期で働く、というのは初めての経験であった。
その夏は、とにかくクソ暑かった。
エアコンなどあるわけもない、配送のトラック。
与えられた制服は裏地すらなく、
汗をかくと身体にピタッとはりついて、動きづらいったらありゃしなかった。
私が担当していた配送地域は、
ススキノ・大通り・札幌駅前という、街のど真ん中。
コンビニや酒屋さんへの配送もあれば、大手デパートや飲食店、そして所謂飲み屋関係や
果ては風俗店までにも配送業務があった(@_@;)
風俗店では、風俗嬢の控室に飲料水を運ばなければならないのだが、
そこで待機していたお姉さん達には結構からかわれたりもした^^;
「お兄ちゃん、仕事なんてしないで私達と遊んでいきなよ~」
などと言って、裸同然でいる女性達が私を取り囲む。
まだ、ウブだったはずの私は、どうしてよいのやらドギマギするばかり…^^;;;
(後でわかったのだが、新人バイトの洗礼のようなモノだったらしい)
かと思えば、ススキノのとある酒屋さんに行った時などは、
1階に店舗があるのに、倉庫は5階まで行かねばならん、なんてところも。
もちろん、エスカレーターやエレベーターなどない。
コーラのケースを背中に5ケースくらい背負って、5階までの階段を何往復させられたことか。。。
必ずといっていいほど、そこの仕事の後は戻しそうになる(汚い話でスミマセン^^;)
それに、倉庫の入り口には、店舗が入っているビルに同じく入居している
カタギではない方々の車がドーンと置いてある。
当たり前のように、ドイツの超高級車である。
ハッキリ言って、邪魔!なのであるが、
文句を言えば命を取られかねない可能性も…(それは大袈裟だろ 苦笑)
何とか、ドイツの高級車にぶつからないようにケースを運ぶのだが、
そういう時に限って、その筋の若い衆が立ち番をして見張っているのだ。
暑いせいだけではない、違った意味の汗が噴き出てくる。
1回だけ、ドアミラーに「コツン」と当ててしまった時は、
「もう、終わった…」と思ったモノだ(T_T)
もちろん、若い衆が「テメェ、ぶつけただろ!オラァ~!」と怒鳴りこんできたのだが、
その大声を聞いてか、その筋の偉い方と思しき人が現れて、
「この兄ちゃんだって、一所懸命働いてるんだ!車も傷ついてないようだし、許してやれ!」
と若い衆を一喝してくれ、事なきを得た。
でも、その後には「もう1回、同じ事あったら…知らんぞ」とは言われたけど…(ノ><)ノ
まぁ、そんなこんなで免許を取りたいがためとはいえ、
かなりスリリングなバイトをしていたのだが、
一緒に回っていた社員の人が、これまた個性的だったのだ。
髪型はバリバリのリーゼント。
普段着は、完全にロックンローラー気取りである。
かなりの話好きで、とにかくよくしゃべる人であったのだが、
同時に、かなり手も早い人だった。
こちらがミスをすると、怒鳴られる前に拳が飛んでくる。
それも、ドテッ腹に。
「もう踏んだり蹴ったりだべや~」などと思いながら、
毎日バイトに明け暮れていた。
でも、この手の早いリーゼントの社員さんは、基本的にはとてもイイ人で、
仕事が終わった後は、よくドライブなどに連れていってくれたりもした。
彼が乗っていた車は…ジャパン!
大好きなスカイラインに乗れるのだから、
誘われれば、いつも喜んで助手席に乗せて頂いた。
そんなある日、いつものように仕事を終えた後、
「おい、銀狼。一緒に飯でも食ってくか?」と聞かれたので、
「はい!喜んで!」とついていった私。
リーゼント社員さんご自慢のジャパンを走らせて間もなく、
「おい、お前このバンド知ってるか?」と言い、
カーステレオから流れてきたのが、この曲。。。
「BAD FEELING」
BOΦWYの3枚目のアルバム「BOΦWY」に収録されており、
後に2枚目のシングル曲として、12インチシングルで発売もされている。
聴いた途端、イントロの布袋のギターにやられますた^^;
「コレ、何ですか!?」
「BOΦWYっちゅうんだよ。このギターがなまらかっけぇべ?」
いまだに楽器が苦手な私なのだが、
この「BAD FEELING」での布袋のギターには感激させられた。
もう、翌日には貸しレコード店に行って、
BOΦWYのアルバムを即借りて、カセットに録音(←買えばいいべや 笑)
一度知ると、とことん知りたくなる私は、BOΦWYの歴史を遡って聴き始める。
「もともとは”暴威”って名前だったんだぁ」とか、
「ヒムロックは、当初”氷室狂介”っていってたんだね」
などなど、色んな音楽雑誌などを読みあさりながら、BOΦWYを研究。
(「FM STATION」や「PATIPATI」など、当時は色んな雑誌がありました…)
でも、当時はそんなにのめり込むほどではなかったんだよなぁ。。。
なんでかって考えても、自分でもよくわかんないんだけど。。。
ただ、結構な年数が経った今になると、
妙にBOΦWYのメロディーが染みてくるんだなぁ。。。
後のビジュアル系と評されるバンドは、ほとんどがBOΦWYに影響された
と言っても過言ではないほどであろう。
所謂「J-ROCK」の基礎を作ったのは、このBOΦWYである事も間違いないと思う。
見た目からして、とんがった印象の4人組(当初は6人組)
楽曲のみならず、ビジュアルで魅せるという要素を持ったバンドは、
当時の日本でも稀な存在であった。
だけど、私はかなり後になってから、
彼らにちょっとした「田舎っぽさ」を感じ、それが妙に親しみを憶えた。
時が経ってから、BOΦWYが好きになったのは、その辺かもしれない。
「田舎っぽさ」というと語弊があるかもしれないが、
ヒムロックのキザな感じの中に、それが垣間見えることがあったのだ。
(決して、「田舎っぽさ」を悪い意味に捉えないでくださいね)
いつの時のかは忘れてしまったのだが、
BOΦWYの武道館ライブでのヒムロックの台詞にそれを感じた。
「IMAGE DOWN」という曲を歌っている最中でのセリフ
「♪ライブハウス武道館へようこそっ!」
「ここは東京だぜ!ここは…東京だぜぃ!」
こうして、文字にすると気恥ずかしくなるようなセリフを
あのノリでサラッと言えてしまうヒムロックには、妙に親近感を覚えてしまうのだ^^;
それでいて、初期の頃の楽曲は過激でパンキッシュな仕上がり。
今改めて聴くと、このギャップが非常にいい感じなのである^^
「カッコイイ」バンドの最先端をいきながらも、内面には「田舎っぽさ」を残したまま
というのが、私のとっては魅力と感じたのだ。
解散前の辺りでは、やはりどのバンドにもありがちな
「商業性」を念頭に置いた作品が多くなった感があるのだが、
私的には初期の”暴威”~”BOΦWY”になりたての頃が一番いいなぁ。。。
巷では、ヒムロックと布袋の不仲も取り沙汰されたりもした事もあったのだが、
それが解散の原因ではないようなのだし、もう一度…なんて事にはならないのかなぁ。。。
暴威にBOΦWYもそれほど詳しくないですが、
氷室はソロから好きになりまして、今でもカラオケなんか行くと歌うことがありますね。
「KISS ME」の意味不明な振りつけも、
あれが氷室だからカッコよく見えるってのが不思議です。
サウンドはBOΦWYより、むしろ各自ソロリリースしている曲の方がハードロックだと思います。
by MK (2011-01-20 21:22)
私は1970年代生まれですが、私も80年代好きですね(^^
やはり良い時代だったのかな、と思います。
BOΦWYは中学のとき流行ってましたよ、もう解散後でしたが(後、一緒にカラオケに行く友人が氷室さんファンでけっこう歌ってたので覚えてます)。
YouTubeで色々見ていても、80年代のものを結構見ていますね(CMとか)。
コカコーラのCMも80年代のものが一番で好きです(^^;
by 1969kana (2011-01-20 22:32)
こんばんは。我輩は今でも車でBOΦWY聴いてますよ~^^カラオケ行っても歌っちゃいますよ。
by ritton2 (2011-01-20 23:54)
皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^
>MKさん
私もBOΦWY時代よりも、ソロ活動の方が結構好きかも…
特に布袋がソロになってからは(COMPLEX時代含む)
よく聴いております^^♪
>1969kanaさん
日本という国自体が一番いい時代だったんでしょうね。
ある意味、一番呑気でいられた時かもしれません^^;
私自身も、多感な中学~高校、そして大学を卒業するまでを
80年代で過ごし、一番楽しかった時代だった事もあり、
いまだにその時代のモノに触れる事が多いです。
>ritton2さん
こんばんは!^^
私も今でもBOΦWYをよく流しながら走っておりますよ^^
歌は布袋のソロをよく歌います^^♪
「布袋に声が似ている」とたまに言われる事もあるので…^^ヾ
by 銀狼 (2011-01-21 00:20)
今井美樹の歌声が好きでした。
by k_iga (2011-01-21 00:59)
本当に除雪も排雪も行き届かずに・・・
車に乗っても怖いです!
やっと子供達の学校も始まり普段のペースに・・・
ご飯支度の「メニュー違いの時間差攻撃」から解放されました ココママ
by kokonopapasan (2011-01-21 00:59)
何だか学生時代の銀狼さんが目に浮かぶようです^^。
by NONNONオヤジ (2011-01-21 01:04)
コカ・コーラのお仕事ってハードですね~!
でも・・コカ・コーラのお兄さん方って・・
筋肉ムキムキですもんね~^^ 思わず見とれちゃいます(ヤンロ・・笑)
BOΦWY懐かし~! 当時男の子たちは、みんなBOΦWY聴いてたような♪
そして・・・ジャパン!!! これまた懐かしいです(*^^)v
by がっちゃん (2011-01-21 01:11)
BOΦWYの存在って知ってましたが 聴くようになったのは「B-BLUE」からですね!ちょうど バンドブームもあって 乱立してましたよね!
その頃から 食傷気味であまり聴かなくなっちゃいました。
まさに J-POPの創世記で それまでの歌謡曲・ニューミュージックと一線を引いて 新しいジャンルの確立した頃で 自分の聴きたいのは どんな音楽なのかなって 模索しながら洋楽に目を凝らしてました。
そんな BOΦWYの曲でも 一番好きなのは「CLOUDY HEART」かな!^^にゃはは
by ゆうのすけ (2011-01-21 04:30)
氷室はクルマの中で聴いてます♪ (^-^)
っつーかバイトの話がおもしろいですね。。。
by キャラハン (2011-01-21 05:46)
カッコいいですよね。
「BAD FEELING」のイントロには、独特のセンスを感じます。
by まちびとん (2011-01-21 06:38)
BOOWYは僕に音楽を授かってくれた、いわば僕の原点です!
小学5年生のとき、4つ上の姉貴に無理やりLIVEに連れて行かれて。
そのステージ見てから、変わりました。(爆)
BAD FEELINGはすんげー難しいんですよ!!
ってか・・・。
ジャパン。西部警察での爆発シーン。
勿体無い・・・。^^;
by yoshinorhythm (2011-01-21 09:29)
そんなバイトだといまどきのヤワな学生さんじゃすぐに
辞めちゃうでしょうね~^^)
私の弟が好きでしたね~そういう世代なのかな?
by rtfk (2011-01-21 09:45)
除雪作業が追いつかないようで大変なようですね。
今日スカイラインの生みの親の「桜井真一郎さん」がお亡くなりになった記事をみました。残念です。
by たくや (2011-01-21 13:32)
BOØWYを知ったのは、中学3年になってからでした。
それも、解散直前。
勿論コピーもしたし、出版されてた「大きなビートの木の下で」と言う
BOØWYの結成までを記した、書物も何度も読みました。
解散説については、色々言われてますが。。。有力なのは
氷室と布袋の不仲説ですかね。
ただ・・・再結成を望む声って、多いようで少ないバンドですよね
私も、BOØWYは、初期の頃が大好きで、たまにMORALとか
聞いてますよ^^
by くまら (2011-01-21 14:42)
凄い雪の壁ですね。
山形の友人宅に行ったとき、
夜近くの自販機にコーヒーを買いに行って
遭難しかけた時の量に似てます。
by 綾小路曽根斗麿 (2011-01-21 15:42)
こちら方面、特に日本のはよく知りません。とんがった髪型は、プレスリーの影響でしょうか?
昨日の千歳は風もなく、おだやかな天気でした。
タクシーの運ちゃんも、斉藤フィーバーしてましたよ。
by okko (2011-01-21 15:58)
BOΦWYは、解散してから知りました(^^;;
by えーちゃんaaa (2011-01-21 16:25)
こんばんは☆
すごい雪ですね(汗)
自分の身長ぐらいありますね!!
BOΦWYの大ファンです♪
by ヒロ番長 (2011-01-21 17:02)
札幌の積雪って半端じゃありませんね。背丈より高いなんて・・。
by tama (2011-01-21 17:15)
BOΦWY大好きでよく聴いていました。懐かしい~。バンドブームだったし、みんなコピーしてやってましたよね。
それにしても ドキドキのバイト生活でしたね。。。
by みほ (2011-01-21 17:36)
BOΦWY、懐かしいですね^^
私も好きでよく聞いていました~
アルバムの「BOΦWY」も好きで結構聴きましたが、
布袋がボーカルしてた曲が一番いいとか言って、
周りから変人扱いを受けたりしてましたね(笑)
by ケンケン@ (2011-01-21 18:54)
こんばんは。
大変なアルバイトをされていたようですね。
私は残念ながら、あまりスカイライン乗ったことがありません。
友人が最新型のスカイラインに乗っていて、
唯一それでドライブに行ったことがあります。
助手席は、まるで寝そべっているような
乗り心地でした。^^;
by atsuko (2011-01-21 19:34)
皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^
>k_igaさん
おおっと、これは違った角度からのご意見で^^;
布袋夫人・美樹さんの歌は私も大好きです。
やはり布袋が書いた「PRIDE」が一番いいですね~^^♪
>kokonopapasan(ココママ)さん
除雪が行きとどいていないうちに、
また積もってしまいましたね~(-_-;)
子供にとって冬休みは嬉しい事でしょうが、
親にはかなりの負担になりますもんね~^^;
お疲れ様でした!^^
>NONNONオヤジさん
BOΦWYの事より、
私のくだらない想い出の方が長くなっちゃいました^^;
まぁ、お気楽な学生だったんですよね…^^;;;
>がっちゃんさん
ホントにコ〇コーラの社員の人達は鍛え上げられた身体を
しておりました^^
私もそこで働いてたら、こんなメタボにはならなかったかも…^^;
BOΦWYにジャパン…我々にとっては懐かしいモノばかりですよね^^
>ゆうのすけさん
私はバンドブームには、しっかり乗っかっていたかも^^;
前にも書きましたが、この当時一番好きだったのはBARBEE!^^
歌謡曲にロック系やAOR、ディスコ系とめちゃめちゃ雑多に
聴いていた頃でしたね^^;
「CLOUDY HEART」!メロディアスな感じでいいですよね~^^♪
>キャラハンさん
私は布袋をかなり聴いております^^♪
どうしようもない学生バイトの話ですが、なかなかのモノでした^^;
>まちびとんさん
今聴いても、めちゃめちゃカッコイイですよね!^^
布袋みたいにギター弾けたらいいだろうなぁ。。。
>yoshonorhythmさん
やはり、年代的にはドンピシャの頃ですもんね^^
西部警察のマシンX!あれはカッコ良かったなぁ~^^
マジで憧れたものです。。。
>rtfkさん
あんな思いばかりだと、今の子たちは確実に辞めますね^^;
弟さんと私が同い年くらいなのでしょうか?^^
>たくやさん
除雪どころか、また積もってしまいました(-_-;)
桜井先生の件、かなりのショックです…
本日、記事をUP致しました。。。
>くまらさん
「大きなビートの木の下で」…懐かしい~!
氷室と布袋の不仲が取り沙汰されてはおりますが、
どうやらそこまで「不仲」というわけではないようですよ。
色んな要素が複合しての解散のようです。
今では、互いに名前を出す事もありますし、
大人としてよい関係になってきているのではないでしょうか。。。
>綾小路曽根斗麿 さん
この積雪で、夜の外出時に吹雪にあったりすれば
確かに遭難しかねないかも…^^;
>okkoさん
わかりづらい話題でスミマセンです^^;
また雪が降ってきましたが、
数日前にくらべればだいぶ穏やかでしょうね~^^
でも、寒さは厳しいですから、くれぐれもお風邪など召さぬよう
お気をつけ下さいね。。。
>えーちゃんaaaさん
あらっ!? そうだったですね~^^;
>ヒロ番長さん
こんばんは!^^ シャレにならない雪の量です^^;
ヒロ番長さんのトップ画像を拝見してますので、
大ファンだと思ってましたよ!^^
>tamaさん
降ってきた量は、60~70cmくらいなのですが、
除雪して路肩に積み上げると、こんな事になってしまいます^^;
>みほさん
あの当時は、猫も杓子もBOΦWYをコピってましたよね~^^
かなり色んな意味でハードなバイトでしたが、今となっては
非常に面白い想い出となっております。。。^^
>ケンケン@さん
私も同感ですよ!^^
布袋のヴォーカルは非常にいいと思います!^^
だから今では、布袋のソロをよく聴いております~♪
>atsukoさん
こんばんは!^^
色々とハードなバイトではありました^^;
寝そべっているような乗り心地ということは、
シートをかなり倒されていたのか、
それとも物凄い飛ばしていたとか!?^^;
by 銀狼 (2011-01-21 20:59)
一年間だけUCCのベンダーやった事があります~
担当は港区中央区!
大変だったなぁ・・・
by ユーフォ (2011-01-22 05:12)
うわぁ~~!雪の壁ですねぇ(@@)
運転、お気を付け下さいませ^^;
昔、熊本に「PSYCHOPATH」というお店があって
よく飲みに行ってました♪
もちろん、BOΦWYの曲が大音量で流れてましたぁ。
懐かしいです^^
by あびまま (2011-01-22 23:44)
悲しくて泣いた記憶の端緒は、小学生の頃に
西部警察の再放送を見ていて三浦友和扮す
る刑事が死に向かうシーンと、暴威の解散で
した★
by Extra-Low (2011-01-23 00:38)
皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^
>ユーフォさん
港区と中央区ともなれば、
私なんかよりもずっと大変だったでしょうね~^^;
>あびままさん
雪を積み上げ過ぎて、小路から大きな通りに出る時、
左右が見えなくて確認出来ないんですよね~^^;
「PSYCOPATH」とは、ストレートなネーミングのお店ですね~^^
BOΦWYファンがそれだけ多かったのでしょうね~^^
>Extra-Lowさん
BOΦWYの解散では、私の友人でも悲しんでいた人が多かった
ですね。。。西部警察ファンの方もいまだに多いですよね~^^
by 銀狼 (2011-01-23 15:22)
私が高校生の時から20歳までの間、良く聞いていたバンドの一つでした。とにかくかっこが良くて、印象に残っています。
今でも時々聞いています。
by ちっぷ (2011-01-23 22:28)