くーぺさんよりご提供^^ (くーぺさんのブログはこちらから^^)
あぁ、思ひ出のレスラー達<その9~人間風車よ永遠なれ> [プロレス]
すっかり姿をくらまして、一部の方から捜索願いが出されていた(苦笑)銀狼でございます^^;
いやいや、ホントご無沙汰してしてしまいまして・・・(汗)
たくさんの方からご心配のメールを頂いておりましたが、
おかげさまで元気でやっております^^
なかなか返信出来ず申し訳ございません<(__)>
北の大地で狼は吠えまくっておりますのでご安心を(笑)
まぁ、時期が時期なもので、公私共に何かと気忙しい状況になってしまい、
ブログにログインすらしていない有様に・・・(汗)
何とか今月中旬には落ち着くのではないかと思いますが、
徐々に活動再開としていきたいと思っております。
さて、しばらくご無沙汰していた間にも書きたいネタは溜まる一方でございました。
でも、もう賞味期限が切れてしまったネタも多くて、ちょいと困ったなぁと^^;
そんな中、私的にはどうしても触れておきたい出来事があったので、
久々の更新ネタに取り上げてみることに致します。
ちょっと残念な話題且つ
こちらにご来訪頂く皆様の殆どがついていけないネタになるのですが・・・
あまり突っ込んだ内容にはしないつもりですが、それでもコメントしづらいネタなので
思いっきりスルーして下さって構いませんよ^^
3月3日
昭和のヤンチャ小僧達のヒーローであった方がこの世を去ってしまいました。
昭和の名レスラー ビル・ロビンソンさん
享年75歳でした。
力道山時代から数多くの名だたる外国人レスラーが来日して
我々プロレスファンを楽しませてくれましたが、その外国人レスラーの殆どが「悪役」扱いでした。
力道山は戦後の我が国の復興の姿に合わせて、
”日本人”がアメリカを始めとする外国人レスラーをなぎ倒していくという図式を取ることで
戦争敗戦国となってしまった我が国が抱いていた「コンプレックス」を払拭させたわけです。
身体の大きな外国人を力道山がバッタバッタと倒していく姿に日本国民は勇気付けられ、
一大プロレスブームを巻き起こしていきました。
日本人=善 外国人=悪という図式を作り、日本人が好む勧善懲悪の世界観をリングに持ち込んだわけです
力道山亡き後、70年代のプロレス界は馬場さん・猪木を中心としてブームを維持していったのですが、
外国人レスラーに関しては、ちょっと立ち位置が変わってきつつありました。
「ヒール=悪役」一辺倒だったのが、
「ベビーフェイス=善役」として人気を誇る外国人レスラーが増えてきたのです。
”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスや
”グレートテキサン”ドリー・ファンクJr.と”テキサスブロンコ”テリー・ファンク兄弟のザ・ファンクス
そして、今回ご紹介するビル・ロビンソンさんがその代表的な例でしょう。
煌びやかなマスクとコスチュームに身を包み、リング中を華麗に飛び回ったマスカラス
冷静沈着な兄ドリーと気性の荒い弟テリーのザ・ファンクスは、
我々が感情移入しやすい激しい戦いぶりで多くの日本人ファンを虜にしました。
そして、ビル・ロビンソンさんが人気を博したのは、プロレスラーとしての純粋なテクニックでした。
外国人レスラーといえばアメリカやメキシコが主流だったのですが、ロビンソンさんはイギリス出身
イギリスはウィガンにあるビリー・ライレージム(通称:蛇の穴)にてレスリングを習得しました
日本人がそれまであまり触れた事のない
イギリス流の「ランカシャースタイル」を持ち込んだのがロビンソンさんなのです。
※グラウンドでの関節技の応酬やスープレックス系の投げ技を中心に試合を組み立てるスタイル(アマレスに近いスタイル)
そんな中で、ロビンソンさんの名を知らしめたのがこの技
ダブルアーム・スープレックス
通称”人間風車”と名づけられたこの技
こんな体制で投げられたら、そりゃあ相手はたまったもんじゃありません(笑)
初めて見るスープレックスの威力の凄さと華麗な投げっぷりは大きな話題になります。
国際プロレス(現在は消滅)にてストロング小林と
新日本プロレスにてアントニオ猪木と
全日本プロレスにてジャイアント馬場さん・ジャンボ鶴田さんと
各団体のエースレスラーの良きライバルとして、好勝負を繰り広げたロビンソンさん
テレビの前でアホ面こいて試合を眺めていたガキんちょの私も、
このロビンソンさんのそれまでの外国人とは違ったクリーン且つ華麗なファイトに惹かれ、
初めて外国人レスラーのファンになったのです。
ニコ動のコメントは右下の「・・・」をクリックすると消えます
イギリス・アメリカそして日本でトップレスラーとして活躍したロビンソンさん
引退後は、しばらくガードマンの仕事をされていたようですが、
日本中を虜にしたテクニックを買われ、日本に定住しレスリングを教えていた時期もありました。
1999~2008年まで高円寺に住んでいたそうです
日本のマット界に多くの功績を残してくれた方であり、
私自身も大ファンであっただけに、今回の訃報はなまらショックを受けております。。。
そして、訃報続きとなってしまいますが、
先月15日にもプロレス界で名を馳せた方がこの世を去ってしまいました。
プロレスリング・ノアのリングアナウンサーであった仲田龍さん
享年51歳という若さでした。
全日本プロレスにおいて、リングアナのみならず馬場さんの懐刀として活躍
和田京平レフェリーとのコンビは「馬場さんにとっての助さん格さん」とまで言われておりました
そして馬場さん亡き後は、仲の良かった三沢さんを支えプロレスリング・ノアの立上げに尽力
長らく全日本プロレスを見続けてきた私にとっては、仲田さんの訃報にもショックを受けております。
馬場さん・鶴田さん・三沢さん・レフェリーのジョー樋口さん
そして仲田龍さん
私が子供の頃から見てきた全日本プロレスの主要人物がみんな亡くなってしまいました。
斜陽の時期をなかなか脱せないでいる日本のプロレス界において、
このお二方を失ってしまったのは、あまりにも大き過ぎる損失です。
本当に残念ではありますが、これからは高いところから、
日本プロレス界の復興を見守って頂きたいと願うばかりです。
古き良き時代の昭和のプロレスの象徴がどんどんいなくなってしまうなぁ。。。(涙)
合掌
最後にロビンソンさんのテーマソング「人間風車のテーマ」を貼っておきます。
元々の曲名は「BLUE EYED SOUL」カールダグラスという人の曲です。
次回更新は3月10日 今度はいつものようにノーテンキなネタでいきます^^;
皆様のところへ訪問も徐々に行って参りますのが、ちょっと時間がかかるかと。。。
また、ご挨拶のみで失礼する事が多いかと思います。何卒ご了承下さいませ。。。
いやいや、ホントご無沙汰してしてしまいまして・・・(汗)
たくさんの方からご心配のメールを頂いておりましたが、
おかげさまで元気でやっております^^
なかなか返信出来ず申し訳ございません<(__)>
北の大地で狼は吠えまくっておりますのでご安心を(笑)
まぁ、時期が時期なもので、公私共に何かと気忙しい状況になってしまい、
ブログにログインすらしていない有様に・・・(汗)
何とか今月中旬には落ち着くのではないかと思いますが、
徐々に活動再開としていきたいと思っております。
さて、しばらくご無沙汰していた間にも書きたいネタは溜まる一方でございました。
でも、もう賞味期限が切れてしまったネタも多くて、ちょいと困ったなぁと^^;
そんな中、私的にはどうしても触れておきたい出来事があったので、
久々の更新ネタに取り上げてみることに致します。
ちょっと残念な話題且つ
こちらにご来訪頂く皆様の殆どがついていけないネタになるのですが・・・
あまり突っ込んだ内容にはしないつもりですが、それでもコメントしづらいネタなので
思いっきりスルーして下さって構いませんよ^^
3月3日
昭和のヤンチャ小僧達のヒーローであった方がこの世を去ってしまいました。
昭和の名レスラー ビル・ロビンソンさん
享年75歳でした。
力道山時代から数多くの名だたる外国人レスラーが来日して
我々プロレスファンを楽しませてくれましたが、その外国人レスラーの殆どが「悪役」扱いでした。
力道山は戦後の我が国の復興の姿に合わせて、
”日本人”がアメリカを始めとする外国人レスラーをなぎ倒していくという図式を取ることで
戦争敗戦国となってしまった我が国が抱いていた「コンプレックス」を払拭させたわけです。
身体の大きな外国人を力道山がバッタバッタと倒していく姿に日本国民は勇気付けられ、
一大プロレスブームを巻き起こしていきました。
日本人=善 外国人=悪という図式を作り、日本人が好む勧善懲悪の世界観をリングに持ち込んだわけです
力道山亡き後、70年代のプロレス界は馬場さん・猪木を中心としてブームを維持していったのですが、
外国人レスラーに関しては、ちょっと立ち位置が変わってきつつありました。
「ヒール=悪役」一辺倒だったのが、
「ベビーフェイス=善役」として人気を誇る外国人レスラーが増えてきたのです。
”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスや
”グレートテキサン”ドリー・ファンクJr.と”テキサスブロンコ”テリー・ファンク兄弟のザ・ファンクス
そして、今回ご紹介するビル・ロビンソンさんがその代表的な例でしょう。
煌びやかなマスクとコスチュームに身を包み、リング中を華麗に飛び回ったマスカラス
冷静沈着な兄ドリーと気性の荒い弟テリーのザ・ファンクスは、
我々が感情移入しやすい激しい戦いぶりで多くの日本人ファンを虜にしました。
そして、ビル・ロビンソンさんが人気を博したのは、プロレスラーとしての純粋なテクニックでした。
外国人レスラーといえばアメリカやメキシコが主流だったのですが、ロビンソンさんはイギリス出身
イギリスはウィガンにあるビリー・ライレージム(通称:蛇の穴)にてレスリングを習得しました
日本人がそれまであまり触れた事のない
イギリス流の「ランカシャースタイル」を持ち込んだのがロビンソンさんなのです。
※グラウンドでの関節技の応酬やスープレックス系の投げ技を中心に試合を組み立てるスタイル(アマレスに近いスタイル)
そんな中で、ロビンソンさんの名を知らしめたのがこの技
ダブルアーム・スープレックス
通称”人間風車”と名づけられたこの技
こんな体制で投げられたら、そりゃあ相手はたまったもんじゃありません(笑)
初めて見るスープレックスの威力の凄さと華麗な投げっぷりは大きな話題になります。
国際プロレス(現在は消滅)にてストロング小林と
新日本プロレスにてアントニオ猪木と
全日本プロレスにてジャイアント馬場さん・ジャンボ鶴田さんと
各団体のエースレスラーの良きライバルとして、好勝負を繰り広げたロビンソンさん
テレビの前でアホ面こいて試合を眺めていたガキんちょの私も、
このロビンソンさんのそれまでの外国人とは違ったクリーン且つ華麗なファイトに惹かれ、
初めて外国人レスラーのファンになったのです。
ニコ動のコメントは右下の「・・・」をクリックすると消えます
イギリス・アメリカそして日本でトップレスラーとして活躍したロビンソンさん
引退後は、しばらくガードマンの仕事をされていたようですが、
日本中を虜にしたテクニックを買われ、日本に定住しレスリングを教えていた時期もありました。
1999~2008年まで高円寺に住んでいたそうです
日本のマット界に多くの功績を残してくれた方であり、
私自身も大ファンであっただけに、今回の訃報はなまらショックを受けております。。。
そして、訃報続きとなってしまいますが、
先月15日にもプロレス界で名を馳せた方がこの世を去ってしまいました。
プロレスリング・ノアのリングアナウンサーであった仲田龍さん
享年51歳という若さでした。
全日本プロレスにおいて、リングアナのみならず馬場さんの懐刀として活躍
和田京平レフェリーとのコンビは「馬場さんにとっての助さん格さん」とまで言われておりました
そして馬場さん亡き後は、仲の良かった三沢さんを支えプロレスリング・ノアの立上げに尽力
長らく全日本プロレスを見続けてきた私にとっては、仲田さんの訃報にもショックを受けております。
馬場さん・鶴田さん・三沢さん・レフェリーのジョー樋口さん
そして仲田龍さん
私が子供の頃から見てきた全日本プロレスの主要人物がみんな亡くなってしまいました。
斜陽の時期をなかなか脱せないでいる日本のプロレス界において、
このお二方を失ってしまったのは、あまりにも大き過ぎる損失です。
本当に残念ではありますが、これからは高いところから、
日本プロレス界の復興を見守って頂きたいと願うばかりです。
古き良き時代の昭和のプロレスの象徴がどんどんいなくなってしまうなぁ。。。(涙)
合掌
最後にロビンソンさんのテーマソング「人間風車のテーマ」を貼っておきます。
元々の曲名は「BLUE EYED SOUL」カールダグラスという人の曲です。
次回更新は3月10日 今度はいつものようにノーテンキなネタでいきます^^;
皆様のところへ訪問も徐々に行って参りますのが、ちょっと時間がかかるかと。。。
また、ご挨拶のみで失礼する事が多いかと思います。何卒ご了承下さいませ。。。