くーぺさんよりご提供^^ (くーぺさんのブログはこちらから^^)
プロ野球背番号物語 【0番】 [野球]
時間を見つけて、ようやく整形外科に行って参りました銀狼でございます^^;
坐骨神経痛という事で、牽引や電気治療を受けた上で
湿布や飲み薬を投薬して頂き、徐々に痛みも和らいできております^^
まぁ、この病気とは長い付き合いになるんでしょうねぇ;^_^A
色々とご心配を頂き、ありがとうございました<(__)>
あと、前回の記事においても、たくさんのお祝コメントを頂戴し、
重ねて感謝申し上げます<(__)>
さて、今回は野球の話題をお送りしようかと思います。
長い間野球ファンをやってきた者として、
この方の引退の報に触れ、寂しい思いを禁じ得ません。。。
本人も記者会見で述べていたようですが、
ここ3年の姿は見ていても痛々しいものがありました。。。
でも、44歳という年齢になっても第一線でやってきた事には、本当に敬意を表したいと思っております。
本当は色々書きたい事もあるのですが、本題の方にいけなくなりそうなので(笑)、
また別の機会にでも触れさせて頂こうかと。。。
この金本選手の引退発表を受けて、
阪神球団が金本の背番号6を永久欠番にしようという動きがあるとか。
ただ、生え抜き選手ではない上に、
阪神では過去にも巧打・好守を誇った名遊撃手である藤田平さんや
球団草創期の看板選手であった故・景浦将さんなど球団の歴史を彩った名選手が
つけていた背番号でもあるので、一朝一夕には決められない事でもあるようです。
移籍選手で永久欠番となったのは、400勝投手・金田正一さん(国鉄→巨人)がおりますが、
果たしてどうなることでしょうか。。。
というわけで、背番号の話題となったので、
またまた忘れかけていたシリーズ物である「プロ野球背番号物語」の第2弾目をお送りしてみましょう。
かなり強引に結びつけましたが・・・^^;
今回は「0番」
前回の00番と同じく、やや異質な背番号ではあります。
この背番号といえば、昭和の野球ファンの方であれば
やはりこの選手を思い浮かべることでしょうか^^
80年代の広島カープの中心選手として活躍した長嶋清幸・現千葉ロッテコーチです。
(広島の後、中日・千葉ロッテ・阪神でも活躍)
長嶋選手が入団した時の背番号は66番。
プロ入り3年目の'82年に頭角を現し、翌年にはレギュラーを期待されるまでに。
そこでレギュラーらしい小さい背番号に・・・という話題になったのですが、
「今まではカープで一番大きな背番号だったので、どうせなら一番小さい背番号がいい!」
という本人の希望もあって、0番になったそうです。
私の記憶を辿って書いてますが、もし間違いであればご指摘下さい
日本プロ野球界初の「0番」という事もあって、
球界では大いに話題となり、当時はプロ野球ニュースなどでも
よく取り上げられていた憶えがあります。
長嶋選手は、背番号のインパクトだけでなく
その実力でも我々に大きなインパクトを与えてくれた選手でした。
一度も3割を打った事もなく、打撃タイトル争いに絡むことも殆どなかったのですが、
小兵選手でありながら、走攻守3拍子揃った好選手として知られ、
勝負強い打撃で'84年の日本シリーズではMVPを獲得するなど
記憶に残る選手として活躍したものです。
また、クセの強い選手でもあり、血気盛んでも知られ
よく乱闘劇にも登場しておりましたねぇ・・・^^;
また、「0番」といえば、もう一人
この選手も挙げておかなければなりません^^
日本球界を代表する「バント職人」として知られ、
90年代の巨人には、なくてはならない存在であった川相昌弘・現巨人二軍監督です。
高校時代は投手であった川相は、プロ入り後すぐに打者に転向するのですが、
堅実な守備力を身につけ、すぐに一軍にお呼びがかかるようになります。
しかし、打撃力が大きく劣ることもあり、しばらくは守備固めや便利屋的な扱いを受ける事に。
そこで、バントの技術を磨いたり、繋ぎの打撃に徹するなどで
自らの個性を確立していくようになります。
その努力の姿勢と積み上げてきた技術に目をつけた当時の藤田監督(故人)が
一躍レギュラー候補に抜擢するわけです。('89年)
その年に背番号も60番から巨人初の0番へ変更。
桑田・斎藤・槙原の3本柱を中心とした当時の巨人の守りの野球にフィットした事もあって、
一気に遊撃のレギュラーを獲得。
類まれなるバント技術と「和製オジー・スミス」とまで言われた守備力で
長きに渡って巨人の遊撃を守り続けました。
※オジー・スミス~”オズの魔法使い”の異名をとったMLBの名遊撃手
そして、2003年には通算512犠打を記録し、ギネスブックに乗るほどの記録を打ち立てます。
ですが、川相本人は、「0番」よりも「6番」への憧れがあったらしいそうで・・・^^;
巨人の6番は、篠塚・落合という大選手がつけていたため言い出せなかったそうですが、
落合が退団となった時に、球団に申し出て6番への変更を行っております。
その後、2004年には巨人を退団し、落合監督に請われて中日へ移籍し
2007年限りで現役を終える事となりました。
このように「0番」は、長嶋・川相といった小兵の脇役的な選手の印象が強くなったせいか、
他球団でも、そういった選手につけさせる事が現在でも多く見受けられます。
また、同じく長嶋・川相に倣ってか、これからレギュラーを期待されるような
若手に付ける事も多く見られます。
あと、最後に「0番」と言えばもう1名・・・
広島の長嶋・巨人の川相を取り上げましたが、
偶然にも両球団に所属し、両球団で「0番」をつけた選手がおります。
故・木村拓也さんです。
1990年に捕手として日本ハムファイターズに入団。
まだ当時はファイターズが東京にあった頃です
その後、ファイターズでは外野手へ転向致しますが、
目が出ることなく、'94年オフに広島へ移籍となります。
広島に移籍後は内野手にも挑戦。
捕手から内野・外野も出来るユーティリティープレイヤーとして重用されるようになり、
2000年からは二塁手・中堅手としてレギュラーを獲得。
そして、その器用さを買われ、
2004年の北京五輪野球日本代表にも選出されるまでに至ります。
当時は「球界のキムタク」というニックネームもついていましたね^^
くしくも、あちらの木村拓哉と同い年でもありました。
しかし、2006年には若手への切り替えもあって出番が激減。
巨人へ放出される事に。
ですが、ここでも持ち前の器用さを発揮し、
選手層の厚い巨人の中でも存在感を見せつけ、レギュラー級の活躍を。
2009年シーズンを最後に現役を引退しますが、
明るい性格と人望の厚さや選手時代の努力ぶりを買われ
翌年2010年からは、巨人の一軍内野守備走塁コーチに就任。
指導者としての活躍も期待されていた矢先の2010年4月2日
試合前のノックを行っていた際に、突然グラウンドに倒れ込み救急搬送・・・
クモ膜下出血との診断を受け、治療を施しておりましたが、
同年4月7日に帰らぬ人となってしまいました。。。
享年37歳という若さでした。
倒れた場所は、広島・マツダスタジアム
広島に自宅をおいていた木村さんは、
巨人への移籍後は単身で生活をしていたのですが、
ご家族のいる広島で息を引き取ったのが、せめてもの救いだったでしょうか。
木村さんが亡くなった後は、多くの球界関係者がその死を悼み、
マスコミ各局も大きく取り上げるなど、実績以上の存在感があった事を
改めて感じさせられたものです。
ちょっと最後は湿っぽくなってしまいましたが、
「0番」の話題はこの辺で。
次回(いつになるか判りませんが^^;)は、「1番」を取り上げます^^
坐骨神経痛という事で、牽引や電気治療を受けた上で
湿布や飲み薬を投薬して頂き、徐々に痛みも和らいできております^^
まぁ、この病気とは長い付き合いになるんでしょうねぇ;^_^A
色々とご心配を頂き、ありがとうございました<(__)>
あと、前回の記事においても、たくさんのお祝コメントを頂戴し、
重ねて感謝申し上げます<(__)>
さて、今回は野球の話題をお送りしようかと思います。
長い間野球ファンをやってきた者として、
この方の引退の報に触れ、寂しい思いを禁じ得ません。。。
本人も記者会見で述べていたようですが、
ここ3年の姿は見ていても痛々しいものがありました。。。
でも、44歳という年齢になっても第一線でやってきた事には、本当に敬意を表したいと思っております。
本当は色々書きたい事もあるのですが、本題の方にいけなくなりそうなので(笑)、
また別の機会にでも触れさせて頂こうかと。。。
この金本選手の引退発表を受けて、
阪神球団が金本の背番号6を永久欠番にしようという動きがあるとか。
ただ、生え抜き選手ではない上に、
阪神では過去にも巧打・好守を誇った名遊撃手である藤田平さんや
球団草創期の看板選手であった故・景浦将さんなど球団の歴史を彩った名選手が
つけていた背番号でもあるので、一朝一夕には決められない事でもあるようです。
移籍選手で永久欠番となったのは、400勝投手・金田正一さん(国鉄→巨人)がおりますが、
果たしてどうなることでしょうか。。。
というわけで、背番号の話題となったので、
またまた忘れかけていたシリーズ物である「プロ野球背番号物語」の第2弾目をお送りしてみましょう。
かなり強引に結びつけましたが・・・^^;
今回は「0番」
前回の00番と同じく、やや異質な背番号ではあります。
この背番号といえば、昭和の野球ファンの方であれば
やはりこの選手を思い浮かべることでしょうか^^
80年代の広島カープの中心選手として活躍した長嶋清幸・現千葉ロッテコーチです。
(広島の後、中日・千葉ロッテ・阪神でも活躍)
長嶋選手が入団した時の背番号は66番。
プロ入り3年目の'82年に頭角を現し、翌年にはレギュラーを期待されるまでに。
そこでレギュラーらしい小さい背番号に・・・という話題になったのですが、
「今まではカープで一番大きな背番号だったので、どうせなら一番小さい背番号がいい!」
という本人の希望もあって、0番になったそうです。
私の記憶を辿って書いてますが、もし間違いであればご指摘下さい
日本プロ野球界初の「0番」という事もあって、
球界では大いに話題となり、当時はプロ野球ニュースなどでも
よく取り上げられていた憶えがあります。
長嶋選手は、背番号のインパクトだけでなく
その実力でも我々に大きなインパクトを与えてくれた選手でした。
一度も3割を打った事もなく、打撃タイトル争いに絡むことも殆どなかったのですが、
小兵選手でありながら、走攻守3拍子揃った好選手として知られ、
勝負強い打撃で'84年の日本シリーズではMVPを獲得するなど
記憶に残る選手として活躍したものです。
また、クセの強い選手でもあり、血気盛んでも知られ
よく乱闘劇にも登場しておりましたねぇ・・・^^;
また、「0番」といえば、もう一人
この選手も挙げておかなければなりません^^
日本球界を代表する「バント職人」として知られ、
90年代の巨人には、なくてはならない存在であった川相昌弘・現巨人二軍監督です。
高校時代は投手であった川相は、プロ入り後すぐに打者に転向するのですが、
堅実な守備力を身につけ、すぐに一軍にお呼びがかかるようになります。
しかし、打撃力が大きく劣ることもあり、しばらくは守備固めや便利屋的な扱いを受ける事に。
そこで、バントの技術を磨いたり、繋ぎの打撃に徹するなどで
自らの個性を確立していくようになります。
その努力の姿勢と積み上げてきた技術に目をつけた当時の藤田監督(故人)が
一躍レギュラー候補に抜擢するわけです。('89年)
その年に背番号も60番から巨人初の0番へ変更。
桑田・斎藤・槙原の3本柱を中心とした当時の巨人の守りの野球にフィットした事もあって、
一気に遊撃のレギュラーを獲得。
類まれなるバント技術と「和製オジー・スミス」とまで言われた守備力で
長きに渡って巨人の遊撃を守り続けました。
※オジー・スミス~”オズの魔法使い”の異名をとったMLBの名遊撃手
そして、2003年には通算512犠打を記録し、ギネスブックに乗るほどの記録を打ち立てます。
ですが、川相本人は、「0番」よりも「6番」への憧れがあったらしいそうで・・・^^;
巨人の6番は、篠塚・落合という大選手がつけていたため言い出せなかったそうですが、
落合が退団となった時に、球団に申し出て6番への変更を行っております。
その後、2004年には巨人を退団し、落合監督に請われて中日へ移籍し
2007年限りで現役を終える事となりました。
このように「0番」は、長嶋・川相といった小兵の脇役的な選手の印象が強くなったせいか、
他球団でも、そういった選手につけさせる事が現在でも多く見受けられます。
また、同じく長嶋・川相に倣ってか、これからレギュラーを期待されるような
若手に付ける事も多く見られます。
あと、最後に「0番」と言えばもう1名・・・
広島の長嶋・巨人の川相を取り上げましたが、
偶然にも両球団に所属し、両球団で「0番」をつけた選手がおります。
故・木村拓也さんです。
1990年に捕手として日本ハムファイターズに入団。
まだ当時はファイターズが東京にあった頃です
その後、ファイターズでは外野手へ転向致しますが、
目が出ることなく、'94年オフに広島へ移籍となります。
広島に移籍後は内野手にも挑戦。
捕手から内野・外野も出来るユーティリティープレイヤーとして重用されるようになり、
2000年からは二塁手・中堅手としてレギュラーを獲得。
そして、その器用さを買われ、
2004年の北京五輪野球日本代表にも選出されるまでに至ります。
当時は「球界のキムタク」というニックネームもついていましたね^^
くしくも、あちらの木村拓哉と同い年でもありました。
しかし、2006年には若手への切り替えもあって出番が激減。
巨人へ放出される事に。
ですが、ここでも持ち前の器用さを発揮し、
選手層の厚い巨人の中でも存在感を見せつけ、レギュラー級の活躍を。
2009年シーズンを最後に現役を引退しますが、
明るい性格と人望の厚さや選手時代の努力ぶりを買われ
翌年2010年からは、巨人の一軍内野守備走塁コーチに就任。
指導者としての活躍も期待されていた矢先の2010年4月2日
試合前のノックを行っていた際に、突然グラウンドに倒れ込み救急搬送・・・
クモ膜下出血との診断を受け、治療を施しておりましたが、
同年4月7日に帰らぬ人となってしまいました。。。
享年37歳という若さでした。
倒れた場所は、広島・マツダスタジアム
広島に自宅をおいていた木村さんは、
巨人への移籍後は単身で生活をしていたのですが、
ご家族のいる広島で息を引き取ったのが、せめてもの救いだったでしょうか。
木村さんが亡くなった後は、多くの球界関係者がその死を悼み、
マスコミ各局も大きく取り上げるなど、実績以上の存在感があった事を
改めて感じさせられたものです。
ちょっと最後は湿っぽくなってしまいましたが、
「0番」の話題はこの辺で。
次回(いつになるか判りませんが^^;)は、「1番」を取り上げます^^
色々書きたいのですが・・・爆発しそうなのでやめておきましょう。(汗;
未だにショックを隠せません。(T関連では)
by 亀仙人 孝禎 (2012-09-14 00:38)
同世代なんですよね。こう言う方が現役引退を
してしまうと、自分も更に老けていくような気もして
チョット・・というかかなり寂しいです。 (T_T)
by mk_papanero (2012-09-14 00:56)
意外と0番っていたんですね
どうも川相の印象が強いです
by (。・_・。)2k (2012-09-14 01:08)
坐骨神経痛仲間になっちゃいましたか。。。^^;
はっきり痛い時は良いんですが じわじわ来るときは かなり嫌なものです。
無理しない程度に 軽めの運動も是非!☆
お大事になさってくださいね!
by ゆうのすけ (2012-09-14 01:29)
金本選手には、心からお疲れ様でしたと言ってあげたいです。
整形外科へ行かれたとのことですが、この後もお大事になさって下さい。
ちなみに、うちの主人も元々は腰痛持ちですが
減量 or 腹筋の効能か、最近は腰痛を訴えなくなりました。
by hirochiki (2012-09-14 05:01)
腰と言えば私も昨年末原因不明の腰痛で・・・;
今年はなんねべなやなぁ~^^;
木村拓也選手が亡くなってもう2年も経つんですね。
なんだかあっという間ですね。。。
by akahara (2012-09-14 07:30)
腰、お大事にしてください
長嶋選手の「0」 インパクトありましたねぇ!
そんな番号、ありなの? って ^m^
しかし、金本選手は、阪神に来てからずっと、
熱い闘士に、胸のすく思いで観ていましたが、
とうとうこの日が来てしまったんですねぇ...
たいへんお疲れさまでした、としか言えません
by haku (2012-09-14 07:50)
金本選手は虎に移籍しても鯉ファンに人気がありました。。。
もちろん今でも(^w^)
なので今回の引退を惜しむ声が
地元・広島では大きく響いていることでしょう。。。
キムタク選手のお墓は広島にあります。
お参りが途絶えないでしょうね。。。
いざ 北千住!!(^w^)
by rtfk (2012-09-14 08:19)
都会に有る、某グループ球団は大っ嫌いでしたが
川相選手は、好きな選手の1人です。
鯉の長嶋選手、印象があるとすれば
ファミスタでよく打たれた記憶が。。。(笑)
by くまら (2012-09-14 08:24)
巨人は嫌いですが、川相選手は素晴らしい!
バントの名手と堅実な守備という感じで「職人」という言葉がピッタリかと・・・。
しかしベイスターズを応援していた時は、ミートも上手く嫌らしい選手でした。
by ミスター仙台 (2012-09-14 09:34)
腰診断がついたとのこと。くれぐれもお大事になさってください。背番号物語・・・豊富な知識に驚きながら楽しく拝見させていただきました。
by yuzuhane (2012-09-14 09:55)
日本では王さん以来永久欠番が出ていない現状では
今、金本の6を永久欠番にしないと
今後日本球界に永久欠番に値する人が出なくなります。
そういう意味で金本の永久欠番は大変意味があります。
メジャーではよくありますが
景浦将と金本の6を永久欠番とか
フルイニング出場は広島-阪神に渡る記録なので
広島と阪神の2球団で永久欠番とかの配慮があっても良いと思います。
ハードルが王さんでは次が難しすぎますよね。
by せいじ (2012-09-14 10:03)
虎ファンとしては金本選手がいなくなるのは寂しいかぎりです。
腕を痛めながら出場したり、彼の努力は並ならぬものでした。
最後の試合が広島戦というおともあって古巣と試合・・・。見逃せませんね。
キムタクさんは広島時代から知りましたが、巨人へ行っても存在感ありましたね。若くで本当に残念です。
by みぃにゃん (2012-09-14 10:34)
痛みが取れてきてなによりです。
私もヘルニアなので腰痛、下肢のしびれ等いつも気になっています。
お大事に~。暑いけどコルセット良いですよ。
選手にとって背番号への思い
色々なのですね~
何かの形で活躍にも影響していますかね?
by okimasa (2012-09-14 10:44)
金本兄貴の記者会見で・・もらい泣き・・・・
寂しい〜〜!^^
by hatumi30331 (2012-09-14 13:57)
どの選手も素晴らしいですよね。
金本選手、44年と言う長きに頑張ったことに
拍手を送りたいですね。
海の向こうで頑張っている選手が辞めないで
DHでやってほしいとエールをおくっていますね。
木村拓也選手にはびっくりするとともに、残された
家族がこれから不安なく生活が出来ることを
願ってやみません。
by yoko-minato (2012-09-14 14:34)
わが家の奥さん、金本が引退発表をした翌日、近くのコンビニに
テイリィースポートを買いに行きましたが、2軒の店に行っても売り切れ
他のスポーツ誌は買わず、手ぶらで帰って来ました
お断りをしておきますが、スーパーで買い物もしてきましたよ(笑)
by koh925 (2012-09-14 14:56)
金本選手、お疲れ様でした。
誰もがいつかは迎えるこの日ですが、44歳ですか。。。
病院に行けたのですね!良かったです^^
坐骨神経痛、お大事になさってくださいね。
by カリメロ (2012-09-14 15:55)
坐骨神経痛ですか~
ウェルカム マイフレンドと言ったら失礼でしょうか^^;
車の運転も気をつけてくださいね。
お大事に~♪
by 美美 (2012-09-14 16:58)
0番物語、懐かしく読ませて頂きました。
キムタクさんは何時までも記憶に残る方ですね!
by 駅員3 (2012-09-14 19:20)
以前、甥っ子が喜ぶので「高い高い」を汗だくで何度もして3日後、
出勤前に鏡を見ながらクシャミをした瞬間、ギックリ腰になりました。
電車の通勤ラッシュが怖くて一週間グリーン車で通勤しました(笑)。
お大事に。
by k_iga (2012-09-14 19:24)
背番号「00」の選手もいましたよね。
「0」よりも「00」のほうが印象が強いんですよね(^^;
by cyano (2012-09-14 19:25)
こんばんは、
腰、お大事になさって下さい。
by Azumino_Kaku (2012-09-14 21:25)
0番というと川相選手しか知りませんでした。
木村拓也選手も0番だったのですね。
坐骨神経痛、お大事になさってくださいませ。
by きまじめさん (2012-09-14 22:47)
私も背番号0といえば,長嶋選手が真っ先に頭に浮かびます.
豆タンクのような体で,でも守備には定評があったような・・・
今は,ロッテのコーチされているんですね.
坐骨神経痛でしたか.無理な姿勢を続けると痛くなるらしいですね.
しばらくは無理なされないのが一番ですよ.
ちなみに,私の腰痛の原因は,数年前に発症したぎっくり腰です(笑)
by 唐津っ子 (2012-09-14 23:37)
腰お大事に。
あまり野球は見ないのですが、金本選手の活躍はなんだか覚えています。
44歳までスポーツ選手として第一線でがんばっていらっしゃったのは、
本当にすごいことだと思います。
by さといも野郎 (2012-09-15 00:08)
金さんお疲れ様でございます~
by macinu (2012-09-15 08:14)
座骨神経痛… いたそうだ…
by ねこじたん (2012-09-15 08:30)
神経痛は厄介ですよね~^^;。
外部から簡単に手当てできないのも辛いですね。
上手に付き合って行くしかなさそうです……。
どうぞご自愛ください(^_-)-☆!
by NONNONオヤジ (2012-09-15 08:30)
本当に偉大なる選手がいなくなる。。。寂しいですね。
くれぐれもお大事にして下さいね。
by seawind335 (2012-09-15 09:47)
おはようございます。アニキの引退は正直寂しいのですが、いつかはそんな時がくるんですもんね・・・^^;涙
by ソニックマイヅル (2012-09-15 09:57)
今はすっかり定着しましたが、0番を初めて見た時は、結構衝撃でした^^;。
そういえば、川相選手も0番をつけてましたっけ?どうも6番の方が印象に
残っています。記憶力のモンダイか^^;?
by sakamono (2012-09-15 13:39)
こんちは~
ぼくは金本の永久欠番に賛成です。
彼以上の功労者は、ここ30年の阪神でいません。
バースくらいかな^^
by don (2012-09-15 14:25)
長嶋・川相ご両人がコーチと監督なんですね
さすがプロ野球を隅々まで語れる銀狼さん!
by たくや (2012-09-15 15:51)
川相昌弘の背番号も0だったっけ・・・記憶にない(^^;
金本選手の引退は残念です。
と言うか、良く44歳までやったと褒めるべきか。
by Aちゃん (2012-09-15 16:26)
二周年の記事にお祝いコメントありがとうございました☆
取り急ぎ・・・(^w^)♫♫♫
by rtfk (2012-09-15 22:44)
アニキの引退は衝撃&おつかれさまでした。。。
年齢的には私と近いですがプロでのスポーツはキツイですよね(汗
坐骨神経痛でしたか、私も去年からです。
お尻が痛くて、なんだか分からないまま腿、ふくらはぎ・・・・
右半分がダメでした、上手く付き合わないと駄目らしいです。
国領辺にある整形?スポーツ選手も通う病院が凄いらしいですよ!
by DON (2012-09-15 23:18)
野球ファンじゃないけど、応援してました。
関西のTVは、野球人を野球人でなくしてしまいます。
金本アニキには、永遠にアニキのままでいて欲しいですぅ。(>_<)
by ちょろっとぶぅ (2012-09-16 08:57)
”0”番といえば長嶋選手の印象が強いです^^。
腰お大事になさってくださいね。
by DEBDYLAN (2012-09-16 09:05)
だいぶ以前、金本選手がオフに通ったトレーニングジムの記事を見たことがありますが、広島から阪神に球団が変っても広島時代のジムに通って鍛えていたそうですが、そんな厳しいオフを経たからこそ、今日まで現役で活躍できたのですね。ご苦労様でした。
by david (2012-09-16 09:31)
私は足掛け3年、腰部椎間板ヘルニアから来る坐骨神経痛持ちです。
ドクターからは、1.私が痩せすぎなこと 2.30代を越えている との理由から完治はないと言われました。
(30代くらいまでならブロック注射や手術、自然治癒などもあるんだとか)
今までに重篤な痛みを4回経験し、仙骨部硬膜外ブロック注射も10回くらい打ってます><
(注射が1度で効かないことが多いんです><)
現在、症状は少し安定しているのですが、投薬による治療も行ってもらっています。
薬を飲むことで、痛みの出る回数も減っていますので、もし痺れや痛みが続くようでしたらドクターに相談されてみてはいかがでしょうか?
ちなみに、処方されている薬はロキソニン、ムコスタ錠、メチコバール、ミオナール、ユベラの5種類です。
坐骨神経痛の痛みが大きくならないよう心からお祈り申し上げます。
by yayu-chang (2012-09-16 23:41)
坐骨神経痛でしたか・・・。腰痛って本当に辛いですね。
でも、あきらめずに完治を目指してくださいね。
by お水番 (2012-09-16 23:54)
皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^
今回もバタバタしてしまい、
きちんとお返しコメントが書けずに申し訳ございません。
腰痛の方は、症状も軽度ですので、かなり回復してきております。
皆さんも体調を崩さぬよう、お気をつけ下さいませ。。。
by 銀狼 (2012-09-17 00:06)