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ありがとう!”Mr.スカイライン”。。。 [SKYLINE]

基本的に2日に1回の更新頻度で進めていた私だが、
珍しく連日の更新を。

今日は、どうしても書かなければならない事があるんです。。。




2代目S50型~7代目R31型までのスカイライン開発総責任者を務め、
「スカイラインの父(生みの親)」とまで言われた、
桜井眞一郎先生(享年81歳)が心不全により、
1月17日にお亡くなりになられたとの報せを今朝知った。 

桜井眞一郎先生.jpg



久々に愕然とさせられたニュースだった。

私のような「スカイラインオタク」にとっては、神以上の存在というべき方。
桜井先生がいなければ、スカイラインという車は
ここまで長きに渡って存在していなかったのではないだろうか。


ここで、桜井眞一郎先生の略歴と残した功績を書いてみたい。


昭和4年4月3日生まれ
若い頃より自動車の開発に興味を持っていた事もあり、
横浜国大工学部に入学するも、卒業時には自動車業界が不景気だった事もあり、
自動車メーカーに採用されず、やむなく清水建設に入社。
ちなみに、清水建設時代にはこのようなスゴイ実績がある。

日本初のバッチャープラントの開発に成功

namacon07.jpg
自動でセメントをこねてコンクリートを生成する機械。


そして、バッチャープラントが置けない事態に遭遇した事により、
コンクリートミキサー車の開発にも成功する。

3244.jpg


今や、この2つがなければ工事現場は成り立たない。
自動車だけでなく、日本の建設業界においても偉大な功績を残した方なのである。



しかし、それだけの実績を挙げても、自動車開発への情熱が衰える事はなく、
会社の強い引き留めを振り払って、プリンス自動車へ転職を果たすのである。
(当時:たま自動車工業 後に日産自動車と合併)

大手ゼネコンである清水建設と比べて、プリンス自動車の待遇は雲泥の差があったのにも
拘わらずの転職は周囲を驚かせたようだが、当の本人は意に介さず。
「俺は自動車をやるために勉強してきたんだ。貧乏で結構!」と豪語したそうである。


プリンス自動車入社後は、初代スカイラインから開発に携わるが、
2代目となるS50型からは、開発総責任者として辣腕を奮う事となる。

s54b_skyline_2000gt_b.jpg


モータースポーツにも積極的だった桜井先生は、
現状ではパワー不足だったスカイラインに、グロリアの直6エンジンを無理矢理ぶちこんだ
S54-Ⅰ型(ドライバー生沢徹)を駆って、第2回日本グランプリに参戦。

ポルシェ904GTS(ドライバー式場壮吉)に次いで2位という成績を収めるのだが、
一時はポルシェを抜いて首位に躍り出るまでの活躍を見せた。





『日本のファミリーセダンベースの車がドイツの伝統あるスポーツカーを抜いた』
という出来事に日本の自動車業界や自動車マニア達は湧きたち、
マスコミは”羊の皮を被った狼”の異名をつけ、スカイラインの偉業を讃えた。

これが『スカイライン神話』の始まりである。



そして、3代目C10型(通称:箱スカ)となってからは、
その神話は留まるところを知らない勢いとなる。
(※プリンス自動車と日産自動車が合併後、初のスカイライン)

前述の日本グランプリにてポルシェに負けた雪辱を晴らすべく開発された、
プリンスR380のエンジン<GR8型>をベースに量産型エンジン<S20型>を開発。

1969年にそのエンジンを載せた「GT-R」を発表。

r-1.jpg


颯爽とレース界にデビューしたスカイラインGT-Rは、
デビュー以来破竹の49連勝を含む、計52勝という大活躍を見せるのである。

桜井先生の自動車への情熱が、この大記録を成し遂げた要因であろう。



その後も桜井先生は、スカイラインの開発総責任者として、
4代目C110型(通称:ケンメリ)・5代目C210型(通称:ジャパン)・6代目R30型の開発に尽力。
特に4代目の時は、空前のケンメリブームを巻き起こし、クルマのみならず
ファッションまでも影響を及ぼす事に。

P1070618.JPG

このケンメリTシャツがバカ売れ。

桜井先生は車の開発のみならず、広告宣伝まで陣頭指揮を執る事となるのだが、
当時の日本ではTシャツと言えば「白」が当たり前だったところを
「黒いTシャツを作ってみよう」とのアイディアを採用し発売してみたところ、
爆発的な人気となったそうである。



しかし、7代目R31開発途中に病に倒れ、
一番弟子である伊藤修令氏に開発を託し、一線を退くこととなった。。。


だが、その後も日産の子会社であるオーテックジャパンの社長に就任。
スカイラインなどのスポーツタイプ車のチューニングや特装車の開発に尽力。

オーテックジャパンを後進に譲った後は、
自ら「エス・アンド・エス エンジニアリング」を立ち上げ、
ディーゼルエンジンの排ガス浄化装置の開発を行うなど、
”技術屋”としての意欲は衰えることはなかった。


車に賭ける情熱・技術に賭ける情熱という点では、日本の自動車業界においては、
ホンダの創始者である故・本田宗一郎さんと並び称されてもいいほどの御方ではないだろうか。。。




こうして先生の功績と共に、スカイラインの歴史を振り返ってみると、
レースでの活躍が目立つ事もあって、スカイライン=「速い車」のとしてのイメージが
強くなっていると思うのだが、果たして先生はそういう車を作りたかったのだろうか?

私は、以前にも桜井先生について記事にしたことがあるのだが、
その時に書いた桜井先生の言葉をもう一度あげてみたい。

参考記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2009-05-19


『もともとスカイラインは、街で走るには、ちょうどいい車として作ったんですよ。
そして、サーキットなんかでも走りたいって人達のために、GT-A・GT-Bを開発したんですから。』


もちろん”速いハコ”という車を目指していたのであろうが、
基本は”乗っていて気持ちのいい車”=スカイラインなのだろう。

だからこそ、スカイラインにはL型やRB型のような気持ちのいい直6エンジンが必要だったのだ。


私が乗っているENR34は、桜井先生の手にかかった車ではないが、
上記のような意味からすれば、最高に気持ちのいい車だ。
しっかりと桜井先生のシンパシーを感じる事が出来ると思う。



桜井先生、今まで本当にありがとうございました。

残念ながら、一度でも貴方にお会いしたいという願いは叶いませんでしたが、
先生の遺伝子を受け継いだ車を長く大切に乗り続けていければ、
少しでも先生に喜んで頂けると信じております。


改めて、桜井眞一郎先生のご冥福をお祈り致します。

合掌。。。


ginrou.jpg


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kokonopapasan

私も桜井眞一郎先生の訃報を今朝知りましたが・・・
銀狼さんが紹介してくださった略歴や詳しい功績までは全く知らず・・・
改めて凄い先生だったのですね~
銀狼さんのようにスカイラインをこよなく愛し、大切に想う気持ちは
きっと先生にも伝わる事でしょう!
ケンメリTシャツ!超懐かしい!私は赤でしたが(^^)  ココママ

by kokonopapasan (2011-01-21 21:28) 

キャラハン

ホントひとつのスカイラインというクルマを大事に育てられた偉大な父ですよね。。
クルマ業界の前のコトはあまり知りませんでしたが、根っからの技術屋さんなんですね。。
いくつになっても好きなコトに情熱を注げるのはすばらしいですね。。(^-^)
またスカイラインに乗りたいです。。
改めて合掌。。。。。

by キャラハン (2011-01-21 22:12) 

ちょろっとぶぅ

お亡くなりになられたのは、New'sで知ってましたが、凄い人だったんですね。
スカイライン、車にそんな詳しくない私でも知ってます。
ケン&メリも・・・
そして、一時、憧れたなぁ・・・ by ぶぅたん
by ちょろっとぶぅ (2011-01-21 22:48) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>kokonopapasan(ココママ)さん
決して大げさでなく、桜井先生の逝去は
日本の工業界にとって大きな損失だと思っております。
そんな偉大な方が遺したモノに触れる事が出来るのは
光栄でもありますね^^
赤いケンメリTシャツが欲しかった!^^;

>キャラハンさん
一大企業のお偉いさんという姿が似合わない、
本当の技術屋さんだった方ですよね。。。
キャラハンさんも、機が熟したら再びスカイラインオーナーに
戻られる事を願っております!^^

>ちょろっとぶぅさん
ベンツとかフェラーリ・ポルシェ・BMWなどのように
車に詳しくない方でも、お判りになる車はありますが、
今あげたモノは全て「メーカー」名であって、
このスカイラインのように単なる1車種で、
ここまで語られる車は世界でも稀だと思います。
そして、日本人であれば一度は憧れたであろう車というのも
本当に稀な存在でしょう。。。


by 銀狼 (2011-01-21 23:00) 

たくや

日本の巨匠が逝ってしまいましたね(涙)
「スカイライン」の名前は永久に不滅です。
by たくや (2011-01-21 23:37) 

suzuran

私が日産プリンスに居た頃、桜井氏がR30について
直接語りたいということで、社員全員が話を聞きに行きました。

スカイラインは絶対にFRでなければならないと桜井氏は強調し
何故ならば、サバンナを走る獣たちは後ろ足で大地を蹴って
前に進むでしょう?と、前足は舵を取り、後ろ足で駆動するのが
走りを極めた野獣達の自然な姿だからですと説明されました。

他にも熱い想いを語られましたが、もっとも印象的だったのは、
スカイラインがFRを頑なに踏襲する理由でした。

桜井氏のご冥福をお祈りいたします。
by suzuran (2011-01-21 23:56) 

がっちゃん

私も今朝の新聞で知りました。
スゴい方だったんですね・・・
ご冥福をお祈りいたします。
by がっちゃん (2011-01-22 00:06) 

haku

スカイラインという名前には、本当に歴史が刻まれてますねぇ!!!
by haku (2011-01-22 00:35) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>たくやさん
本当に「巨匠」という言葉が相応しい御方でしたね。。。
スカイラインという素晴らしい作品を残してくれた事に
心から感謝を申し上げたいです。。。

>suzuranさん
我々、外野の人間では知り得ない貴重なお話をお教え頂き、
ありがとうございます!
桜井先生のFRへの拘りは存じ上げておりましたが、
そのような例を挙げてお話されていた事は初めて知りました。
自然で気持ちの良い走りのためにはFRが必須だったのでしょうね。。。

>がっちゃんさん
車好き・スカイライン好きでない限りは、あまり名の知られていない
方ではありますが、本当に偉大な御方でいらっしゃいました。。。

>hakuさん
歴史のある車は、色々とありますが、
ここまでのバックボーンやストーリー性を持った車は
スカイラインだけでしょうね。。。
by 銀狼 (2011-01-22 01:11) 

k_iga

私のように車に詳しくなくてもスカイラインは
どの年代の物でもなんとなく分かりますね。
by k_iga (2011-01-22 02:49) 

ユーフォ

今ここで知りました・・・。
トヨタ党である私にですら知っているお方です。
ご冥福をお祈りいたします。
by ユーフォ (2011-01-22 05:07) 

かし

キャラハンさんのブログにも書かせていただきましたが、某雑誌のイベントで桜井さんがいらっしゃりお話を聞いたことがあります

勝手にオーテック繋がり(セフィーロオーテックバージョン乗り)と言う事で


by かし (2011-01-22 09:19) 

(。・_・。)2k

うち ケンメリブームの時は億って金を
稼がせてもらいました(^^)
まさにTシャツで
当時の事だから凄い数字ですよね(^^)
by (。・_・。)2k (2011-01-22 10:31) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>k_igaさん
そうなんですよね!^^
どんなに車に疎い方であっても名前を聞いてわかるのが
スカイラインという存在なんですよね^^

>ユーフォさん
車好きのユーフォさんであれば、やはりご存知でしたよね。
大変大きな方が亡くなってしまいました。。。

>かしさん
桜井先生のお話が聞けたとは羨ましい限りです!
セフィーロオーテックVer.とは貴重な車にお乗りなんですね^^

>(。・_・。)2kさん
「億」ですかぁ~!?(@_@) それはスゴイ!
バカ売れしたという話までは聞いておりましたが、まさかそこまでとは…
40年近く前という事を考えれば、とてつもない数字ですよね~!(汗)
by 銀狼 (2011-01-22 11:29) 

david

桜井真一郎さんが亡くなられましたね、僕もこれまでスカイラインをはじめ全んどプリンス自動車の製造した車に乗っているので感慨深いものがあります。
これからもしばらくR34に乗り続けようと思っています。
by david (2011-01-22 13:01) 

rtfk

私も訃報に際し合掌と黙とうを捧げておりました。
by rtfk (2011-01-22 14:33) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>davidさん
殆どがプリンス系のお車だったんですか…
となると、桜井先生の逝去には色んな思いがおありでしょうね。。。
私も、出来る限り長くR34オーナーでいたいと思っておりますし、
とにかく「スカイライン」オーナーであり続けたいと思っております。

>rtfkさん
皆さんの思いは、きっと桜井先生に届く事でしょう。。。
by 銀狼 (2011-01-22 16:37) 

C-Boy

一時はスカイラインは私の購入の候補になったこともありました。
結局は、1995年からプリメーラのオーナーになったに過ぎませんでしたが、日産つながりということで、ご冥福をお祈りしたいと思います。
by C-Boy (2011-01-22 18:07) 

ritton2

我輩もスカイラインに暫く乗ってましたか名機ですね(`・ω´・)b 産みの親は知りませんでした…
by ritton2 (2011-01-22 18:56) 

yoshinorhythm

はい。そうですね。
また日本の偉人が亡くなってしまいましたね。
心より、ご冥福をお祈りいたします。

by yoshinorhythm (2011-01-22 19:16) 

atsuko

こんばんは。
残念な方が亡くなられたのですね。
スカイラインは、私が大学の時も、
男の子達の憧れの車でした。
by atsuko (2011-01-22 19:41) 

1969kana

とても偉大な方だったのですね。
私はあまり車に詳しくないのですが、祖父が確かスカイラインに乗っていたことを思えています。
たぶん、買ったのは1980年前後くらいのことだと思いますが。
ハイカラ?な祖父でした、20年以上も前に逝ってしまったので当時のことも聞けず残念です。
by 1969kana (2011-01-22 20:00) 

ヒロ番長

こんばんは☆
元スカイライン乗りとしてご冥福をお祈りします☆
by ヒロ番長 (2011-01-22 20:38) 

茶の間おじさん

スカGっていってましたよね、今でもネーミングは新鮮ですよ:志は受け継がれます。
by 茶の間おじさん (2011-01-22 21:04) 

tama

車好きの弟もスカイラインGT4に乗っていたな~なんて、思い出しました。
by tama (2011-01-22 22:47) 

あびまま

若い頃、『箱スカ』のクラブに友人の彼が在籍。
一緒に阿蘇へ走りに連れて行ってもらってました。
すごい方だったんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
by あびまま (2011-01-22 23:34) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>C-Boyさん
プリメーラも普通のセダンでありながら、非常に脚がしっかりして
いて走って楽しい車でしたよね。。。

>ritton2さん
まさに「名機」という言葉がピッタリの車ですよね!^^
それだけの車の生みの親は、本当にスゴイ方でした。。。

>yoshinorhythmさん
本当に日本の工業界に多大な功績を残した偉人でしたね。。。
残念です。。。

>atsukoさん
いつの時代も、スカイラインは男の憧れの車だったんですよね。。。
「男臭い」という表現がピッタリな車です。

>1969kanaさん
お爺様が乗っていらっしゃったのですか^^
'80年辺りということは「ジャパン」でしょうね^^
「スカイライン」に乗られていた、という話を伺うだけで、
嬉しくなってしまいます^^

>ヒロ番長さん
こんにちは!^^
おおっ!ヒロ番長さんも乗られていた事があるんですね!^^

>茶の間おじさんさん
今では何でも略すのが流行っておりますが、
そういう意味では「スカG」って愛称は、その奔りだったんですね~^^

>tamaさん
私が今乗っているスカイラインも「GT-FOUR」なんですよ!^^

>あびままさん
『箱スカ』のクラブですか!^^ 羨ましいです~^^
何とか、いつかは『箱スカ』を買いたいと思っております。。。

by 銀狼 (2011-01-23 15:41) 

ケンケン@

スカイラインにそのような歴史があったと初めて知りました。
そういう方のご苦労があって生まれた名車だったんですねぇ。
日産車は一度も乗った事はないのですが、
スカイラインは昔から憧れの車ではありました^^
by ケンケン@ (2011-01-23 16:33) 

ソニックマイヅル

家の父親が昔スカイラインに乗っていたのですが、すっごく高かったといっておりました。^^;
by ソニックマイヅル (2011-01-23 17:38) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>ケンケン@さん
このようなバックボーンがあったからこそ、
これだけ多くのファンを掴むことが出来たのだと思います^^
日産車って、ちょっと出来が悪いところがあるんですが、
「出来の悪い子ほどかわいい」的な感じで、愛着が湧くんですよ~^^;

>ソニックマイヅルさん
新車で買うと結構な金額しますからね~^^;
by 銀狼 (2011-01-24 00:34) 

冥くん

スカイラインにこんな歴史があるとは。。。(`ロ´;)
とても感動しました!d(⌒ー⌒) グッ!!
by 冥くん (2011-01-27 18:12) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>冥くんさん
これほどのバックボーンを持った車なんて、
世界中でもそうそうないはずです^^v
スカイラインの存在感の素晴らしさ、
そして桜井先生の偉大さは永遠に語り継がれて
いくことでしょう。。。^^
by 銀狼 (2011-01-28 02:45) 

GOREN

銀狼さんこんにちは!

スカイラインの生みの親ですか・・・そこまではよく知らなかったですが(汗

スカイラインジャパンはネコはやはり西部警察のマシンXで知ったクチでw

ならびにR30もマシンRSで西部警察なワケで・・・

31GTS-Rの時にはもう携わってないわけですね?

スカイラインの系譜奥が深いですね。
by GOREN (2011-02-04 12:11) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>GORENさん
こんばんは!^^
西部警察でスカイラインを好きになられた方って、結構多いですよね^^
桜井先生は、R31開発途中で倒れられてしまったため、
途中から愛弟子の伊藤修令氏が携わっております。
一つのクルマでこれだけの歴史が語られるモノって、
スカイラインだけでしょうね。。。^^
by 銀狼 (2011-02-04 19:11) 

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