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六月十三日 [三沢光晴さん]

今年も、この日がやってきた。




六月十三日


私にとって、この日は2年前から忘れられない日となった。









三沢11.jpg



私にとっての”リアルヒーロー”であった三沢光晴さんがいなくなった日。


私達ファンに何も告げずに旅立った三沢さん。


何の前触れもなく、突然姿を消してしまった三沢さん。








早いもので、あれから2年が経った。

三回忌である。



2年前のあの当日は、ひたすら悲しみにくれていた。

自分の中で、色んな思いが爆発しそうになり、
それを吐きだすために怒涛の更新を繰り返していた。



昨年のこの日は、三沢さんへの手紙をしたためてみた。

自分の気持ちを整理するために。

http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-06-12



また、昨年のプロレスリング・ノア創立10周年の日には、
私なりに感じていた三沢さんの人間性を語らせてもらった。

http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-08-04






さて、この三回忌においては、
今一度、プロレスラー三沢光晴の戦いぶりを皆さんに知って頂きたく、
簡単にではあるが、三沢さんの戦いぶりを振りかえってみようかと思う。




1981年 栃木・足利工大附属高校を卒業し、全日本プロレスに入門した三沢さん。

レスラーとしては小柄な部類に入る三沢さんだったが、
中学時代に器械体操の経験もあったため、身のこなし方に関しては
他のレスラーに比べて、一日の長があった。

もちろん、肝心のレスリングにおいても数々の実績を残しており
大いに将来を期待されての入門であった。


そんな三沢さんは、早速全日本プロレス内で頭角を現す事に。

当時、若手同士で行われた「ルーテーズ杯」において大活躍。
決勝では越中詩郎(「アメトーク」においてケンコバが有名にしましたね^^)に敗れはしたものの、
見事準優勝を飾り、越中と共にメキシコに渡って武者修行を行う。

三沢・越中.jpg


メキシコでの長期修行を覚悟していた三沢さんだったが、
意外と早くに日本でのチャンスが訪れた。

但し、「三沢光晴」としてではなく、2代目「タイガーマスク」としてだった。

器械体操で得た身体能力やレスリングの素質の高さに着目していた、馬場さん直々の要請であった。


三沢タイガー.jpg


こうして、2代目タイガーマスクとして、改めてデビューを果たした三沢さんであったが、
ここからしばらくは苦難の連続となるのであった。


初代であった佐山聡と常に比較をされ続ける日々。

で、言われたのは「佐山には敵わない」

全日本のリング上にて、それなりに実績を積み重ねても
決して佐山より高評価になる事はなかった。

「所詮は、二番煎じ」

これが三沢タイガーの評価である。


そこで初代・佐山タイガーとの差別化を図るべく、
体重を増やして、階級をヘビー級に上げることに。

飛べるヘビー級のマスクマンとしての活躍を期待されるも、
体重増の上での空中殺法による負担は大きく、左膝前十字靱帯断裂を引き起こし、
長期離脱を余儀なくされてしまう。

上記の故障から復帰後も精彩を欠く試合ぶりが多く、
当時の若手レスラー同士で「決起軍」なるユニットを組んだりもしたのだが、
馬場さんからは「一人一人が全然立ちあがれていないのに、何が決起軍だ」と
お叱りを頂き、即解散の憂き目に。。。



そんな苦しい道程であった三沢さんに、一つの転機が訪れる。



1990年 メガネスーパーがプロレス業界に参入、新団体「SWS」の結成を発表する。

潤沢な資金にモノを言わせ、
全日本や新日本のレスラー達に対して引き抜きを行ったのだが、
特に全日本はエース格であった天龍や人気者ザ・グレート・カブキなどを獲られてしまい、
団体存立の危機に立たされることに。

この危機に立ちあがったのが、三沢さんの他、川田・小橋などの若手レスラーである。

馬場さんやジャンボ鶴田さんという2枚看板は健在だったものの、
その後に続くレスラーがいなくなったことにより、若手の早期育成が求められる中、
上の世代を超えてやるという意味で「超世代軍」という名前をユニットを結成。

ついには、難攻不落とまで言われたエース・ジャンボ鶴田さんを
シングルマッチで破る快挙を成し遂げる。

それも、今までのレスラー生活で一度もギブアップした事がなかった鶴田さんに対して、
フェイスロック(顔面絞め)という技でギブアップを奪うのである!

三沢14.jpg



これで、三沢さんは全日本の次期エース候補として、
一気に名を挙げたのである。

しかし、前述の膝の故障の影響の他にも肘などの故障も発生する事が多くなり、
「ガラスのエース」と揶揄されるなど、まだ苦しい道程が続いていた。

だが、そんな故障の連続にもめげることなく、
三沢さんは全力ファイトで一番会場を湧かせるレスラーとなっていくのである。

折しも、当時の全日本プロレスにおいては、
馬場さんが凶器攻撃や流血・リングアウトなど、従来のプロレスで評判の悪かった行為を排除し、
3カウントでの完全決着というスタイルを標榜するようになったため、
三沢さん達の全力ファイトは、全日本のリングのみならず
業界内で大きな話題を呼ぶ事となるのである。


その後、エースであったジャンボ鶴田さんが肝炎を発症し、第一線からの離脱を余儀なくされてしまい、
三沢さんは名実共に全日本プロレスのエースに登り詰める。

同志であった川田・小橋との激闘は、今思いだしても身震いするほどの内容ばかり。

観客満足度なんて数値がはじき出せるのであれば、
当時の全日本は間違いなく、ぶっちぎりのナンバー1であったと言えるだろう。

三沢15.jpg

三沢16.jpg



また、日本人同士のみならず、
小さな身体で大きな外国人レスラーに立ち向かい、次々と打ちのめしていく様は
我々を大いに感動させてくれたものだった。

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こうして全日本どころか、プロレス界のエースとなった三沢さんだったが、
師匠・馬場さんの逝去に伴い、全日本プロレス社長にも就任。

しかし、実質オーナーであった馬場夫人・元子さんとの折り合いは悪く、
ついには全日本プロレスを退団し、自らの団体を立ち上げる事となる。。。
(詳しくは、前述の過去記事にかいてあります)



自分のみならず、全日本プロレスで起きた問題からレスラー達を救うべく、
旧約聖書の「ノアの方舟」にちなんで名付けられた団体名は「プロレスリング・ノア」


その団体では、自らの理想・信念を具現化するべく、様々なチャレンジをしていく。

全日本時代は、馬場さんの方針もあって「鎖国」化を図っていたため、
他団体との交流が出来ない状況であったが、
自らの団体においては、他団体とも積極的に交流を図るようになり、
次から次へと”夢のカードが実現されたのである。


最大のライバル関係であった、新日本プロレス「闘魂三銃士」達との
待ち望んでいた対戦の実現には、我々ファンも大興奮であった。

三沢12.jpg

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三沢08.jpg




そして、決別したはずの天龍との再戦も。。。

三沢10.jpg



常に比較され続け、苦しんでいた初代タイガーマスクとの対戦には驚かされた。
互いに全盛期を越えてはいたものの、実にワクワクさせられたものである。

三沢06.jpg




そして、私が一番シビれたのは、「禁断の一戦」とまで言われた
あの小川直也との遭遇である。

三沢05.jpg


当時は、プロレスのみならず総合格闘技のリングにおいても強さを発揮していた小川に対して、
全くつけ入る隙を与えなかった三沢さんの戦いぶりを見て、
我々ファンは「三沢さんこそ最強」とまで思ったものである。




こうして、たくさんの夢を与えてくれた三沢さんだったが、
全日本時代からの激闘のツケは身体に蓄積され続けていた。。。

そのツケが、一昨年の今日、広島のリング上にて一気に出てしまう事に。。。



一時期、三沢さんの全力スタイルが一部のプロレスファンの間で、
大仁田厚の「電流爆破マッチ」をもじり「脳天爆破マッチ」と揶揄された事が。

毎試合、三沢さんや対戦レスラー達は脳天から真っ逆さまに落ちる事が多く、
「あまりにも危険だ」と言われていたのだが、三沢さん達は決してそのスタイルを変える事はなかった。


「プロレスなんて、八百長でしょ」

「あんなのはヤラセなんだよ」

こういった世間のプロレスに対する風評に人一倍敏感だった三沢さん。



だったら、そう言わせないような試合をすればいい。

その思いが、毎試合の如く危険な技を繰り返す事へと繋がる。


しかし、皮肉にもその結果が自分の寿命を縮めるはめに…



今のプロレス界においても、
その三沢さんが築き上げたスタイルは継承されている。

当時より受け身の技術なども発達し、危険度は少なくなっているとは言われているが…


でも、過激な試合が多くなっていても、
一般の方々のみならず、我々プロレスファンの心にも響く試合は少なくなっている。


我々ファンが三沢さんから教えられたのは、

折れない心の強さであり、どんな逆境に置かれても決して諦めてはいけないという事。
諦めなければ必ず自分の思いは達成出来るという事。


ただ、派手な技を繰り返すだけでは、何も伝わらない。何も心に響かない。



三沢さん亡き後のプロレス界の現状…

今のままでは、あの世で三沢さんは悲しむだけだ。


プロレス界に限らず、何をすれば人の心に響くのか、人の心を動かすことが出来るのか
それを三沢さんの命日に改めて考えてみるのもいいだろうと思う。

マイナーなカテゴリーに属していた三沢さんであったにも拘わらず、
「お別れの会」に集まった人は26,000人。

これだけ多くの人を動かせる三沢さんの生き方に学ぶことは山ほどある。



私自身、六月十三日という日には、
三沢さんを振り返りながら、自らの生き方を改めて考え直すようにしていこうかと。。。



いつまでも、三沢光晴は私にとっての”ヒーロー”なのだから…


三沢09.jpg




最後におまけとして、
実はかなりお茶目なキャラクターでもある三沢さんの一面を。。。




※13日は、函館日帰り出張(涙)のため、皆様のところへのご訪問やコメント返しが遅くなると思われます。悪しからずご了承下さいませ。。。
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ヤッさんパパ

もう2年経つんですね・・
このニュースは衝撃過ぎて最近の出来事の様な気がします。

いくつもの苦難を乗り越えて
本当に名勝負を作ってきてくれた方ですから残念でなりません。
受身がうまくて、いくら技を受けても立つ姿は不死身ではないか?
っと勘違いしてしまうほどでしたが、無理されていたんですね。
(バーニングハンマーを受けた時は鳥肌立ちました)
三沢さんが残したプロレスをもう一度盛り上げて欲しいです。
by ヤッさんパパ (2011-06-13 00:58) 

(。・_・。)2k

早いですね~
ホントショッキングなニュースでした
by (。・_・。)2k (2011-06-13 01:25) 

1969kana

もう2年経ちましたか…この間の事故のような気がしています。
プロレスのときは超真剣!!そのものでしたが、CMなどではお茶目な面も見せてくれましたよね。
亡くなったのは本当に残念です。
by 1969kana (2011-06-13 01:31) 

hirochiki

三沢さんは、嵐のように一気に人生を駆け抜けてしまわれたようですね。
私が子供の頃は、父が好きだったこともありプロレスはよくTVで観ていましたが、また盛りあがってくれると良いと思います。
函館日帰り出張お疲れ様です。お気をつけてお出かけ下さい。

by hirochiki (2011-06-13 05:53) 

美美

体力面だけでなく、プロレス界を背負っていかなければという
重圧もすごかったんでしょうね。
ただどんな時も前向きな精神を貫いたことは
これからもファンのみなさんの心に引き継がれていくことでしょうね。
日帰り出張、お気をつけて(^^)/
by 美美 (2011-06-13 07:16) 

末尾ルコ(アルベール)

本当に過酷なプロレスをしていましたね。
全日本の解散は残念でした。

                            RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2011-06-13 07:39) 

akahara

もう2年前ですか・・・。私もファンでしたのでショックでしたよ。。。
初めて三沢さんを知ったのはタイガーの頃、その後三沢さんとしての活躍も
TVで見てましたが、いつの間にかTV放送も終わり、見なくなりました。。。
記事を拝見して色々な人間模様があった方だったんだと改めて思いました。
過去の記事も拝見させていただき、ちょっとウルッとしてしまいましたよ(泣)
by akahara (2011-06-13 08:11) 

erucat

銀狼さん おはようございます^^

銀狼さんは人や物の見方が深く熱いですよね^^
どれだけ三沢さんを好きか伝わってきますよ!
聖子さん 野球 車どれも手抜きがない 素晴らしい♪
最後の写真とてもよいですね 似てますし・・^^

by erucat (2011-06-13 08:41) 

rtfk

おはようございます。
あの日は広島の街がなんとなく沈んでいたように思えます。
大学病院の前にはファンの方々が集まっておられたそうです。
多くの方に愛されていた三沢さんのご冥福をお祈り申し上げます。
うちのメンバーの一人は数日間仕事になりませんでした。。。
by rtfk (2011-06-13 09:07) 

masalin6412

おはようございます。
読ませて頂きました。銀狼さんにとって
三沢さんは永遠のヒーロー。
心に刻まれているんですね…
ってか、出張気をつけて行ってきてくださいね。

by masalin6412 (2011-06-13 09:58) 

ソニックマイヅル

三沢選手は私にとってヒーローです。今でも、もちろん試合のVとか観ております。^^;
by ソニックマイヅル (2011-06-13 11:55) 

たくや

月日の流れるのは早いですが
思い出は一生忘れませんね。
by たくや (2011-06-13 15:40) 

ろーるけーき

もう 3回忌なんですね
初代タイガーマスクは 今までのプロレスになかった
ミルマスカラスの空中殺法を超える
四次元殺法で センセーショナルでしたからね
当時で 言えば 原さんが長島さん 王さんと比べられるのと
一緒でしたから かわいそうでしたよね
いまごろは 天国で 馬場さんとか橋本さんとか
いろんな 時代のスーパースターたちと 戦ってるんでしょうね
by ろーるけーき (2011-06-13 15:53) 

cuwinbe

わたしにとってもヒーローです・・・。


by cuwinbe (2011-06-13 18:45) 

haku

銀狼さんの魂のこもった記事、素晴らしいです!!
by haku (2011-06-13 21:23) 

vega

もう一度、胸ときめかせたあの頃のプロレスを観たい…と思います。
三沢さん、馬場さん、鶴田さんも…きっと…。
by vega (2011-06-13 21:43) 

marverick

私も全日よく見ていましたので、三沢さんファンの一人です。
銀狼さんの熱い思いを読み、またあの頃のバウトを見たくなりました!

by marverick (2011-06-13 22:33) 

唐津っ子

あれから2年ですか・・・
月日のたつのは早いですね.

私は三沢さんや橋本真也らの遺志を継ぐ
新たなプロレスヒーローの誕生を待ちたいです.
三沢さんたちもそれを願っているのでは・・・
by 唐津っ子 (2011-06-13 23:00) 

tama

三沢光晴さん、台湾のプロレス番組では古いフィルムを放送しているので、よくお顔をお見かけします。
記事を読ませていただき、戦いのみならず、生き方も素敵な方だったと認識させていただきました。
by tama (2011-06-13 23:06) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます。

>ヤッさんパパさん
私も同じように、まだ昨日の事のような気がしております。
受け身の天才と称された三沢さんでしたが、逆に上手だった分、
受けてしまう事が多くなり、ダメージが蓄積されてしまったんでしょうね。。。
三沢さんの「魂」のプロレスをしっかり受け継いでくれるレスラーが出てくるのを
期待してやみませんね。。。

>(。・_・。)2kさん
決して大袈裟ではなく、
私の人生の中で一番ショッキングな出来事でした…

>1969kanaさん
リング上では「鬼神」と言われる表情でしたが、一歩リングを降りれば、
気さくでちょっとエロいアニキ(苦笑)って感じが良かったんですよね。。。
自分の中では整理をつけたつもりでいるのですが、
こうして三沢さんの事を思いだすと、やはり悲しさばかりが…(涙)

>hirochikiさん
まさに「太く短い」人生だったように思います。
そして、その人生の中身はとても濃いものだったことでしょう。
三沢さんを悲しませないためにも、プロレス界全体に再び隆盛が訪れる事を
願ってやみません。。。
お気遣い頂き、ありがとうございます^^

>美美さん
肉体的にも精神的にも、相当きつかったはずだと思われます。
でも、絶対に弱い部分を我々には見せなかった三沢さん。
ひたすら寡黙な逞しさだけを見せ続けた三沢さん。
こうして思いだしても頭が下がる思いです。。。
お気遣い頂き、ありがとうございます^^

>末尾ルコ(アルベール)さん
まさに「過酷」の一言に尽きますね。
自分の命を落とすほどなんですからね…
残念でなりません。。。

>akaharaさん
三沢さんのファンでいらっしゃいましたか!
それは実に嬉しい限りです^^
わずか46年の人生でしたが、我々には想像もつかないほど
激動の人生だったと思います。
三沢さんが自分自身の命を以って教えてくれた事を
しっかりと自分の中に刻み込んでおきたいと思っております。

>erucatさん
こんばんは^^
自分自身で言うのもなんですが、ちょっと暑苦しい感じもありますよね^^;
でも、三沢さんという人を知れば知るほど、その男気に惚れてしまいます。
私の場合は三沢さんに限らず、好きになったモノをとことん知りたいと
思ってしまうので、ついつい掘り下げてしまうんですよね^^;
多分、一生こんな感じなんだと思います^^;

>rtfkさん
こんばんは^^
私も出来る事なら、広島に飛んでいきたい気持ちでいっぱいでした…
もし、これから広島にお伺い出来る機会が出来れば、
必ず広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)を訪ねてみたいと思っております。
私も、当時は悲しみを隠すのに必死でしたね…
出来るだけ一人で外出する事ばかりしていたものです。
仕事する気になれなくて…

>masalin6412さん
こんばんは^^
色々と好きな人・好きなモノがありますが、
「ヒーロー」と呼べる人は三沢さんだけ。
ガキだと思われようが構わないんです。それほど憧れの存在でしたから…
お気遣いありがとうございます。

>ソニックマイヅルさん
私は逆に、あの出来事以来、三沢さんの試合のVなどを観ていないんです。
ちゃんと観れるようになるには、もう少し時間が必要かも…

>たくやさん
時間が経つ毎に、
より深く自分の中に刻み込まれる感じがしますね。。。

>ろーるけーきさん
ジュニアの世界では、佐山を越えるようなレスラーは現れないでしょうね。
ずっと全日本・NOAHファンの私ですが、それは認めざるを得ません。
マスクを脱いで、タイガーの呪縛から解き放たれた事は大きかったですね。
あの世でも、橋本真也さんから対戦要求されているのかな…

>cuwinbeさん
そうでしたか。。。
同じ思いの方がいて下さって嬉しい限りです^^

>hakuさん
もう、なんか好きなモノになると前のめりになっちゃうんですよね^^;
駄文にお付き合い頂き、ありがとうございます^^

>vegaさん
馬場さんがいて、鶴田さんがいて、そして三沢さんが…
本当に素晴らしい時代でしたね。。。
馬場さんの大陸的な試合ぶり。
鶴田さんの怪物の如きスタミナと強さ。
三沢さんの華と凄みを併せ持った戦い。
全てに心を躍らせておりました。。。

>marverickさん
こちらにも、三沢さんファンの方が!
実に嬉しい限りです^^
三沢さんの試合は全てがベストバウトと言ってもいいくらいですよね^^

>唐津っ子さん
そうなんですよねぇ。
本当なら、既に三沢さんや橋本さんにとって代わるスターが出てきていなければ
ならないんですが…
今でも武藤や蝶野・健介や小橋に敵わない若手ばかり…
更なる奮起を期待したいものですね。

>tamaさん
そうなんですか!
ん~、台湾のプロレス番組を観てみたいです^^;
レスラー云々ではなく、本当に人間として素晴らしい方でした。
だからこそ、ヒーローと呼ばせて頂きたいのです。。。
by 銀狼 (2011-06-13 23:35) 

くまら

三沢さん大好きでした
タイガーマスクでやってた頃も
佐山氏とのギャップもありましたが
やっぱり格好良かったですよね
by くまら (2011-06-14 00:20) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>くまらさん
佐山タイガーと比べてしまうと厳しいところはありましたが、
体格が佐山よりも大きい分、飛ぶ姿は見栄えしましたよね^^
そのタイガー時代に編み出した「タイガードライバー」は、
プロレス史上に残る素晴らしい技でした。。。
by 銀狼 (2011-06-14 00:33) 

カリメロ

プロレスファンではなくても、三沢さんのご活躍は存知あげています。
友人も大ファンです。
ご冥福をお祈り申しあげます。
by カリメロ (2011-06-14 01:11) 

ゆうのすけ

三回忌ですもんね。早いですね。。。
昭和が だんだん遠くなって行くのも 納得してしまいます。
同じだけ時間が流れているはずなのに 旅立たれた方は 異様にその時間の流れが早く進んでるように感じてしまいます。


by ゆうのすけ (2011-06-14 01:32) 

kawasemi

niceありがとうございました。
6月早めの尾瀬は小屋も空いていて狙い目。
ただし残雪には注意ですね。
by kawasemi (2011-06-14 11:53) 

JUN

プロレスに詳しくはなくても三沢さんは知っていたので、亡くなった時は
ショックでした。真剣に戦っていた結果なのですね。
バラエティー番組に出ていた三沢さんの印象の方が強いかな^^
by JUN (2011-06-14 14:42) 

みうさぎ

まあ~素晴らしい~2代目タイガーマスク・・・フムフム~
こう~熱きファンに見守られ~三沢さんは~幸せだ~^^v
後世にも語りついて欲しいなぁ
ごめん~あんまり知らなくて・・・馬場さんとか猪木とか木村とかビューティーペア
蝶野が関の山~子供の頃良く見てたんだけどねっ~m(__)m
なんで~タイガーマスクが アニメの奴が出てくるのか
不思議でならなかった・・・な・・・ご冥福を・・・・
by みうさぎ (2011-06-14 15:03) 

takeoseven

ゴールデンタイムでプロレスが放映されていた時は
ご飯を食べるのもそこそこでプロレスを夢中で見ていたのを覚えてます。

今でも三沢選手のタイガーマスクの勇姿は忘れられません。

ご冥福をお祈りします。
by takeoseven (2011-06-14 18:32) 

sonic

亡くなって2年経つんですね。
たまに海外のプロレスも観ますが、
三沢さん以上に強烈なエルボーを放つレスラーは見かけないです。
by sonic (2011-06-14 19:25) 

C-Boy

このblogの2年前の6月13日近辺の記事をあえて読ませて頂きました。
銀狼さんの「魂の叫び」とも取れるような、更新が目を引きました。
人間は亡くなってからは、時がたつのが早いものですね。
うちの親父も昨年末に3回忌法要をやったばかりですが、会った人みんなに「早いねえ」と言われたものでした。
by C-Boy (2011-06-14 20:15) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>カリメロさん
ご友人のように、三沢さんを思い続けていて下さる方が多いのは、
私も本当に嬉しい限りです。。。

>ゆうのすけさん
そうですよねぇ。。。
本当に旅立たれた方の時間って早いなぁと思います。
私にとってのヒーローであった三沢さんですので、これからも毎年この日には
三沢さんを語り続けていきたいと思っております。。。

>kawasemiさん
いつもありがとうございます。

>JUNさん
リングの上の三沢さんは、寡黙ですが逞しく鋭い刃を持った感じでした。
しかし、バラエティでの三沢さんは…エロ社長呼ばわりでしたよね^^;

>みうさぎさん
詳しくない話題にお付き合い頂き、ありがとうございます^^
こうして、三沢さんがどれほど凄いレスラーで、
どれほど素晴らしい人間性を持っていたのかを知って頂ければ幸いです^^

>takeosevenさん
私もまったく同じクチでした。
特に馬場さんの全日本が土曜8時になった時は、
裏番組との兼ね合いで大変だったのを憶えております^^

>sonicさん
ヘビー級としては小柄な三沢さんが、巨体を誇るレスラーを相手にするために
編み出したのが「エルボー」でした。
シンプルでしたが、威力は半端ないものでしたよね^^

>C-Boyさん
あの時は、動転し狼狽してばかりの状態でしたから、
さぞかし酷い内容だったと思いますので、お恥ずかしい限りです^^;
ただ、どこにも思いをぶつける事が出来ずに、ひたすらPCに向かって
キーを叩き続けておりましたね。。。
人がなくなってからの時間って、本当に早く感じますよね。。。

by 銀狼 (2011-06-14 23:25) 

yuuri37

プロレスは、まったく知らない世界なのですが、銀狼さんのブログで1年前にこのことを知って、もう1年経つんですね。何とも言えないですね・・・
by yuuri37 (2011-06-14 23:54) 

しげ

もう2年ですか、早いですね。
今こそこのような人が現れて欲しいものです。
いつまでも忘れられないように語り継いでいきましょう。
by しげ (2011-06-15 00:12) 

銀狼

皆さん、いつもご来訪頂きましてありがとうございます^^

>yuuri37さん
1年前の記事もお読み頂き、ありがとうございました。
「人が亡くなる」という事に関しては、私にとって一番辛い出来事でした…

>しげさん
以前の記事にも書いたのですが、
三沢さんが亡くなった際に、徳光さんが「彼には政治家になって欲しかった」
とコメントしておりました。
それほどまでに信頼のおける人物だったのでしょう。
こういう方が一人でも多く現れる事を願ってやみません。。。
by 銀狼 (2011-06-15 02:00) 

Mark

もう二年になるのですね。。。早いなぁ

僕の青春時代のヒーローですよ。
寝る間も惜しんで夜中にテレビを観ていたのを思い出します。
by Mark (2011-06-15 11:31) 

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