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あぁ、思ひ出のレスラー達<その9~人間風車よ永遠なれ> [プロレス]

すっかり姿をくらまして、一部の方から捜索願いが出されていた(苦笑)銀狼でございます^^;

いやいや、ホントご無沙汰してしてしまいまして・・・(汗)



たくさんの方からご心配のメールを頂いておりましたが、
おかげさまで元気でやっております^^
なかなか返信出来ず申し訳ございません<(__)>

北の大地で狼は吠えまくっておりますのでご安心を(笑)



まぁ、時期が時期なもので、公私共に何かと気忙しい状況になってしまい、
ブログにログインすらしていない有様に・・・(汗)

何とか今月中旬には落ち着くのではないかと思いますが、
徐々に活動再開としていきたいと思っております。





さて、しばらくご無沙汰していた間にも書きたいネタは溜まる一方でございました。

でも、もう賞味期限が切れてしまったネタも多くて、ちょいと困ったなぁと^^;



そんな中、私的にはどうしても触れておきたい出来事があったので、
久々の更新ネタに取り上げてみることに致します。

ちょっと残念な話題且つ
こちらにご来訪頂く皆様の殆どがついていけないネタになるのですが・・・
あまり突っ込んだ内容にはしないつもりですが、それでもコメントしづらいネタなので
思いっきりスルーして下さって構いませんよ^^





3月3日

昭和のヤンチャ小僧達のヒーローであった方がこの世を去ってしまいました。



合掌 人間風車.jpg


昭和の名レスラー ビル・ロビンソンさん

享年75歳でした。



力道山時代から数多くの名だたる外国人レスラーが来日して
我々プロレスファンを楽しませてくれましたが、その外国人レスラーの殆どが「悪役」扱いでした。

力道山は戦後の我が国の復興の姿に合わせて、
”日本人”がアメリカを始めとする外国人レスラーをなぎ倒していくという図式を取ることで
戦争敗戦国となってしまった我が国が抱いていた「コンプレックス」を払拭させたわけです。

身体の大きな外国人を力道山がバッタバッタと倒していく姿に日本国民は勇気付けられ、
一大プロレスブームを巻き起こしていきました。
日本人=善 外国人=悪という図式を作り、日本人が好む勧善懲悪の世界観をリングに持ち込んだわけです



力道山亡き後、70年代のプロレス界は馬場さん・猪木を中心としてブームを維持していったのですが、
外国人レスラーに関しては、ちょっと立ち位置が変わってきつつありました。

「ヒール=悪役」一辺倒だったのが、
「ベビーフェイス=善役」として人気を誇る外国人レスラーが増えてきたのです。


”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスや
”グレートテキサン”ドリー・ファンクJr.と”テキサスブロンコ”テリー・ファンク兄弟のザ・ファンクス

そして、今回ご紹介するビル・ロビンソンさんがその代表的な例でしょう。



煌びやかなマスクとコスチュームに身を包み、リング中を華麗に飛び回ったマスカラス

マスカラス.jpg


冷静沈着な兄ドリーと気性の荒い弟テリーのザ・ファンクスは、
我々が感情移入しやすい激しい戦いぶりで多くの日本人ファンを虜にしました。

ファンクス.jpg




そして、ビル・ロビンソンさんが人気を博したのは、プロレスラーとしての純粋なテクニックでした。



外国人レスラーといえばアメリカやメキシコが主流だったのですが、ロビンソンさんはイギリス出身
イギリスはウィガンにあるビリー・ライレージム(通称:蛇の穴)にてレスリングを習得しました


日本人がそれまであまり触れた事のない
イギリス流の「ランカシャースタイル」を持ち込んだのがロビンソンさんなのです。
※グラウンドでの関節技の応酬やスープレックス系の投げ技を中心に試合を組み立てるスタイル(アマレスに近いスタイル)

そんな中で、ロビンソンさんの名を知らしめたのがこの技


合掌 人間風車2.jpg

ダブルアーム・スープレックス

通称”人間風車”と名づけられたこの技

こんな体制で投げられたら、そりゃあ相手はたまったもんじゃありません(笑)

初めて見るスープレックスの威力の凄さと華麗な投げっぷりは大きな話題になります。




国際プロレス(現在は消滅)にてストロング小林と

新日本プロレスにてアントニオ猪木と

全日本プロレスにてジャイアント馬場さん・ジャンボ鶴田さんと

各団体のエースレスラーの良きライバルとして、好勝負を繰り広げたロビンソンさん



テレビの前でアホ面こいて試合を眺めていたガキんちょの私も、
このロビンソンさんのそれまでの外国人とは違ったクリーン且つ華麗なファイトに惹かれ、
初めて外国人レスラーのファンになったのです。


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イギリス・アメリカそして日本でトップレスラーとして活躍したロビンソンさん

引退後は、しばらくガードマンの仕事をされていたようですが、
日本中を虜にしたテクニックを買われ、日本に定住しレスリングを教えていた時期もありました。
1999~2008年まで高円寺に住んでいたそうです

合掌 人間風車3.jpg


日本のマット界に多くの功績を残してくれた方であり、
私自身も大ファンであっただけに、今回の訃報はなまらショックを受けております。。。








そして、訃報続きとなってしまいますが、
先月15日にもプロレス界で名を馳せた方がこの世を去ってしまいました。


龍さん.jpg

プロレスリング・ノアのリングアナウンサーであった仲田龍さん

享年51歳という若さでした。


全日本プロレスにおいて、リングアナのみならず馬場さんの懐刀として活躍
和田京平レフェリーとのコンビは「馬場さんにとっての助さん格さん」とまで言われておりました

そして馬場さん亡き後は、仲の良かった三沢さんを支えプロレスリング・ノアの立上げに尽力


長らく全日本プロレスを見続けてきた私にとっては、仲田さんの訃報にもショックを受けております。



馬場さん・鶴田さん・三沢さん・レフェリーのジョー樋口さん

そして仲田龍さん

私が子供の頃から見てきた全日本プロレスの主要人物がみんな亡くなってしまいました。




斜陽の時期をなかなか脱せないでいる日本のプロレス界において、
このお二方を失ってしまったのは、あまりにも大き過ぎる損失です。


本当に残念ではありますが、これからは高いところから、
日本プロレス界の復興を見守って頂きたいと願うばかりです。


古き良き時代の昭和のプロレスの象徴がどんどんいなくなってしまうなぁ。。。(涙)




合掌



最後にロビンソンさんのテーマソング「人間風車のテーマ」を貼っておきます。
元々の曲名は「BLUE EYED SOUL」カールダグラスという人の曲です。





次回更新は3月10日 今度はいつものようにノーテンキなネタでいきます^^;
皆様のところへ訪問も徐々に行って参りますのが、ちょっと時間がかかるかと。。。
また、ご挨拶のみで失礼する事が多いかと思います。何卒ご了承下さいませ。。。
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あぁ、思ひ出のレスラー達 <その8~四天王最後の砦…となるのか?> [プロレス]

暑中お見舞い申し上げます。
銀狼でございます^^


こんなご挨拶で始めましたが、首都圏の方は暑さが少しは落ち着いてきて
北国の人間としてはありがたい限り^^

今日3日は首都圏のあちこちで花火大会があるようですが、ちょうどいい気候になりそうですね^^
近くの江戸川でも花火があるようですが、オッサン一人で行ってもつまんないので、独り飲みする事にします(苦笑)





さて、そんなところで唐突にプロレスの話題でも(笑)

私の主力ネタの中でも圧倒的に皆さんに判りづらいネタですので、スルーして下さって構いませんので^^;

前から書こうと思っていながら、上手く考えがまとめられないでいた事があったのですが、
ある一人のレスラーを通して、その事に触れてみたいと思います。



川田01.jpg
いきなり無精ヒゲのイマイチさえない感じのオジサンの画像ですが^^;



川田利明



言わずと知れた90年代のプロレス界を席巻した全日本プロレス四天王の一人

亡くなった三沢さん、先日引退した小橋、三沢さん亡き後のノア社長となっている田上
そしてこの川田の4名が繰り広げる激しい戦いに、多くのプロレスファンが感銘を受けたのです。


四天王00.jpg




しかし、馬場さんが亡くなられた後を継いだ三沢さんと馬場夫人である元子さんの行き違いもあって
川田を除く四天王の3名は三沢を中心としてプロレスリング・ノアを立ち上げ全日本を去る事に。

しばらくの間は、ほぼ一人で全日本の「王道プロレス」を必死に守ってきた川田

その後、紆余曲折あって新日本から移ってきた武藤が全日本プロレスを引き継ぐ事となり、
川田はそっと身を引いて、一匹狼としての戦いへ
ハッスルのリングで戦っている姿は正直見たくなかったです・・




そんな川田も年齢を重ねた事もあり、徐々に技の切れ味にも衰えを見せてくるように。。。
また、三沢さんや小橋達との激戦を重ねてきた代償が身体を蝕んでもいたようです。


またしても、川田はそっと身を引いていきます。



プロレス界から



今は飲食店経営を中心とした生活
大泉学園前の方でラーメン屋やってます



三沢さんが亡くなり、小橋が引退
そして田上もノアの社長業に専念するため、年内での引退を発表

私が熱を上げて見続けてきた「四天王」もついに終わりの時か。。。



そう寂しさを感じていた矢先に、
川田がふと故郷に里帰りを果たしたのです。


川田02.jpg




武藤に任せたはずの全日本プロレスだったのですが、
肝心の武藤はもう居りません。

資金難から企業再生を専門とする投資会社スピードパートナーズへ支援を仰いだ武藤

だが、武藤とスピードパートナーズ社長である白石氏が考えるプロレスの方向性に
大きな隔たりが起きてしまう事に。
詳細は割愛しますが、「金も出すが口も出す」白石氏の暴走行為が原因でした



なんと武藤は白石氏に全日本を委ね、
一部の仲間を引き連れて社長を務めた団体を去ってしまいます。
武藤は「WRESTLE-1」という団体を旗揚げすることに

自らが連れてきた人間がきっかけで、自らが去ることになるとは・・・




三沢さん達が離脱した10数年前を思い起こさせるような状況に
再び陥った全日本プロレス

そこで、かつての仲間から川田に声がかかったというわけです。




それにしても、プロレス界ってどうしてこうも仲間割れが多いのか。。。


あっちへ行ったり、こっちへ行ったり

また、かつて所属していた団体を袖にしたにも拘わらず
再び帰ってくる人も多く見受けられ・・・


なんか、同じような光景をよく見る気が。。。


あ、政界と同じですな^^;


だから、プロレスラー出身の議員が多いのかも(苦笑)
相通ずるものがあるのか?


話が変な方向へ行きそうなので、もとに戻します^^;






川田は故郷のリング上に招かれ、一言

『昔の匂いがしたので来てみました』



前述の通り、今の川田はリングに上がれる状態ではないようです。

ただ、渕や大森といったかつての先輩後輩が残っていて、
ノアから再び帰ってきた秋山や金丸がいて、
武藤にクビにされた、かつて馬場さんの懐刀であった和田京平レフェリーも戻ってきて


馬場さん・鶴田さん・三沢さんに直に接していた
あの「王道」を肌身で知る人間が戻りつつある全日本プロレス


その懐かしい匂いに惹かれて川田も様子を見に来たのでしょう。




身体を鍛えなおして、再び全日本の一員として戦うのか

それとも、やはり身を引いたままなのか


戻る事がいいのか、身を引いたままがいいのか


川田自身も悩んでいる事なのでしょうか・・・


ずっと全日本を、そして馬場さんやその遺伝子を受け継いだ者たちを見続けてきた私としても
複雑な思いばかりが。。。



長州力や大仁田厚のように、大々的に引退セレモニーを開いてもらいながら
平然と復帰を果たすような「嘘つき」にはなりたくないと「引退」を明言はしていない川田

ということは戻る意思は僅かでもあるのでしょう。



でも・・・


今戻ったところで、かつての川田利明の戦いを期待するのは もう無理なはず


しかし、


「全日本」の灯を消さないために川田の存在は心強くもある



私自身の中での結論が出せずにおりますが、
しばし「全日本プロレス」と「川田利明」の動向をしっかり見守っていこうと思っております。。。










相変わらず長々と書いた後に、皆様へちょっとしたお知らせを。。。
本当は先日の700記事の時に書こうと思っていて忘れてました^^;


現在、基本的に3日に1度のペースで更新を行っておりますが、
8月以降、更にペースを落とそうかと思っております。



春先から業務内容に変化が出て、
ちょっと余裕がなくなっているというのが実状でして・・・

上手く時間が使えなくて、ブログに費やす時間を減らさざるを得なくなってきました。


その上、曽根風呂特有の重たさが再び襲ってきて
皆様のところをご訪問するのに、なんまら時間がかかるように・・・


記事の推敲・下書き・UPおよびコメント返し、そして皆様へのご訪問

下手すると、仕事から帰ってきてからずっとPCとにらめっこなんて時も^^;


なので、皆様から頂くコメントへのお返しを控えさせて頂いて
ご訪問させて頂く時間に費やしていたのですが、それも厳しい状況になりそうです。
仕事の移動中にご訪問させて頂いたりしてますが^^;



ストレス解消のためにブログを始めた私ですが、
このままではブログ運営でストレスを抱えてしまいそうなので、
そうなる前にもう少し時間を有効に使えるようにしようと考えた次第です。
ちょっと思うところもあって、他に時間を使いたい事もあるので・・・
でも、時間がなくてもオフ会のお誘いには積極的に参加致します!(爆)


なるべく3日に1回という更新ペースを守りたいところなのですが、
度々間が空いてしまう事があろうかと思います。

皆様のところへのご訪問も疎かになってしまったり、
ご挨拶のみになってしまう事も出てくるかと。。。


大変心苦しい事ではありますが、
何卒ご理解を頂ければ幸いに存じます。


と言いつつ、5日と8日には更新予定です(笑)
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あぁ、思ひ出のレスラー達 <その7~実は日本人最強・・・?> [プロレス]

このところ更に酒が弱くなったように感じてきた銀狼でございます^^;


晩酌は毎日欠かせないのですが、
日によっては缶ビール缶入り第三のビール1本でクラっとする時が・・・(汗)

でも、なんぼ飲んでも酔わない日もあるんですが^^;


まぁ、弱くなろうが
酒が好きな事には変わりありませんので、ご心配なく(笑)
誰も心配してないっすよね(苦笑)






さて、前回はちょっと私らしくない記事を書いてしまいましたが、
今回からはいつもの通り、どーでもいい記事を書き連ねて参ります^^;



何の脈略もなく、いきなりこの人の画像から。。。



坂口征二01.jpg


坂口征二です。

かつては『世界の荒鷲』の異名を取った名レスラーでした。


ちなみに現在はこんな感じに。。。

坂口征二02.jpg



日本を代表する大型レスラーとして名を成す前の坂口は柔道家として知られていたのです。



1964年の東京五輪

日本のお家芸と言われていた柔道の最高階級である「無差別級」にて
オランダのアントン・ヘーシンクに金メダルを取られた日本柔道

初の自国開催の五輪の舞台でお家芸の最高階級にて金メダルを逃した事は
日本柔道の危機とまで言われていたのです。


その危機を救う存在と目されていたのが坂口征二でした。


しかし、次のメキシコ五輪では何と柔道が競技種目から除外の憂き目に。



これにショックを受けた坂口はプロレス転向を決意したのであります。
他にも色々要因はあるのですが、長くなるので端折ります^^;



柔道界のスターのプロレスラー転向は大きな話題となり、
新人ながらも当時の日本プロレスではG・馬場さんとA・猪木に次ぐ存在として扱われておりました。
殆ど下積みも経験しない特別待遇だったらしいです



まずは猪木と組んでNWAタッグ・リーグ戦で優勝

坂口征二03.jpg



その後は馬場さんともタッグを組みます。
身長209cmの馬場さんと身長196cmの坂口のタッグについたチーム名は・・・


「東京タワーズ」

世界に通用するタッグチームとして大活躍


坂口征二04.jpg



しかし、程なくして
日本プロレス内のお家騒動もあって猪木も馬場さんも退団し、自らの団体を旗揚げへ。。。


坂口は日本プロレスのエースとして活躍を期待されましたが、
二大エースの離脱によって団体の人気低迷の一途を・・・

猪木率いる新日本プロレスとの合併騒動などの後、坂口は新日本プロレスへ移籍。




馬場さん・猪木に次ぐエースとまで言われていた坂口でしたが、
新日本プロレス移籍後は、徐々に地味~な存在となってしまうのです。。。

ポジション的には猪木に次ぐ№2ではあったのですが、
話題の発信力に長けている猪木の存在感を越えられずじまいに。



その後は藤波・長州などの若手のスターが出てきた事もあって、
自らで一歩引いたような印象も受けておりました。




鳴り物入りでプロレス界入りした坂口征二でしたが、
なぜ馬場さんや猪木を超える存在になれなかったのか?・・・


柔道時代から腰に爆弾を抱えていた事が要因とも言われておりましたし、
また身体が硬く柔軟性に欠ける事もレスラーとしては致命的とも言われておりました。


しかし、それよりも坂口がレスラーとして大スターになれなかったのは
「優し過ぎる」のが原因だと仰る方が多いようです。




人を押しのけていくという性格ではなかったようですし、
試合の中でも「優しさ」が顔を出してしまい相手を攻めきれず、という事もあったようです。



レスラーとしては欠点とも言うべき「優しさ」ではありますが、
その「優しさ」と実直さから、坂口征二を慕うレスラーが多かったのも事実。

実直さと人望の厚さを買われて、1989年には新日本プロレスの社長に就任
猪木が参議院選挙に出馬する事になった事から、この流れになりました



ここで坂口征二の実力が発揮されるのです。


猪木社長時代に多額の負債を抱えていた新日本プロレスでしたが、
坂口体制となってから、その負債を一気に返す事が出来たのです。


数々の大イベントを企画し、それが悉く大当たり。

また、業界内での政治的な動きをするにあたっても
人望の厚い坂口社長の下には人が集まりやすくなりました。


とことん猪木を毛嫌いしていた馬場さんも「坂口なら信用出来る」と語って、
それまであり得なかった新日本・全日本の合同興行が行われるまでに。


何かと不安定なプロレス界にあって、優良企業と呼ばれるまでにしていったのです。
一時は株式上場の話まで持ちあがったくらいです。




新日本プロレスを立て直した男として名を上げた坂口征二でしたが、
時代が21世紀に変わる辺りで、全く違った方面で話題を振りまく事となります。




坂口憲二.jpg


次男坊である坂口憲二が俳優として大ブレイク


それまでは『世界の荒鷲』と呼ばれていたのが
すっかり『坂口憲二のお父さん』として認知されるようになっちゃいました^^;

それにしても、似てない親子・・・^^;
よっぽど奥様が美人なのでしょうか^^


2003年に1試合限定でレスラー復帰を果たす事があったのですが、
その時は坂口憲二がセコンドにつく事が発表され、大きな話題となったので
憶えていらっしゃる方もいるでしょうか?^^


坂口征二00.jpg


また、その後にはついにCMでも共演する事に。。。







私などは「あの坂口征二が・・・」と
何とも言えない思いでCMを観ていたものです^^;




歳を重ねるにつれて色んな話題を振りまいた坂口征二ですが、
古いプロレスファンの間では「実は日本人レスラー最強は坂口征二だ」と仰る方も多いのです。

やはり柔道界でトップクラスを張っていた実力は伊達じゃないですし、
人の良い性格が災いしていなければ・・・との意見も多く見受けられます。



現在、柔道界も相撲界に続いて何かと問題が多いようですが、
坂口征二のような人間がいれば、上手くまとまったかもしれませんねぇ。。。



本当は「我がFsがパリーグ大混戦を演出」って書きたかったんですが、今日(5日)は負けてしまったので、また別の機会に^^;
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最後の剛腕。。。 [プロレス]

※5月12日15時57分に追記しております。

GW帰省を終え、再び一人飯の日々。。。
何食っても味気なく感じてしまう銀狼でございます^^;

と言いつつ、誰の目も気にせず好き放題食ってるかもしれませんが(笑)


あ、前回の記事では
たくさんの温かいコメントを頂戴致しまして、ありがとうございました。
ちょっとバタバタしていてコメントのお返しが出来ずに申し訳ございません<(__)>




さて・・・

今回の本題はお越し頂く方の殆どが判りづらいというか苦手な話題だと思われます。
ってか、毎回判りづらい事しか書いてませんが(苦笑)

コメントはスル―しちゃって構いませんからね^^ゞ








2013年5月11日

一人の偉大なプロレスラーが引退を致しました。




小橋01.jpeg


小橋建太

25年に渡るプロレスラー人生を突っ走ってきた彼

『鉄人』『絶対王者』『剛腕』などの異名を持ち、
日本プロレス史に残るレスラーとして名声を得た一方で
とにかく度重なる怪我や病気との壮絶な闘いを強いられたレスラー人生でもありました。



京セラにてサラリーマン生活を送っていたにも拘わらず、
長年の夢であったプロレスラーに憧れ、安定した生活を蹴って全日本プロレスに入団('87年)



小橋10.jpg



学生時代に柔道の経験こそあれど、
アマチュアとして輝かしい実績が全くなかった小橋

周りは皆がアマレス・柔道・相撲等で実績を作り上げてきた強者ばかり。

そんな状況であるがために、入門当初から冷遇されてきた小橋でしたが、
人並み外れた練習量で師匠・馬場さんからも一目置かれる存在となったのです。
以前、先輩レスラーである川田利明が「アイツを殺すには刃物は要らない。ダンベルを奪いとればいい」と語ったほどの練習量でした



しかし、どんなに頑張っても
一人前として認めてもらうまでには至らず・・・

のはずだったのですが、
当時の全日本プロレスのお家騒動(天龍など主力レスラーの大量引き抜き)が起こり、
馬場さん・ジャンボ鶴田さん以外は若手レスラーのみという状況に。

馬場さんも若手レスラーの大抜擢で乗り切る事を決断。
自ずと小橋も戦いの最前線で出て行く事に。




小橋07.jpg



ここで、小橋の努力と才能が一気に開花したのです。


三沢さん・川田・田上と共に「全日本プロレス四天王」と呼ばれるまでになり、
華麗なムーンサルトプレスを武器にスターへの階段を順調に登っていくのです。



小橋02.jpg





しかし、見た目も派手な上に破壊力も十分の技は
一方で「諸刃の刃」ともなるわけで・・・

ムーンサルトプレスの多用は自らの膝にも大きな負担がかかるため、
何度も膝を手術するはめになるのです。
武藤敬司が膝を悪くしたのも、このムーンサルトプレスのせいなのです


その後も膝のみならず、肘などの故障も多発し、何度も欠場・手術の繰り返しに。。。

我々ファンも故障欠場の度に「もう小橋はダメかも・・・」と思ったものですが、
怪我をすればするほど更に強くなって帰ってくる小橋がいたのでした。



馬場さんも認めた小橋の努力ぶり

怪我を重ねても不屈の精神で蘇ってくる姿勢は、
小橋がずっと「兄貴分」として慕ってきたこの方の生き様を見ていたからでしょうか。




小橋08.jpg

小橋06.jpg



三沢さんも人気が出始めた頃は度重なる故障に泣かされ
「ガラスのエース」と揶揄された事もありました。

しかし、三沢さんも不屈の精神でそれを乗り切ってきた一人。


兄貴分に負けじと小橋も更に身体を鍛え上げ、
三沢さんと小橋の一戦はプロレス界の名勝負数え唄と言われるまでになります。



更なる鍛錬でパワーレスラーとして成長した小橋は、
シンプルでありながらも破壊力抜群の技を身につけます。



力道山から受け継がれる日本プロレス界伝統の技である「逆水平チョップ」

小橋03.jpeg


そして、小橋の代名詞となった「剛腕ラリアット」

小橋09.jpg




小橋がラリアットを使うようになったのは、
若手時代にこの人に散々ラリアットでやられていたからこそでした。




小橋04.jpg

ラリアットの元祖である”不沈艦”スタン・ハンセン



自らの身体で嫌というほど味わったラリアットの凄味や
単純な逆水平チョップがどれだけ凄い技なのかを、小橋自身が皆に知らしめたのです。

その点で最高の試合となったのが
2005年に東京ドームで行われた「小橋vs佐々木健介」戦でした。

ちょっと長い動画ですが、興味のある方はご覧下さい。
でも、かなり抜粋した内容です




当時は私も札幌から東京ドームに駆けつけて生観戦をしていたのですが、
私の中では歴代の中でも文句なしにナンバー1の試合内容だったと思っております。

いや、私のみならず
この試合を生で観た人であれば、皆さんがそう思われるのではないかと思うほどです。
ちなみにこの日の観客動員数は62,000人でした



この試合を経て、名実共に日本プロレス界のエースとして認められた小橋



が、しかし・・・



ここで小橋に最大の試練が訪れる事になろうとは。。。





小橋11.jpg


2006年6月に人間ドッグにて腎臓に悪性の腫瘍が見つかったのです。

今までの怪我も大変だったのですが、今度は生命の危機が・・・



一命を取り留めたとしても、もうプロレス復帰は無理だろう



皆がそう思っておりました。



7月に腹腔鏡手術にて腫瘍が見つかった片方の腎臓を摘出

再発がなかったとしても、腎臓を片方失った状況で過激な運動は無理なはず・・・




でも、翌年の12月
小橋はまたしても奇跡を起こすのです。。。



前代未聞のプロレス復帰


ファンが皆涙した入場シーンです。。。


小橋入場時の日テレ矢島アナの台詞が泣かせます
もう二度と見られない三沢さんの姿にも涙。。。




こうして怪我どころか癌までもを克服した小橋

その後も怪我に泣かされ続けてはいたものの、
まさに「鉄人」としてプロレス界に君臨し続けておりました。



その鉄人がついにマットとの別れを決断


何故なのか?・・・



確かに年齢も重ねてきました
小橋は私と同学年です

肘から膝から満身創痍です

手術から7年経ち、癌の再発はないものの他に悪いところが?・・・




原因は「首」の故障でした。


プロレスラーである以上、投げ技を喰らい続けているため大なり小なり首に負担はかかるのですが、
今まで小橋が首の故障で・・・というのはあまり耳にした事がありません。

ですが、肘や膝の検査と一緒に首の具合も診てもらったところ、
大変な事実が判明したのです。



診察した医師曰く

「三沢さんが亡くなる前の首の状況よりも悪い」



三沢さんもずっと首の故障に悩んでおりました。

しかし、エースレスラーとして
そして、社長として
休むわけにはいかないと怪我をおして出場を続けていた結果


その故障が引き金となり、「殉死」する事に。。。


これ以上プロレスを続ければ三沢さんの二の舞になりかねない


せっかく癌を克服したのに、命を落とすわけにはいかないのです。


よく例えで言われる「〇〇で死ねれば本望だ」という言葉


プロレスラーであれば
「リングの上で死ねれば本望」という方も今までおりましたが、
三沢さんのあの一件が起きて以来、それは意味のない言葉であるのは
小橋にも判っているわけです。


あのような出来事が起きてしまった後、
遺された人々の悲しみがどれだけ深かったか。。。

小橋も悲しみを受けた立場として、
三沢さんの二の舞になるわけにはいかなかったのです。



せっかく助かった命を落とすわけにはいかない

三沢さんが自らの命を以て示してくれた教訓を無駄にするわけにはいかない



24時間プロレスの事しか考えていないとまで言われていた小橋が
プロレスとの別れを決断したのは、そういう理由なのです。




残念ながら、私は小橋の最後の雄姿を生で観る事は出来ませんでした。
チケット代が・・・(汗)

そして、この記事を書いている時点で
まだ試合の結果がどうなったかも判りません。



でも、小橋の事ですから
きっと全力でファンを沸かせてくれた事でしょう。

引退試合では小橋の傍らに
長年の盟友である秋山や団体の枠を越えて武藤敬司・佐々木健介といった
小橋と縁の深いスターレスラーがいるのですが、
彼らが霞む程の輝きを見せてくれているはずです。



とにかく


とにかく


小橋には「お疲れ様!」と思い切り伝えてあげたい


そして、命をかけて戦ってきてくれて
我々に多くの感動を与え続けてくれてありがとう
と思い切り伝えてあげたい


馬場さんも三沢さんも志半ばで亡くなってしまった以上、
小橋にはしっかり生きて、プロレス界を見守り続けていた欲しいと願うばかりです。



小橋よ、君にはもう守るべき立場の人もいるんだしね。。。^^


小橋05.jpg


試合結果・内容が判ったら追記させて頂きます



当日の様子を。。。


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レスラーも結構唄ってます^^<レスラーのテーマ曲集⑥> [プロレス]

正月休み中に、初めて小4の娘とカラオケに行ったのですが、
娘にドン引きされた銀狼でございます^^;

娘曰く

「お父さん怖い」だそうでして・・・


まぁ、娘と一緒なのにも拘わらず、
あまりにも歌に集中し過ぎちゃったのがマズかったのでしょうね^^;

忘年会でも、あまり唄えなかったので
ここぞとばかりに気合い入れて唄ってしまい・・・
日頃唄わない曲の練習を行っておりました^^;


相変わらず大人げない父親です(苦笑)






さて、2013年が明けたと思ったばかりなのに、早くも10日が経過。。。

ブログの方もそろそろ通常モードにしていきましょうかねぇ。
って、まだ完全に仕事モードにもなっていないのですが(汗)


さぁ、今年もまたご来訪頂く皆様方を置いてけぼりにする記事の始まりです!(爆)




書き出しでカラオケの事に触れた事もあるので、今回のテーマは歌ネタにて。

でも、ただの歌ネタでは面白くないので、私の大好きなプロレスネタを絡めて、
シリーズ化している「レスラーのテーマ曲集」の第6弾目をお送り致します。



今回は、レスラー本人の歌唱バージョンにて!

過去に何度かご要望を頂いていた女子レスラーもついに登場です^^



1発目にご紹介するのは、この方。。。


ジャンボさん.jpg

今は亡きジャンボ鶴田さん

私が今でも日本人最強と思っている偉大なレスラーです。

そんな鶴田さんですが、フォークギターが趣味という一面を持っておりまして、
レコードも2枚ほど出していたりもするのです。
何とファンを集めてライブをやった経験も!

鶴田さんが若い頃の入場テーマともなっていた「ローリング・ドリーマー」という曲が
レコードデビュー曲でした。。。

ジャンボさん ローリングドリーマー.jpg


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歌よりも、鶴田さんの試合ぶりの凄さに惹きつけられてしまいます。。。
このジャーマンやドロップキックはあり得ないっしょ



誰ですか!PCの前で笑っているのは!^^;

本人は至って真剣に唄っているので、
歌唱力云々はあまり触れないようにお願いします(爆)

まぁ、最後にもっとスゴイ人を御紹介しますので・・・(謎)




お次に紹介するのは、この方。。。
入場テーマではないのですが、勢いにのってレコードを1枚だしたようです^^;


長州力.jpg

あ、小力じゃないですよ(笑)

長州力本人です^^;

”維新軍”の長として一大ブームに乗っていた頃、
「明日の誓い」って曲を出したんですよねぇ。。。



鶴田さんよりは、ちょっと上手い?^^;




そして、3番目にご紹介するのは・・・

これはどなたでもご存じでしょう!^^



ビューティーペア.jpg


懐かしのビューティーペアでございます^^

彼女達とくれば、やはりこの曲ですね♪




私が小学校4年生の頃に大流行した「かけめぐる青春」
レコード売上は何と80万枚!(驚)

そして、もう一つ驚くのは、
この時のマキ上田(左側)は弱冠17歳だったそうで・・・^^;
故・ジャッキー佐藤さんも19歳^^;

まぁ、お二人の年齢は別にしても(笑)、
これだけの売上を叩き出したプロレスラーのレコードはいまだにありません。。。



そして、この”ビューティーペア”がきっかけとなり、
この二人も後に続くべく、レコードを出しました。


クラッシュギャルズ.jpg


80年代の女子プロレス界を支えた長与千種&ライオネス飛鳥の”クラッシュギャルズ”です。

'84年に「炎の聖書(バイブル)」でレコードデビュー
ビューティーペアには遠く及ばなかったものの、10万枚を売上ました。

炎の聖書.JPG

曲は1分過ぎから始まります


だんだん歌が上手くなってきたような気が・・・^^;




そして、トリを飾って頂くのは、この名レスラーに。。。

今回は、この曲を紹介したくて記事に挙げたようなものです(大袈裟 笑)


藤波辰爾.jpg

藤波辰爾(辰巳)です。

初代タイガーマスクが出てくる前に、軽量級であったジュニアヘビー級のブームを巻き起こし、
その後も前述の長州力との抗争などでリングを大いに盛り上げてくれました。

また、冒頭にご紹介した鶴田さんとは一度も戦う事はなかったのですが、
馬場さんの愛弟子である鶴田さんと猪木の愛弟子である藤波は
常に比較され続けてもおりましたね。

若い頃から常にスター街道を歩んでいた藤波でしたが、
'85年についにレコードデビューを果たしたのです。。。

マッチョドラゴン.jpg


まぁ、とにかく聴いてみて下さい。。。



だ、ダメだ・・・

何度聴いても笑ってしまいます(爆)

よくぞ、レコード化出来ましたねぇ^^;


この曲のB面に収録されているのは「ドラゴン体操」というモノですが、
この動画もご紹介してみますね^^;




今、PCの前で耳がおかしくなった方、申し訳ございません(爆)

私も、「マッチョドラゴン」を初めて聴いた時は、
あまりの衝撃に身体が震えたのを憶えております(爆)

かつて、風吹ジュンや大場久美子・能瀬慶子の曲を聴いた時以来の衝撃でした^^;
ヤクルト・阪神で活躍したオマリーが唄った「六甲おろし」もスゴイ衝撃でしたが(笑)


まだまだ他にも、大仁田厚や高田延彦に
今やバラエティでお馴染みの北斗晶やジャガー横田もレコードを出しているのですが、
これ以上皆さんのお耳汚しをしてしまうのも申し訳ないので割愛させて頂きます(笑)



ハッキリ言って、今回のネタはじっくり曲を聴いて頂くというよりも
笑って頂く要素の方が大きかったような気がしますねぇ^^;

次回、プロレスラーのテーマ集を取り上げる時は
もうちょっとまともな曲を御紹介致しますね・・・;^_^A


<レスラーのテーマ曲集シリーズ>
第1弾~思わぬところから洋楽に触れたのだ→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03
第2弾~またしても強引なコラボにて・・・→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15
第3弾~邦楽も結構あるんですよ→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-07-28
第4弾~今度は映画音楽です。。。→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-10-23
第5弾~ゆったりとクラシックでも。。。→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2012-09-11


そろそろヘッダー画像を変えてみようかなぁ。。。
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あぁ、思ひ出のレスラー達 <その6~銀狼的史上最強外国人とは?> [プロレス]

もう秋どころか冬が近づいてきているにも拘わらず、
今まさに「食欲の秋」真っ盛りな銀狼でございます^^;


とにかく食欲が止まらない・・・


単身生活となってから食べる量もだいぶ減ってきた私。

以前よりよく食べていた牛丼の特盛が入らなくなってしまい、
大盛でもお腹がはち切れそうになっていたくらいで。。。


ところが先日、ランチを食べようと「す〇家」に入ったのですが、
無性に腹が減っていて『大丈夫かなぁ?』と思いつつも久々に「特盛」を注文。

あっという間にペロッと食べてしまいました;^_^A


ん~、これはマズイ・・・(汗)


毎晩寝る前に坐骨神経痛を改善するために「腰痛体操」をやっているのですが、
それに加えて他にも色々と運動をするようにして、何とか体重増を回避しなくては!
と必死になっております。。。



と、相も変わらず長々とした書き出しをしてしまいましたが、
そろそろ本題の方へいきましょうか^^;

今回は、あるブロガーさんの記事に刺激を受けて思いついたネタで。。。



先日、DEBDYLANさんの記事を拝読させて頂いたところ
レッド・ツェッペリンが取り上げられているではありませんか!^^

ツェッペリンの代表曲と言えば「移民の歌(immigrant song)」


この曲を聴いた途端に、彼を思い出す人も少なくないのでは?・・・^^






ブロディ00.jpg


'80年代の日本プロレス界を席巻した名レスラーである、ブルーザー・ブロディ。

今回はプロレスネタなので、苦手な方はスル―しちゃって下さい^^;

ちなみに、私がレッド・ツェッペリンを知ったのは、ブロディのおかげなのです^^;
その事に触れた記事⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03



”超獣””キングコング”などというニックネームを持ち、上の画像からも判るような荒々しい容姿と
恵まれた体格(公称:身長198cm 体重135kg)で全日本・新日本マットを所狭しと暴れまわっておりました。


よく古くからのプロレスファンの間では、「最強のレスラーは誰だ?」という
ファンじゃない方にとってはどうでもいい話題で盛り上がるのですが、
外国人レスラーで最強説が最も多く聞かれるのが、このブロディなのであります。


かくいう私も、ブロディが最強外国人レスラーであると思っている一人です。
ちなみに日本人最強は故・ジャンボ鶴田さんだと思っております。


後で改めて触れますが、ブロディは1988年に亡くなっているので
今ではそのファイトを見る事は出来ません。

なので、今の若いプロレスファンの方々にはブロディのファイトスタイルはピンとこない事でしょう。

現在のプロレスは、ハイスピードでたくさんの大技を連発するスタイルが主流となっておりますが、
ブロディのスタイルは全く真逆といってもいい物でした。


ブロディが繰り出す技と言えば、

ワンハンドボディスラム(別名ゴリラスラム)

ブロディ02.jpg


キングコングキック(馬場さんがやれば16文キックと呼ばれます 笑)

ブロディ04.jpg


ブレーンバスタースラム(ブレーンバスターの状態から後方に投げ飛ばす)
ビル・ゴールドバーグの必殺技「ジャック・ハマー」の原型とも言われております。

ブロディ03.jpg


ドロップキック

ブロディ05.jpg


ギロチン・ドロップ

ブロディ06.jpg



そして、必殺技であるキングコング・二―ドロップ

ブロディ07.jpg


たまにパイルドライバー辺りも繰り出す事もありますが、
基本的には上記の技だけで試合を組み立てておりました。
あ、後はチェーンを振りまわして場外で暴れるってのもあった(笑)


そして、この少ない技の合間合間で「オウッ!オウッ!」と雄叫びをあげて
間合いをとる事が多いため、今のプロレスを見慣れている人からすれば
退屈に写るかもしれませんね。


ただ、その「間合い」がホントに絶妙でした。


雄叫びをあげて間合いをとっているだけにも拘わらず、
我々ファンはブロディの姿に惹き込まれてしまうのです。

本来、間合いをとるのは呼吸を整えるためなのですが、ただハァハァ言ってても観客は面白くないわけで、
その間合いの際も”魅せる”事を考えての事だったのです。

そして、更にその間合いに緊張感も感じられ・・・


こうして記事を書いているだけでも、
その時の様子を思いだしてゾクゾクしちゃうくらいです^^



また、上記の技の画像からもお判りになると思いますが、
巨体を持つにも拘わらず、身体のバネが半端ない!

これだけの身体で、これだけの跳躍力を持つレスラーは
ブロディと鶴田さんだけだと言ってもいいくらいではないでしょうか。

特に必殺技の「キングコング・二―ドロップ」は、ブロディじゃなければ出来ません。
空中で一度止まるような浮き方はブロディならではです。

どんだけ凄いのかを実際にご覧になってみて下さい。。。
ニコ動のコメントは右下の「・・・」をクリックすると消えます。





この体格で暴れまわり、これだけのド迫力な技を繰り出すだけでも十分凄いのですが、
ブロディをトップレスラーたらしめたのは、「クレバー」さがあってこそなのです。


冒頭で”超獣”などとニックネームを挙げましたが、
他に”インテリジェンス・モンスター”と言われる事も多かったブロディ。

その容姿とは裏腹に、インタビューなどでは実に紳士的な対応であった事も有名で、
彼が発する言葉はリング上の雄叫びとは打って変わって理路整然とした言葉が並びます。
時には哲学的な言葉も聞かれる事もありました。
もともと彼はスポーツ記者を志望しておりました

「プロレスとはチェスのようなもの」といった名言もあったブロディですが、
そのブロディのインテリジェンスさを示すモノを見つけたので、下記にリンクを貼っておきます。

http://www33.ocn.ne.jp/~shinma/prows/prows004.html

放送作家として知られる野末陳平氏とのインタビューなのですが、
ブロディという人間がプロレスをどう向き合っているのかが、よく判ります。




フランク・ゴーディッシュ(本名)をブルーザーブロディというレスラーとして如何に魅せていくかを常に考え、
そのために本来の自分とは異なる”獣”的なキャラクターを編み出し、
常に第一線で活躍し続けたブロディ。

しかし、それ故にプライドも人一倍高かった。。。


そのためにプロモーターとの軋轢も頻繁にあったようで、
日米のマット界でトラブルメーカーとしても知られておりました。

結果、'88年にプエルトリコにて
プロモーターであるホセ・ゴンザレスに腹部を刺されて42年の生涯を閉じる事になってしまうのです。。。



プロモーターにとっては扱いづらさでしかなかったブロディのプライド。

ですが、私にはそのプライドを持っている姿が気高く感じておりました。



気高くいようとあり続けたがために、自らの命を落とす羽目になってしまったのですが、
それもまた、ブルーザー・ブロディらしい生き方だったのかなぁ、とも思うのです。


”超獣”は「伝説」となった事で
我々プロレスファンの心にいつまでも気高く生き続けていられるのですから。。。



最後はお約束の「移民の歌(immigrant song)」をお送りして、記事を締めたいと思います。。。

本人入場のインストVer.


そしてツェッペリンの原曲も



あぁ、思ひ出のレスラー達シリーズ
その1~三沢光晴さん⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-08-04
その2~天龍源一郎⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-09-22
その3~ジャイアント馬場さん⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-01-31
その4~ジャンボ鶴田さん⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-05-12
その5~上田馬之助さん⇒http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08



しかし、それにしても・・・
選挙するのはいいけど、政党が14もあるとはねぇ。。。
まるで、ここ数年のプロレス団体と同じ様相になってきましたね^^;

レスラーも政治家も自己主張が激しくて、あっちに行ったりこっちに行ったりもしますし、似た者同士ですな(苦笑)
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ゆったりとクラシックでも。。。<レスラーのテーマ曲集⑤> [プロレス]

週半ばにさしかかったばかりですが、
早くも疲れが溜まってきた銀狼でございます;^_^A

前回の記事においては、たくさんのお見舞いのコメントを頂きましてありがとうございました<(__)>

まだ病院には行けてないのですが、腰の具合は少し落ち着いております^^



そんな状況ではありますが、
本日9月12日は、結婚記念日でございまして。。。

今年で19回目となります。

まぁ、単身赴任中ですので、お祝もへったくれもないのですが^^;

来年は節目の年なので、札幌にいられるようにしなくっちゃ(汗)





さてさて、今回はしばらく忘れていたプロレスラーのテーマ曲集をお送りしようかと。。。
全然、結婚記念日とか関係ないネタだし(爆)


第5弾目となる今回のテーマは「クラシック」

とにかく慌ただしい状況なので、クラシックでも聴いて
ちょっとゆったりした気持ちにでもなってみようかなぁというわけです^^
でも、クラシックは全然詳しくないので、曲の説明は出来ません(汗)





まず、最初にご紹介するのは・・・

イギリスの作曲家エドワード・エルガーの作品『威風堂々』です。






この曲を入場テーマにしていたレスラーは、ランディ・サベージというレスラーでした。

ランディ・サベージ.jpg


こちらにお越し頂く殆どの方は、プロレスに詳しくない方ばかりでしょうが、
更にこのレスラーをご存知の方は少ない事でしょうか。

全日本や新日本などの長期参戦経験がなく、
WCWやWWF(現WWE)でのキャリアが殆どでしたので、
プロレスファンでないと全く判らないことでしょうね^^;

”マッチョマン”というニックネームで典型的なアメリカンプロレスを展開していたサベージですが、
華やかさは勿論の事、実力も一級品のレスラーでした。

残念ながら、昨年交通事故(運転中に心臓発作)で58年の生涯を閉じてしまいました。。。


ランディ・サベージの動画(※コメントが邪魔な場合は右下の「・・・」をクリックして下さい)







お次にご紹介するのは・・・

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの作品『ワルキューレの騎行』です。



これもあまりにも有名ですね^^

この作品を入場テーマにしていたレスラーは、
曲のイメージとはあまりにもかけ離れている感じのこの方です^^;



藤原喜明.jpg

”関節技の鬼”という異名をとった藤原喜明です。

新日本プロレスにて活躍の後、UWFなどを経て自らの団体「藤原組」を立ち上げた際に
呼ばれていた「組長」のニックネームでも知られております。

役者・タレント活動なども行っていますので、ご存知の方もいらっしゃることでしょうか^^


若手時代から非常に地味なレスラーでありましたが、
その実力を買われA・猪木のスパーリングパートナーに抜擢を受け、
猪木の海外遠征にも帯同した事から「猪木の用心棒」的存在としても知られておりました。

新日本プロレスやUWF・藤原組など所属した各団体で名勝負を繰り広げて参りましたが、
2007年に胃がんが発覚。
摘出手術を行い、翌年からリングに復帰を果たし、63歳となる現在でも
不定期ではありますがリングに上がっております。。。








さて、最後にご紹介するのは、

ロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーの作品である「はげ山の一夜」です。



この作品を入場テーマにしていたレスラーは・・・

ちょっと刺激が強いかも知れませんので、ご注意ください^^;




ザ・シーク.jpg

”アラビアの怪人”と恐れられたザ・シークです。
(立っている方のレスラー)

この人の試合は流血が付き物でしたので、白黒画像でなるべく刺激の少ないモノを選びましたが、
ご気分を害された方がいらっしゃるようでしたら、申し訳ございません<(__)>

昭和のプロレスに馴染みがある方でしたら、よくご存知なのではないでしょうか?^^
タイガー・ジェット・シン、アブドラ・ザ・ブッチャーと共に昭和を代表する悪役レスラーとして名を馳せました。

日本プロレスや全日本のリングで活躍した後、しばらく姿を見なくなったのですが、
平成に入ってからは、あの大仁田厚率いるFMWにて復活を果たし、
悪事の限りを尽くしていたものです。

ちなみに、私も20代の頃にFMWを観戦しに行きまして、
このザ・シークが場外で暴れまわる中、私の方に近寄ってきて
いきなり目の前で火を噴かれた事があります^^;;;

この動画は刺激が強いかも知れませんので、ご注意ください^^;




他にも、あのボブ・サップが「ツァラトゥストラはかく語りき」を入場テーマにしているのですが、
前回の第4弾「映画音楽編」にてご紹介しているので、ここでは割愛させて頂きます。





しかし・・・

ちょっとゆったりした気分に。。。
なんて思ってるのにプロレスなんて見てたら、とてもそんな気分にはなれませんねぇ^^;


第1弾 洋楽編① http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03

第2弾 洋楽編② http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15

第3弾 邦楽編 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-07-28

第4弾 映画音楽編 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-10-23




いやぁ、ザックジャパン勝って良かったわぁ~^^v

そして、勝さん二桁勝利&中田翔も初の20号でFs首位奪還!^^
このまま行ってくれ~^^

あ、次回は14日更新予定です
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あぁ、思ひ出のレスラー達 <その5~まだら狼よ永遠なれ> [プロレス]

唐突に暖かくなって、汗かいてた銀狼でございます^^;


今日の川崎の気温は、札幌の初夏並みです。
でも、都内は全然暖かくなかった・・・

ですが、雨と風がなまら強くて、また傘がぶっ壊れることろでした^^;

ただ、乾燥が酷かったので、少しはありがたい雨でもありましたが。。。



乾燥が酷いせいか、インフルや風邪が相変わらずの猛威を奮っているようで、
私の娘が通う小学校では、ついに娘の学年が丸ごと閉鎖になりました(>_<)

おまけに校長や教頭もインフルに罹患してしまい、休んでいるとの事らしく・・・

そこまでいったら、普通は「学年閉鎖」でなくて「学校閉鎖」にすべきでは?
とも思うんですがねぇ。。。

そんな状況下でも、我が娘はピンピンしております。

どうやら、親に似て〇〇なのか?(爆)


まぁ、冗談はおいといて
皆さんも引き続き、十分にお気をつけ下さいませ。。。




さてさて、今回はプロレスの記事を書かせて頂きます。

前から書こう書こうと思っていながら、手を付けられずにいたネタです。

「な~んだ、プロレスかよ~。嫌いだしなぁ・・・」
などと仰らずに目を通して頂ければ幸いです。


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今度は映画音楽です。。。<レスラーのテーマ曲集④> [プロレス]

だいぶ体調が良くなってきた銀狼でございます^^


前回の記事においては、
皆さんから、たくさんのお気遣いのコメントを頂きまして、本当にありがとうございました^^

日曜日は久々にゆっくりする事も出来ましたので、
今週も予定が詰まっておりますが、何とか乗り切れそうですね。




さて、そんな忙しい週に向けて勢いをつけるために
ちょっとご無沙汰していたプロレステーマ曲シリーズのネタでテンションを上げていきましょうか!^^


シリーズ第4弾となる今回のテーマは、映画音楽です。

意外と多くの映画音楽がレスラーの入場テーマとして使われているんですよ。。。



まずは、こちらから!



ROCKY3.jpg

もう説明するまでもないでしょう。

シルベスタ・スタローンの出世作である「ロッキー」です。

シリーズ3作目「ロッキー3」の主題歌で使われていたのが、
サバイバーの「EYE OF THE TIGER」

それを入場テーマにしていたレスラーがこの人です。。。



ホーガン.jpg

はいっ!懐かしいですねぇ^^

「イチバーン!」のポーズで、日本でも大人気を博したハルク・ホーガンです^^

プロレスファンの方であれば、やはり思い出されるのが
「A・猪木失神舌出し事件」でしょうか。。。

あの猪木を失神させたレスラーという事が、
ホーガンの名前をビッグネームにしたきっかけだったでしょう。

また、彼は俳優としても米国で活躍したこともあり、
この「ロッキー3」にもサンダー・リップスという役で出演しておりましたね^^




この「EYE OF THE TIGER」は、ホーガン以外でも
初代タイガーマスクである佐山聡や剛竜馬なども使っておりましたが、
やはりプロレスファン的には、ホーガンのテーマ曲が一番しっくりきますね。




ちなみに「ロッキー」シリーズでは、他にもレスラーが使っている曲があるんです。


ROCKY4.jpg

次作「ロッキー4」にて、トレーニングシーンの時の挿入歌となっていた
「Training Montage」という曲。



ヴィンス・ディコーラという方の曲なんですが、これをテーマ曲にしていたレスラーは、
これまた 皆さんご存知の方です^^



高田延彦.jpg

高田延彦です。

UWFインターナショナル時代に、この曲を使用しておりました。
高田は他にも色んな曲を使っていたのですが、
やはり 彼が一番輝いていたUインター時代のこの曲が高田のテーマとして
一番馴染みがあるように思います。




そして、映画「ロッキー」と言えば、忘れちゃいけないこの曲。。。



映画音楽を中心とした活動をされている
作曲家ビル・コンティが作った名曲「ロッキーのテーマ」

これを入場テーマにしていたレスラーがこの人です。。。


百田光雄.jpg

百田光雄です。

「へ?このオジサン誰?」って方が殆どでしょうか^^;


この方の息子なんですよ^^



力道山.jpg

日本プロレスの祖である力道山です。

力道山の次男坊として生まれた百田光雄

父親が亡くなってしまった後にレスラーデビューを果たし、
'72年にG・馬場さんが旗揚げされた全日本プロレスに参加。
その後、2000年には三沢光晴さんの団体NOAHに移籍し、
現在はフリーレスラーとして、まだ現役生活を送っております。

あの力道山の息子という事であれば、もっと大成しても良かったのでしょうが、
如何せんレスラーになるには身体が小さかったため(身長173cm)、
主に前座レスラーとして活躍する事が多かったのです。

しかし、'89年には世界ジュニアヘビー王座にも輝いた事もありました^^



ちょっとロッキーシリーズが多かったですが、他にもありますよ~。


お次は、この映画。。。


メジャーリーグ.jpg

これまた有名な映画である「メジャー・リーグ」

野球好きの私ですから、もちろんシリーズ全作観ております^^

この映画で使われていた曲が、Troggsというバンドの「Wild Thing」



チャーリー・シーン若いなぁ~^^

ってのは、置いといて・・・

この曲を入場テーマにしていたレスラーとは・・・



大仁田厚.jpg

”涙のカリスマ”の異名を取った
プロレス界のキワモノである大仁田厚です。

まぁ、この人は・・・

一応、馬場さんの愛弟子ではありますが、
私的にはあんまり認めたくない存在なんですよねぇ・・・

でも、やり方は別にして、
一時期は一番有名なレスラーではありました。

議員さんを辞めた今、何かよく判らない活動をしているようですが・・・




さて、次にいきましょう。


2001年宇宙の旅.jpg

スタンリー・キューブリックが監督・脚本を務めた「2001年宇宙の旅」

この映画のオープニングテーマが、著名な交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」




これを入場テーマとしていたのは、この人。。。


ボブ・サップ.jpg

まぁ、プロレスラーというより総合格闘家というべきなんでしょうか。

一瞬のブームで終わってしまったボブ・サップです。。。


あと、プロレスファン的には、この人も挙げておきたいところです。


リック・フレアー.jpg

昭和のプロレスファンの方には、非常に懐かしい存在でしょうか^^

”狂乱の貴公子”や”ネイチャーボーイ”の異名を取った
リック・フレアーですね^^

NWA王者時代の「ギャラクシー・エクスプレス」も有名ですが、
王者戴冠時以外では、この「ツァラトゥストラはかく語りき」もよく使っておりましたね。



さぁ、ようやく最後です(苦笑)


今回のトリを飾るのは、コレ!


スパルタンX.jpg

ジャッキー・チェン主演の「スパルタンX」です。

そして、スパルタンXと言えば、この人しかおりません。。。


三沢さん.jpg

もう、語るまでもありませんね。

私がずっと敬愛して止まない三沢光晴さんです。

以前にも挙げた動画ですが、生前の三沢さんの戦いぶりと共に
「スパルタンX」を聴きながら記事を締めたいと思います。。。





レスラーテーマ曲集

第1弾記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03
第2弾記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15
第3弾記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-07-28



次回は27日夜にUP予定です。

話題は・・・もうお判りの方もいらっしゃるでしょうか。。。^^
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”ALL TOGETHER” [プロレス]

このところ、また酷い肩コリに悩まされている銀狼でございます^^;


あまり触れないでおこうと思っていたのですが、
やはり、ちょっとだけ書いておこうかなぁ。。。


民主党の代表選、野田さんに決まりましたね。

ここで「誰がなっても同じでしょう」とは言いません。

もう、いい加減にやってもらわないと困ります。


知名度が低いとか、華がないとか、そんなことはどうでもいいし。

やるべき事を迅速に遂行してくれる方であれば、それでいいんです。


そういう意味では、まぁまぁ期待出来る方なのかも…
(外交面は、全く未知数の感じがしますが)

野党に対しても官僚に対しても、更に党内に対しても
突っ張るにいいだけ突っ張り通した揚句、何も進められなかった菅さん。

現段階の印象では、その辺りは菅さんよりもまだいいのかなと。。。
就任後の挨拶でも「ノーサイド」と言ってましたし、
キャッチフレーズでもある「怨念を越えた政治」というモノには期待したいと思います。


対して海江田さん。というより小沢さん。


明らかに求心力が弱まってきている事は確かです。

でも、相変わらず「野田さんの出方次第」みたいな事を仰られているようで…


もうイイでしょう。

ご自分の力を思い知らせる事にばかりご執心のようですが、
真っ先にやらなければならない事をずっと棚上げにするのは、言語道断です。


与党がしっかりまとまって、

野党も最大限の協力体制を作って、

皆が一緒になって、この難局を乗り切る行動を即刻起こして下さい。



今は、ホントに皆が一つになる時なんです。。。



そんな最中、プロレス界でも「皆が一つ」になるイベントが行われました。


以前にも記事で触れましたが、東日本大震災の復興支援チャリティーイベントとして、
8月27日(土)に日本武道館にて「ALL TOGETHER」が行われました。
参照記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-04-19


32年ぶりとなる新日本・全日本・NOAHの3団体を中心としたオールスター興行。

観衆は、超満員札止めの17,000人!



私は…

残念ながらチケットなど持っておりません(T_T)

4月の時点で長期出張が決まってたら、速攻でチケット取ってたんだけどなぁ。。。


なので、その日の深夜にテレ朝と日テレで放映された録画中継で観戦致しました。



テレビで観た印象ですが、
とにかく会場の盛り上がりが凄かった!!!

ここ数年、人気凋落を叫ばれているとは思えない感じ。

全盛期の雰囲気が戻ってきたように見えました^^



AT01.jpg

メイン終了後のリング上の様子



32年前のオールスター戦のような馬場さん・猪木といった大スターがいない分、
全体的に小粒感は否めませんが、3団体のチャンピオンが結集するなど、
話題はそれなりに豊富でした。
(ちなみに、猪木主宰のIGFも同日に両国国技館でイベントを行っておりました)


そんな中、一番の話題と歓声を集めたのは、
この二人の千両役者でしょうか。。。



AT02.jpg

全日本の武藤敬司とNOAHの小橋建太

お互いに怪我に悩まされ続けながらも(小橋は病も…)現役を続け、
二人とも40代半ば~後半となった今。
(武藤49歳・小橋44歳)

全盛期のキレ味は影を潜めてしまったが、
存在感や醸し出す華やかさ・迫力は、現在でもプロレス界トップクラスと言っても過言ではないでしょう。


そして、この二人と言えば「ムーンサルトプレス」
(コーナーポストから後方宙返りして、そのまま相手をフォールする技)

こういった大イベントですから、二人はファンの期待に応えてくれました!^^



AT03.jpg

ムーンサルトプレスの競演を果たし、最後は小橋がフォール!

小橋は、腎臓癌摘出後でもあり、尚且つ肘の故障からの復帰間もないということもあってか、
コーナーに昇る足取りが危なっかしかったが、見事に決めてくれました!^^

この瞬間は、テレビからでも場内が大興奮の坩堝となったのが
手に取るように伝わるくらいの盛り上がりでしたねぇ^^



そして、殆どの方がお判りにならないでしょうが、我々プロレスファン的に大注目だったのが、
かつて全日本・NOAHを席巻した伝説のタッグユニット「NO FEAR」の復活!

対するのは、秋山準と佐々木健介の豪華タッグ!

タッグを解散した経緯が経緯だっただけに、
久しぶりの再結成ではギクシャクした感じは否めませんでしたが、
なかなかの試合ぶりを見せてくれました。


AT04.jpg



今では、すっかりどマイナーなプロレス界ではあるけども、
こうして垣根を取り払って一つになれれば、まだまだ盛り上げる事は出来る。

政治の世界でも、垣根を取り払って”ALL TOGETHER”の精神で
やっていってもらいたいところです。。。



え?「プロレスと政治を一緒にするな」って?

いえいえ…


プロレスほどお互いの垣根が高い世界はなかったんですよ。。。

特に馬場さんがご存命だった時は、猪木との間の垣根は途轍もなく高かったんですから。


政治の世界もプロレスの世界も似てるんですよ。

Aという団体を辞めてBという団体へ移る、なんて事が結構多い世界で…

政治の世界もそうでしょう?(皮肉)




まぁ、そんな事は別にして、

「ALL TOGETHER」を観てて感じたのは、
”この方”がいてくれたらどんな大会になっただろうなぁと。。。



三沢さん.jpg


※「ALL TOGETHER」は、来年2月に仙台でも行われるそうです。。。
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