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邦楽も結構あるんですよ<レスラーのテーマ曲集③> [プロレス]

久々に仕事でブチ切れしてしまった銀狼でございます(滝汗)
オトナゲナイ…;^_^A

そんな今日の札幌は、真夏日を記録(30.8℃)したようで、
ただでさえカッカしてる上に、暑さのせいもあって、なまら汗かきまくりでした(苦笑)



てなわけで、こんな精神状態の時は、好きな事書き殴ってスッキリさせて頂きます^^v
(って、いつも好き勝手書いてますけど…^^;)


今回は、私の好きなプロレスと音楽のコラボレーション企画である
レスラーのテーマ曲集の第3弾をお送りしてみようかなと^^
(普通、カッカしてたらクールダウンするような記事を書くところですが、
あえてプロレス絡みのネタでいってみます^^;)


第1弾目:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03

第2弾目:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-06-15



第3弾目のテーマは、「邦楽」

今までは洋楽系ばかりでしたが、日本のミュージシャンが関わっている
プロレスラーのテーマも結構多いんですよ^^♪



邦楽で有名なプロレステーマといえば、コレは外せないでしょう!^^



ファンクス.jpg

ザ・ファンクスのテーマソング。
あの「クリエイション」の「スピニング・トーホールド」です^^



ある意味、「ロンリーハート」よりも有名かも知れません^^;




そして、お次もなまら有名どころで。。。


ハンセン.jpg


”不沈艦”スタン・ハンセンですね^^

このハンセンのテーマといえば、
伝説のバンド・スペクトラムの「サンライズ」であります^^



ただ、ハンセンのテーマ曲の場合は、
他の曲とかけ合わせたオリジナル曲となっております。。。






こんな懐かしいレスラーも挙げてみましょう。


リッキー・スティムボート.jpg


1980年代のマット界を湧かせた”南海の黒豹”ことリッキー・スティムボートです。

母親が日本人であり、カンフーアクションなどのパフォーマンスもあって、
日本のマット界でも大人気を博しました。

そんな彼のテーマ曲がコレです^^
YMOの名曲「ライディーン」



プロレスファンの私としては、ライディーンを聴く度に
リッキー・スティムボートを思い出します。。。




また、有名な女性ミュージシャンが、あるレスラーのために書き下ろしたという曲もあるんです。


中村あゆみ.jpg

中村あゆみです^^


実は、このレスラーがずっと中村あゆみのファンだという事から、
本人に直接、曲を作ってくれるようにお願いしたんです。

鈴木みのる.jpg

”日本一性格の悪い男”の異名をとる、鈴木みのるであります。

そんな彼のために、中村あゆみが書き下ろした曲が
この「風になれ」です。



鈴木みのるも、すっかりお気に入りのこの曲。

わざわざ、サビの部分「♪風になれ~」に合わせてリングインするようにしております。






そして、今回のテーマのトリを飾るのは、この人!


天龍.jpg

昭和のプロレスを語る上では、絶対に外せない存在。

”風雲昇り龍””ミスター・プロレス”など数々の異名をとる、
日本マット界のLiving Regend 天龍源一郎です。


その天龍のテーマといえば、コレですね^^
高中正義「サンダーストーム」





いやぁ、どれも懐かしい名曲ばかりです^^

ん~、これでちょっとはスッキリしたかなぁ。。。^^;



※ここ数日、何かと慌ただしい状況となりますので、コメ返しや皆様へのご訪問が遅れてしまうかもしれません。
 また、ご訪問させて頂いてもnice!の押し逃げとなってしまう事もありますが、何卒ご了承下さいませ。。。
(慌ただしいのに、記事はUPするんかい!ってツッコミはなしでお願いします^^;)
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またしても強引なコラボにて…<レスラーのテーマ曲集②> [プロレス]

またまた出張や仕事のお付き合いなどでバタバタしてしまい、
すっかり予定の更新時間が遅くなってしまった銀狼でございます^^;


そんなわけで、今回はいつもよりは軽めの記事にて。。。



先日、三沢さんの三回忌の記事を書いた際に、ふと思い出した事が…


1年近く前に、こんな記事を書いておりました→http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-03

私が洋楽に親しむようになったきっかけは、プロレスラーのテーマソングからだったという内容でして、
懐かしのプロレスラーと共に、彼らのテーマソングで有名な洋楽ナンバーを挙げ連ねてみましたが、
今回は、その続きを書いてみたいと思います^^


前回の時は、プロレスラーと曲のイメージがリンクしているモノが多かったのですが、
今回は「それはちょっと違うべや~」ってのを、あえて挙げてみようかと…^^;



まずは、この人から!


田上.jpg


三沢さんを蹴っ飛ばしている赤いショートタイツの男。

全日本の四天王の一人であり、三沢さん亡き後のプロレスリング・ノア社長に就任した
田上明というレスラーです。

見るからに、往年の馬場さんチックな佇まいが…^^;

三沢さんや小橋・川田と違って、ちょっとモッサリした感じが強いのは
この画像からでもお判りになるでしょう^^;

ヤル気があるんだかないんだかっていうタイプなんですが、
突然ヤル気を出す事もあって、その時は「田上火山爆発!」とよく言われております。

そんなモッサリレスラーの田上ですが、テーマ曲は全くイメージが違うんですねぇ。。。




あのイングヴェイ・マルムスティーンが弾く「Eclipse」であります。

誰がこの曲に決めたんだろ?^^;




続きましては、この人


渕.jpg

リング上の画像じゃないんで、余計にピンとこないでしょうが、
渕正信というベテランレスラーです。

馬場さん時代から全日本プロレスを支えて続け、
武藤体制になってからも、全日本に残留し、リング内外を仕切っております。
得意技は関節技や絞め技の類で、そのエグさは「拷問」とまで言われるほどです。

が…

見た通り、地味ですorz

今年で御年57歳となりますが、いまだに独身です…

そんな渕のテーマ曲がコレ





皆さんご存知、ケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」

まぁ、確かに渕の関節技は”Danger”かもしれないが、ちょっとコレは合わないのでは?
とずっと思っております…^^;



そして、もう御一方


大木.jpg

昭和のプロレスファンの方には、懐かしいのではないでしょうか?^^

元祖”一本足頭突き”で知られ、馬場さん・猪木のライバルと言われた
「韓国の虎」こと大木金太郎さんです。(5年前にお亡くなりになられております)

そのニックネームが示す通り、大木さんは韓国人レスラーであり、
韓国では英雄として崇めたてられたほどの存在でしたが、
日本では馬場さん・猪木の上に立つことは出来ませんでした。

身体も小さかったのと、兎にも角にも頭突き一本やりの試合ぶりには、
あんまり華がなかったのも影響したのかも…

そんな大木さんには、なぜかコレがテーマ曲となっておりました。。。





コージー・パウエルの「Theme One(邦題:コズミック・ハイウェイ)」

大木金太郎さんには申し訳ないんだけど…
ん~、何でこの曲になったのか、サッパリ理解不能です^^;



1年前に挙げた記事の伝説のレスラー達&テーマ曲には、
今でもセンスの良さを感じさせますが、今回挙げたモノのように「ん?」って思うモノも
結構あったりするんです…^^;


こうなったら、レスラーのテーマ曲ネタもシリーズにしてみよっかなぁ。。。^^
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あぁ、思ひ出のレスラー達<その4~インテリジェンスな怪物> [プロレス]

ようやく我が相棒の修理が済んで、ゴキゲンな銀狼でございます^^

昨日アップした記事のように桜も満開になったので、尚更ゴキゲン度も↑ですな^^

GW前にフロントドライブシャフトの内側ブーツに亀裂を発見。
連休に入る事や震災の影響もあって、部品待ちの状況となっておりましたが、
やっと今日直す事が出来ました^^ (でも、ちょっと待たせ過ぎじゃね?苦笑)

直す場所が場所なんで、時間がかかる事もあり
今日の午前中は代車で過ごす事に。

コイツを借りました。。。


DVC00025.JPG

バリバリ新車状態のキューブ君^^
(色がちょっと微妙…^^;)


動力性能的には、我が家のセカンドカー・マーチと変わりないんだけど、
乗ってみた感じは結構広かったなぁと。。。
(CMで戦場カメラマンの渡部陽一さんが言ってた「フワ~っとした加速」っちゅう感じです)


インパネ周りも開放感があります。

DVC00021.JPG


でも、このメーター周りのオモチャっぽいデザインは、もうちょっと何とかならんもんかなぁ。

DVC00020.JPG




おっと、今回は新型キューブのインプレッションをしたいわけじゃなかった(汗)

今回は、この方について語ってみようかと。。。




tsuruta.jpg


故・ジャンボ鶴田さん

今日5月13日はジャンボさんの命日。

今年で、亡くなられてから11年が経つ。

以前にもジャンボさんが亡くなられた経緯などに触れた事があるので、
今回は、ジャンボさんの類まれなる才能について記事を書いてみたいと思う。
(プロレスファンの方としては、既に知っている話が多いとは思いますが…)

以前の記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2009-05-13-1



さぁ~、いつもの通りにクドイ記事の始まり始まり~^^;



お付き合い頂ける方はコチラからどうぞ^^


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32年ぶりの”夢”… [プロレス]

春眠暁を覚えず、という言葉はありますが、

今現在、春”腹”満腹を覚えずってな感じの銀狼でございます;^_^A


食べた直後はいいんだけど、すぐに腹減っちゃうんだよなぁ。。。



このままでは、

約1カ月後に控えている健康診断はヤバいことになるぞぉ…(ノ><)ノ




え~、先週末にようやく相棒のタイヤ交換を済ませました^^


ENR34タイヤ交換.jpg


見た目はコッチの方がいいんだけども、その分乗り心地が犠牲に…

まだ痛みが残る尾骶骨に響きますわぁ~;^_^A

段差を越える時は要注意ですな^^;





と、相変わらず長い前置きを終えて、やっと本題へ(笑)

今回はプロレス界の話題を。。。


私のブログ記事のカテゴリーの中でも、
最も皆さんの食い付きがよろしくないのがプロレスネタですが(苦笑)、
お構いなしで書いちゃいます^^v


震災が起こって以来、
色んなところで「復興支援」のイベントが行われたり、企画されたりしておりますが、
プロレス界においても、大きなイベントが催されることに。


東京スポーツが主催者となって、
新日本プロレス・全日本プロレス・プロレスリングNOAHのメジャー3団体が一堂に会しての
興行が打たれることが決まったのだ!


プロレスオールスター.jpg
プロレスオールスター02.jpg


あまりプロレスに明るくない方であれば、「ふ~ん…」で済んじゃう話なのだろうが、
プロレス界的には、とんでもない出来事なのである!


きちんとした統一組織を持たないプロレス界としては、
団体間での様々な利害が絡む事もあり、複数の団体が合同で行う興行話はなかなか進みづらい。


しかし、この国難に際して、
「プロレス界でも何かしなければ!」と全日本の武藤社長が提起したことに端を発し、
東京スポーツが主催者となり仲介することで、話がまとまったようである。


東スポが主催者となっての3団体合同興行となると…

プロレスファンとしては、あの32年前の出来事が思い出される。。。


img67ea93f9zikbzj.jpg


昭和54年8月26日 日本武道館にて行われた夢のオールスター戦。

A・猪木率いる新日本、G・馬場さん率いる全日本、そして国際プロレス(現在は消滅)の
3団体が集結して、東スポの創立20周年を祝うという趣旨で催されたのだ。


メインイベントでは、まさに”夢”のタッグが。。。

BI砲.jpg


日本プロレス時代以来、久々となる「BI砲」の結成。

結局、これが最後のBI砲となったのだが、
当時まだ中学生だった私も、この話を聞くだけで胸が躍ったことを憶えている。


あの時から32年。。。


「復興」という名の下に、利害を越えて各団体が集結する事となったが…


プロレスファン的に、気になる事が。



オールスター戦開催を発表した時の上記の画像。

新日本・全日本・NOAHの各チャンピオンが並んでいるのだが、
この3名を知っている方はどれだけいるのだろうか?

プロレスに明るくない方が画像を見て判るのは、
多分 全日本の武藤社長だけではないだろうか?…


32年前には、「BI砲復活」という大きなテーマがあったが、
今回はどのようなにて、「世間」に訴えかけていくことが出来るのか、
これが大きな問題であろう。


人気凋落が著しい、現在のプロレス界

地上波で見られるのは、新日本のみ。
それも、テレビで流れるのは週末の深夜。

テレビで見られなければ、やはり世間には届かない。

自ずと各団体の集客力も低下の一途となる。


東北、そして我が国の「復興」を願っての興行という趣旨だが、
肝心のプロレス界自体の「復興」も考えた興行としなければならないであろう。


メジャー3団体と言わず、
佐々木健介や高山善廣・鈴木みのる・天龍源一郎といった
フリーの大物レスラーにも、是非出場を促して欲しいものである。

特に、今一番の知名度を誇る佐々木健介の出場は絶対に必要ではないだろうか。
(ついでに、”鬼嫁”北斗晶にもマネージャーとして出てもらうなども考えてみては…)


32年前と比べて、かなり「小ぶり」な印象のオールスター戦ではあるが、
数を集めてでも、是非とも成功させて欲しいと思う。



平成23年8月27日 日本武道館
東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER」

”32年前の8.26の明日に熱い思いを届けたい”という思いから、
8.26の翌日に組まれることとなったのだから、その思いが結実するように、
そして、プロレス界発信でも我が国を盛り上げられる事をを証明して欲しいものである。。。



あぁ、この当時は熱かったなぁ。。。




最後に…

ダルビッシュ、今季初勝利!^^
中田翔にも、ようやく1本出てホッと致しました。。。
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”爆勝宣言”再び。。。 [プロレス]

前原外相の辞任劇で、ますます混迷を深めてきた政界に苛立ちを隠せない銀狼でございます。

また、これで国会は空転するんでしょう。

菅政権は、完全に求心力を失ったのは明らか。
野党は、外相の任命責任を問うてくるのだろう。
そして、「国民の信を問え!」と解散総選挙に持ち込みたいのだろう。

だけど…

その前にやらねばならん事があるのでは?

いつになったら、来年度の予算は決まるんだろうか?

あんたらの揉め事に付き合っていられるほど、
我々国民に余裕はないんだけど。

与党の無様な体たらくには、もう飽き飽きしたが、
かといって自民や公明が手を取り合ったところで何が生まれるのか?

まぁ、選挙を行えば自民が勝つのだろうが、それはあくまでも”消去法”での話。
しかし選挙を行えば、また税金を湯水の如く使うことに。


誰か真に国民の事を考えている政治家さんはいるのかいな?


もう、中身のない国盗り合戦は見たくないわぁ。。。




おっと、前段の話でヒートしてしまいました;^_^A


今回は、しばらく書いていなかったプロレスの話題を!

プロレス苦手な方はスルーしちゃって下さいね^^;



先日6日(日)東京・両国国技館にて、
プロレス界の次代を担うべく、この男がリングデビューを果たした。


大地デビュー.jpg

画像を見ても、ピンとこないかな?

では、この画像もご覧頂きましょう。


破壊王.jpg

2005年に、脳幹出血のため40歳という若さで亡くなってしまった
”破壊王”橋本真也さん。


最初の画像は、彼の息子である橋本大地。

破壊王の遺した遺伝子が、待望のプロレスデビューを果たしたのである。

まだ若干18歳の橋本大地。
父親が亡くなってから同じ道を歩む決意をし、父親が創設した「ZERO1」という団体に入門。
高校卒業を待って、ついにデビューを果たしたのである。

入場テーマは勿論…

父親が使っていたあの「爆勝宣言」






その記念すべきデビュー戦の相手は…


大地vs蝶野02.jpg

亡くなった父親の盟友、”黒のカリスマ”蝶野正洋

”プロレスのメッカ”両国のリングにて、
いまだにプロレス界のトップを張る蝶野とのシングルマッチという
破格のデビュー戦。

そして、PPVの解説でこの人まで登場。

大地vs蝶野 武藤.jpg

”破壊王”は”破壊王子”となってしまったが、
闘魂三銃士の揃い踏みといったところか。



普通の18歳であれば、ビビってしまうところだろうが、
さすがは破壊王・橋本真也さんの遺伝子を受け継ぐ男だけあって、
臆することなく蝶野に立ち向かっていった。

大地vs蝶野01.jpg

中学時代から空手や総合格闘技を習っていたこともあり、
キックを得意としていた父親以上のモノがあったと蝶野が語っていたようである。

しかし健闘空しく、最後は蝶野の十八番「STF」にて敗れてしまう。


残念ながら、私は試合を観られたわけではなく、ネットで試合内容を確認したに過ぎないが、
十分な内容のデビュー戦だったのではないだろうか。

現時点での彼の力は、存分に発揮出来たように感じた。


問題はこれからだろう。


ただでさえ、人気低迷が叫ばれるプロレス界。

蝶野や武藤といった集客力のあるトップクラスも、年齢的には下降線の一途を辿り、
彼の父親である橋本真也さんや三沢光晴さんといった大スターが
次々と若くして亡くなってしまうなど、明るい要素がない。


そんな状況下でデビューした橋本大地。
”破壊王二世”としてZERO1のみならず、
プロレス界の切り札としての期待と運命を既に背負わされているのだ。

まだ18歳には酷な話かもしれないが、
本人もそれを判った上でのデビューなのだろう。

元来”馬場・鶴田・三沢”派である私だが、
橋本真也さんというレスラーは気に行っていた。
A・猪木が創り上げた”ストロングスタイル”を一番感じさせるレスラーは
橋本真也さんだったと今でも感じている。
受けに転ずると脆い部分も多かったが、「強さ」は際立っていたと思う。

その遺伝子を継ぐ男として、
プロレス界が再度隆盛を築くためにも、彼には頑張ってもらいたいと思っている。



プロレスや格闘技のみならず、
スポーツ界では大物選手の二世は、なかなか大成しないジンクスがあるが、
何とか彼にはそのジンクスを破ってもらいたい。

プロレス界では、
日本プロレスの祖である力道山先生の息子である百田光雄・義浩さん兄弟がデビューしたが、
身体が小さかったこともあり前座止まりに。(義浩さんは、病気で亡くなってしまう…)

野球界では、
ご存知長嶋御大の長男・一茂がヤクルト・巨人に在籍するも活躍出来ず。
そしてノムさんの三男・克則もヤクルト・阪神・巨人・楽天に在籍するも、やはり活躍出来ず。

畑違いならいるんだけどね~

この人の息子が…


cap003_20090915004205.jpg


335782_c450.jpg

この親子、改めて見るとあんまり似てないな…^^;



ちょっと余談が入ったけど、
このように、プロスポーツ界では父親と同じ道を歩むのがどれだけ大変な事か、
過去の人達が証明してくれている。

でも、画像で見る限りではあるが、
大地が醸し出している雰囲気は、ちょっと他の二世とは違うモノを感じるのだ。

やってくれそうな予感が。。。


なかなかプロレス界の動向をチェックしづらい状況であるが、
私も暫くの間、彼の成長を見守っていきたいなぁ、と思っている。



いつの日か、父親を越えるような活躍を見せて、
くだらない政治家連中も、その鍛え抜かれた脚で蹴り飛ばしてくれ!
(本当にソレやったら捕まるけどね^^;)

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あぁ、思ひ出のレスラー達<その3~御大の凄み> [プロレス]

長い出張から戻り、今日からまた通常モードに。

東京から余計なお土産(風邪)を持って帰ってしまったが、
あっさりと治ってしまいました^^v

何とかは風邪ひかないっていうくらいだし~(爆)

でも…

本日、我が娘がインフルエンザに罹患した事が判明(ノ><)ノ
皆さんもお気をつけ下さいませ…orz



そんな事にもめげず、またいつもの感じで進めて参りましょうかと。。。
(ちゃんと娘の世話しろよ↑)




政治や経済の面では明るい兆しのない現在の我が国だが…

スポーツの話題だけは熱い!



サッカー日本代表のアジアカップ制覇の余韻は、まだまだ冷める気配がない。

そして、明日からはいよいよプロ野球もキャンプインとなる。



しかし、そんな中で私が記事にするのは…


プロレスです^^



「相変わらず、銀狼は偏屈者だねぇ~」

なんて声が聞こえてきそうだが、
今回の記事にてプロレスをとりあげるには、わけがあるんでして。。。


今日 1月31日は、私にとって忘れてはならない日なのである。


babasan.jpg

尊敬するジャイアント馬場さんの命日が、今日1月31日。


今から12年前 1999年の今日、大腸ガンによってこの世を去る事になってしまった。

享年61歳。

もし存命だったとしても、今年で73歳である。
普通に考えれば、現役ではないにしても、
まだまだ元気で生きておられて当たり前の年齢だったのに…


おっと、今日はあまり湿っぽく書くつもりはなかったんだ。



プロレスに詳しい方も全く知らない方でも、
「ジャイアント馬場」さんをご存知ない方は、殆どいらっしゃらないでしょう。
(ん?でも、20代前半までだとご存知ない方も出てきてたりして…)


そんな有名な馬場さんでありますが…

「ジャイアント馬場さんってプロレスラーに、どんなイメージを抱いているか?」

こんな質問を投げかければ、おおよその人はこんな答えになるだろうか。。。


動きがスローモー

アッポー(関根勤のモノマネのような)

本当はたいして強くない

ヤラセっぽい



大の馬場さんファンとしては、あまり書きたくない言葉ばかりなのだが、
存命中に馬場さんの話をすると、だいたいこんな反応ばかりだったのが現実。

まぁ、晩年の動きを見ればそう思われる事も仕方あるまい、とも感じる。


また、馬場さんが当時理想としていたプロレスは
「魅せる」要素を前面に押し出した”アメリカンプロレス”であり、
一方、ライバルのアントニオ猪木が掲げていたプロレスは、
「闘い」を前面に押し出した”ストロングスタイル”のプロレス。

猪木側としては、大物外国人レスラーを呼べなかったため、
苦肉の策として、そのようなスタイルを始めたのだが、これが大当たり。

結果、馬場さんのプロレススタイルは否定される事が多くなってしまった。




だが!


そんな馬場さんにも、自らが標榜したスタイルとは真逆の
目を覆いたくなるような凄惨な試合があったのである。



ここから先は、プロレスに詳しくない方には
不快な内容もあると思われますので、苦手な方はスルーしちゃって下さい。。。
(あ、別に血が出ている画像とかがあるわけではないですけど、くどくなっちゃうもので…)


読んでみたい方はどうぞ。。。


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あぁ、思ひ出のレスラー達<その2~右顎に残る衝撃> [プロレス]

今日、テレビでAKB48の「じゃんけん選抜」なるものを見かけた。


なんでも、12月発売のシングル曲のメンバーをじゃんけんで決める、という事だったらしい。




その時のステージに、何故かアントニオ猪木の姿が・・・(・・;)

じゃんけんには気合いが必要と言う事で、気合いといえば猪木、という図式なのか。
(アニマル浜口もアリだと思うけど^^;)



いつもの如く、ステージの上で「1、2、3、ダァーッ!」と雄叫びをあげる猪木。


つい先日、北朝鮮に赴いて政治的な活動を行ってきた人が
今度はアイドルのステージに出没。。。



ん~、受け止め方は色々あろうが、この行動力とバイタリティはスゴイね・・・^^;

(ちなみに、北朝鮮のお偉いさんの前でも「元気ですか!」と言っていたのも、かなりスゴイ^^;)



おっと、今回は別にアントニオ猪木について語るつもりではなかったのだ。





アントニオ猪木と言えば、有名なのは前述の「ダァー!」の他に「闘魂ビンタ」がある。

テレビ番組などで、一緒に出演している芸人達が次々と犠牲になっている姿を
ご覧になった事がある方も多いだろう。



プロレスを知らない方、または全く興味のない方からすると、
あんな行為は、単なる茶番にしか過ぎないだろう。

ビンタされる芸人としてみれば、テレビ的に「おいしい」場面とはなるだろうが。




だが、プロレスファンとしては、ああいう行為が「ありがたく」感じることもあるのだ。


プロレスラーがどれほど強いものなのか

プロレスラーの力とは、どれほどスゴイものなのか


これを身を持って体験出来る事が嬉しく感じたりするという、
変わった人種がプロレスファンなのである^^;





しかし・・・

ホントに身をもって体験するのは、シャレにならんことがわかった。



私も体験した事があるのだ。

5年前に。。。




2005年7月18日

私は東京にいた。

東京ドームで行われる「プロレスリング・ノア創立5周年記念大会」を観戦するために、
遠路はるばる札幌から東京へ出向いたのだ。

メインは故・三沢光晴さんvs川田利明 5年ぶりとなる因縁の対決

セミファイナルに小橋建太vs佐々木健介 剛腕同士の初遭遇

これは絶対に観なければならん!というわけである。




プロレス観戦の同行者は、東京に住む私の義理の兄。

2歳年上の義理の兄は、もともと札幌生まれであり、
野球とプロレスと酒が好きという、私と気が合う方なのだ。



昼の飛行機で東京へ向かい、羽田にて義理の兄と合流。

すぐに水道橋へ。

5万人を飲みこんだ東京ドームの中は、空調が効いてるはずなのにサウナ状態。

そんな中、アリーナ内・特別リングサイド・前から5列目という、
とてもnice!な席で試合を堪能した私達二人。



全ての試合が終わり、ドームを後にしながら義理の兄が一言。

「寿司食いにいかない?いいところがあるんだ」


北海道の寿司も旨いが、江戸前寿司もいいっすね!となり、
義理の兄と一緒に水道橋から桜新町まで行った。


「あぁ、あそこの寿司屋だよ」

義理の兄が指差した先に一軒の寿司屋の看板が見えた。



『鮨處 しま田』



「あーっ!ここは!」

プロレスファンの間では有名な寿司屋なのだ。

現役プロレスラーのこの方が経営されているからである。


20080912134114.jpg



天龍源一郎

今年で御年60歳を迎えるも、いまだ現役を貫いているとんでもない人。

もとは大相撲で前頭筆頭までいったのだが、所属部屋の騒動に巻き込まれた事により、
相撲界に嫌気がさして廃業し、1976年に故ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスに入団。

それから現在に至るまで、紆余曲折ありながらも第一線のレスラーとして活躍している。

特筆すべきは、
故ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木の両者からピンフォール勝ちを飾った事だろう。

日本人レスラーで、これを成し遂げたのは天龍ただ一人なのである。





「あの天龍がいたらいいなぁ・・・」

天龍自身もノアの東京ドーム大会にゲスト出場していたため、
お店には顔を出していないかも、と思いながら暖簾をくぐると・・・



いた!

お付きの若手レスラーと共に、結構いい調子で飲んでいるではないか。


店内を見渡すと、デブタレントの内山クンや斉藤こずえ(「山口さんちのツトムくん」を歌ってた人)
なども来店しており、あちこちのお客に声を掛けながら天龍は飲みまくっていた。


私達二人もカウンターに座り、寿司をつまみながら一杯やることに。

カウンターには他にも数名のお客がいたため、当初は我々二人で飲み食いしていたのだが、
時間が経つにつれて、そこにいる人数も減ってきた。



ふと気がつくと閉店時間も近づいてきていた。

私達は、天龍に声をかけられ隣の席まで動くことに。



もう、プロレスファンとしてみれば、至福の時である。


憧れのレスラーと酒を酌み交わしながらプロレスの話が出来るなんて、そうそうないことだ。


今日の試合の感想、故ジャイアント馬場さんとの思い出話、他のレスラーのこぼれ話etc...
ここぞとばかりに色んな事を聞きまくり、酒をあおった。

酔いにまかせて天龍もリップサービスが盛んになっていた^^


彼独特のしゃがれた声で
「おぉ~、わざわざ札幌から来たのか!」といって、快くサインも書いてもらった^^

tenryu.jpg

横に小さくお付きのレスラーのサインも・・・^^;




そうしているうちに、閉店の時間が。


そこで、義理の兄がいきなりとんでもない事を言い出した。

「天龍さん!僕にチョップ入れて下さい!」



な、な、何を言うんだ!この人は!(・・;)


唖然とする私を横目に、義理の兄と天龍は既にその体勢に入っていた・・・^^;


ドスッ!


重たい音を響かせて、天龍のチョップが義理の兄の”喉元”に。。。
(天龍のチョップは喉に打つという、とんでもないモノなのである)


床に転がって悶絶する義理の兄。


素人相手だから、多少の手加減はしているはずなのだが、
何せ、天龍自身も酔いが回っているため、力のセーブが効いていないようだ。


その後、私の方を向きニヤっとしながら「お前もか?」と天龍が尋ねてきた。


「いや・・・結構です・・・」



と言えるような雰囲気ではなかった。


というか、前述のプロレスファンの気持ちのように、
「ちょっとは味わってみたいかも・・・」なんて思ってしまう自分がいた^^;



「じゃあ、お前にはコレだな」

と酔った天龍が出した手の形は・・・




握り拳だった!



「え!マジで!」


プロレスファンであれば、天龍の得意技くらい知っている。

彼が得意とする技に”グーパンチ”なるものがあるのだ。



tenryu2.jpg



要は、ただ拳で殴るだけの技なのだ。

プロレスのルールとしては、パンチは反則なのだが、
なぜか天龍は得意技となってしまっている^^;



「ちゃんと歯を食いしばっておけよ!」



「はい!」と返事をした瞬間、拳が飛んできた。



ゴツッ!




またしても鈍い音が響く。


天龍の拳が私の右顎にヒットした。



こちらも、ただでさえ酔っているのに、脳震盪がプラスされて
わけがわからない状態に・・・^^;;;



倒れ込み悶絶する素人二人を見ながら、
店内にいた周りの人達は、皆笑っている・・・^^;



ようやく起き上った私達は、天龍と握手を交して店を後にした。



「スゴイ体験だったね~」

なんて呑気に言いながら、宿泊先である義理の兄のマンションへ。


そこで気がついた事が。



私は中学生の時に、とある事がきっかけで顎の骨がずれてしまったままだったのだが・・・


見事に治っていたのだ(爆)



荒っぽい治療だったけど、天龍先生ありがとう~

などとは言わなかったけど^^;

とにかくプロレスラーの力を、まざまざと思い知らされた。



あの右顎に受けた衝撃は、一生忘れられない。

拳というより、岩が自分の顎に飛んできた感覚なのだから。




まぁ、こうして記事にしてみれば、全くもってアホみたい話なんだけどね・・・^^;




痛い思いはしたけど、また天龍に会いにいきたいな。。。

と思いながらも、なかなか店に行く機会がないまま5年が過ぎた。



そうしているうちに、「鮨處 しま田」が昨年末をもって閉店となってしまった事を
先日初めて知ったのである。




う~ん、残念。。。



この先、天龍と酒を酌み交わせる事もないだろうが、
私の右顎には、しっかりと天龍の拳の感触が残っている。



もう44にもなるんだから、殴られるのは一度っきりでいいべさね~^^;




最後に・・・
天龍の入場テーマである、高中正義「サンダーストーム」の動画でも。。。







十五夜の日に書くような話題じゃないっすね・・・^^;
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あぁ、思ひ出のレスラー達<その1~方舟10周年にちなんで> [プロレス]

毎回、支離滅裂なテーマ展開をしている私のブログ。


でも、一応自分なりに、
不定期ではあるが色んなシリーズ物を決めて書き続けている。


クルマに関しては、
自分の歴代の愛車を振り返る「我が相棒達の回顧録」シリーズ
クルマ関係の催しを観てきた際の「目の保養」シリーズ

野球に関しては、
我がFsの選手達を一人ずつピックアップして紹介する、「独善的Fs選手考」シリーズ

音楽に関しては、
大好きな80年代のJ-POPの曲やアーティストを好き勝手に語る
「おじさんは、やっぱり80年代が好きです」シリーズ

といった具合である。




ん?・・・

あらっ!? 
本ブログの骨子の一つである「プロレス」に関するシリーズだけやってないんでしょ[あせあせ(飛び散る汗)]



てな事に気づいたんで、慌てて新シリーズを立ち上げてみることに。。。




記念すべき「思ひ出のレスラー」の一人目は・・・


やっぱり、この方にお出まし願うしかない!






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故・三沢光晴さん

私が尊敬してやまない方だ。




プロレスに明るくない方、興味がない方でも、
昨年の悲しい出来事のせいで、名前くらいはご存知だろう。

プロレスを知らない方にとってみれば、ただの「一レスラー」でしかないのだろうが、
私のようなプロレスファンにとってみれば、あまりにも偉大な存在なのである。

野球界で例えてみると(この例えもわかりづかいかも・・・^^;)
誰もが知っている、故G・馬場さんとA・猪木は野球界でいうON(王・長嶋)クラス。

では三沢さんは・・・イチロー・松井秀クラスといっても過言ではないだろうか。






三沢さんの略歴や活躍ぶりを改めて・・・と思ったが、
昨年の事故の際に色んな方々が語られているし、
私もここでたくさんの事を語ったので、割愛させて頂きたい。



そこで、今回は「レスラー・三沢光晴」ではなく、
私なりに感じている「人間・三沢光晴」について語ってみようと思う。


もちろん、生前にご本人と親しい付き合いがあったわけではないため、
伝え聞く話などからの想像的側面もあるのだが・・・





三沢さんという人物像が語られる時、必ず次のようなキーワードが出てくる。

「正義感が強い」 「寡黙な人」 「信頼のおける人」 「私利私欲がない人」

どれも、その通りであろう。




しかし、私は更に付け加えたい。

「寂しがり屋」で「愛情に飢えていた人」と・・・





各所で公開されている三沢さんのプロフィールを見ると、
その殆どは「埼玉県越谷市」出身となっている。

しかし、実際は北海道夕張市にて生を受けているのだ。


父は、夕張にて炭鉱夫をしていたのだが、
炭鉱が閉山となってしまい、三沢さんは1歳になるかならないかくらいで
埼玉への引っ越しを余儀なくされたそうだ。

このように夕張での思い出がほとんどない事で、
三沢さん自身は出身地を聞かれた際に、埼玉県越谷市と答えていたようだ。


そんな環境で育っていった三沢さんだが、
小学校入学のあたりで、両親が離婚という事態に直面する。

三沢さんの父親は、もともと酒癖が悪かったらしく、
度々暴力をふるっていたらしい・・・。
また、その暴力は離婚後も続いたそうだ。
(酔った勢いで、家に押しかけ暴力をふるっていたらしい)
まだ幼かった三沢さんであったが、そんな光景を目の当たりにして、
「大きくなったら、絶対にぶっ飛ばしてやるんだ」と思っていたそうだ。


このような出来事が、
三沢さんが”強さ”を求めるきっかけとなったのかもしれない。。。


両親の離婚後、
三沢さんの母親は昼夜を問わず働きづめの生活となる。
女手一つで子供(男二人…三沢さんは次男)を育てなければいけないのだから、
致し方ないのだろうが・・・

まだまだ甘えたい盛りの三沢さんだったはずなのだが、
そんな母親の姿を見て、自分の感情を胸にしまう事を覚えたのだろう。
寡黙な少年として、寂しさに耐えながらも逞しさを身につけていったのだ。



このような幼少期の経験から、
上記のキーワードのような人間性を生みだした事は想像に難くない。



自らの欲など億尾にも出さず、周りの人のために尽くしてきた。

自らの団体のみならず、他団体の若手などとも連れだって飲みにいっていたようだが、
それも三沢さんの面倒見の良さだけでなく、
心の奥底に潜んでいる「寂しさ」から来るものだったと思えてならないのだ・・・。

また、師匠であるG・馬場さんを心から慕っていたのだが、
それは本当の父親の愛情を知らずに育ってきたため、
馬場さんに対して「父親」としての面影を見ていたからなのだろう。。。




だが、”育ての父親”ともお別れの時が来てしまう・・・

1999年1月、馬場さんはガンに冒され、この世から旅立ってしまった。



ここから、また三沢さんの苦難が始まる。

馬場さんを信頼・敬愛し、馬場さんのために尽くしてきた三沢さん。
その馬場さんが遺した団体・レスラー・スタッフ達を守るべく身体を張り続けていた。

しかし、そのことを理解してくれなかった人がいた。

馬場夫人の元子さんである。



元子さんは、とにかく馬場さんを溺愛していた。

馬場さんが全てだった。

その思いが元子さんと三沢さんの間に亀裂を生むこととなってしまうのだ・・・



馬場さん亡き後、
団体関係者にとってリング内外全ての拠り所は三沢さんの存在であった。

しかし、元子さんには、三沢さんに団体を乗っ取られてしまうと感じたようだった。

「馬場さんが遺したものを獲られたくない」

当時、三沢さんは全日本プロレスの2代目社長を襲名していたが、
肩書きだけの社長でしかなく、全ての権限は元子さんに集中していた。



馬場さんが遺したものをより良くしていきたい、と考えて
様々な提案を元子さんに行っていた三沢さん。

そんな三沢さんの行動は、元子さんにとって
「馬場さんが遺したものを壊す気だ」としか映らなかった。



そうなると、もう三沢さんの居場所はない。

三沢さんは、馬場さんが遺した団体から去る決意を固める。



その三沢さんの決意に気付いた周りの人達は、
殆どの人が三沢さんについていきたいと志願する事態に。

一人で戦うつもりでいた三沢さんであったが、
こうなると後には引けなくなってしまい、大人数を引き連れての新団体設立に至る。



ただ、この時の業界内での三沢バッシングは凄かった。

事情を知らない人から見れば、
プロレス界特有の「引き抜き」としか映らず、
皆が「三沢さんは全日本プロレスを潰す気だ」と囃し立てた。

でも、三沢さんは一切の言い訳をせず、沈黙を守ったのである。


自分を信じてついてきてくれた人達を守るために、一人で泥を被ったのだ。

それが、三沢光晴という人間なのだ。
(後に、事情が判明していくことになり、三沢さんを悪く言う者はいなくなった)




このような苦難の末に、三沢さんの理想郷として
「プロレスリング・ノア」は旗揚げを果たす。

三沢さんが方舟を造り、皆を助け出したのだ。




2000年8月5日の事である。





あの時から、もう10年が経った。


主であるはずの三沢さんは、
やはり周りの達のために自らを犠牲にし続け、
記念すべき10年目を待たずに、旅立ってしまった。。。



現在、ノアに在籍している殆どの人達は、
あの10年前の出来事を知っている人ばかりである。

であれば、三沢さんの思いや意志(遺志)は十分に理解していることであろう。




プロレスのみならず、格闘技業界全体が人気低迷の様相を呈してきているが、
三沢さんが苦難の道の末に造った”理想郷”を何とか守って欲しい。






三沢さんを見続けてきた者の一人として、
10年目を迎え、改めてそれを切に願うばかりである。

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思わぬところから洋楽に触れたのだ<レスラーのテーマ曲集①> [プロレス]

先日、仕事関係の方を私の相棒に乗せて、札幌市内を走っていたときのこと。


相棒の中では、70~80'sの洋楽が流れていた。


車内での会話
相手:「銀狼さん、結構古い曲聴いてるねぇ~」
私:「さすがに、今の曲にはついていけないんでね・・・^^;」
相手:「ところでさぁ、いくつくらいから洋楽を聴くようになったぁ?」


ん!?・・・

いつ頃からだったかなぁ。。。




そうして、自分の記憶を思い起こしてみたところ、
全く音楽とは関係のないとこから入り込んだ事に気づいた。





「プロレス」なのである。




幼い頃から、父親と一緒になってテレビのプロレス中継を観ていたのだが、
私が一所懸命観出した頃から、プロレス界にある変革が起き始めたのだ。


プロレスラーの入場時にテーマソングが流れるようになったのだ。



その道筋を作ったのは・・・



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”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスである。

彼の入場時に流れたテーマソングがジグソーの「Sky High」
もともと、映画の主題歌としてヒットした曲で、日本でもオリコン2位を記録したほどである。
この曲をミル・マスカラスのテーマとして使い始めたのが、プロレスラーのテーマソングの
奔りとなっているのだ。



まだ、青臭いガキんちょであった私は、
英語で歌っている曲には興味が持てなかったのだが、
子供心に聴き続けるうちにメロディがしっかりと頭に刷り込まれていた。
今思えば、これが洋楽への入り口だったのだろう。



そして、同時期にこの悪名名高いレスラーのテーマも出てきた。


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”黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー

この人が使うことになったテーマソングは、
まさに彼のイメージにぴったり!

ピンク・フロイドの「One Of These Days」(邦題:吹けよ風、呼べよ嵐)



この、何とも言い難いおどろおどろしい雰囲気が
最高の悪役レスラーのイメージに見事に嵌った感がある。
一説には、あの故G・馬場さんが選曲したという話も・・・




そして、その後にこのレスラーの出現によって、
私は、そのレスラーの魅力と共に洋楽に親しむようにもなった。


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”超獣”や”哲学獣”と呼ばれた故ブルーザー・ブロディである。
私が、史上最強レスラーと思っている人物。

暴れまわりながら入場してくる様は、まさに獣なのだが、
その実は、非常にクレバーな人間であり、入場シーンからすべてを
自分で計算してキャラクターを作り上げていた。


そんな彼のテーマソングとなったのが、
かのレッド・ツェッペリンの「immigrant song」(邦題:移民の歌)である。

正直、ブロディのテーマとして、この曲を聴くまで
ツェッペリンの存在すら知らなかった私なのだが、ブロディに嵌って以来、
レッド・ツェッペリンにも興味を持つようになったのだ。



これ以来、洋楽にも徐々に興味を持つようになった私。

また、ちょうどこの時に、小学校の時に仲良くしていた人が
中学進学と同時に東京へ越してしまったのだが、
彼もそこでクイーンに興味を持つようになり、
私もその影響でクイーンや他の洋楽へも踏み込むようになる。



まだまだ、上記以外にも色んな洋楽の名曲がレスラーのテーマとなっている。

ここからは、youtube動画の羅列で・・・



”暴走戦士”ザ・ロード・ウォリアーズ

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直線的かつ圧倒的破壊力を誇ったタッグチームで、
常に秒殺で試合を終わらせてしまうスタイルは衝撃的であった。

そんな彼らに用意されたテーマ曲は、
へヴィ・メタルの元祖とも評される、ブラック・サバスの「Iron Man」である。







”殺人魚雷コンビ” スティーブ・ウィリアムス&テリー・ゴディ

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平成初期の全日本プロレスを暴れまわった、
”殺人医師”スティーブ・ウィリアムスと”人間魚雷”テリー・ゴディのコンビである。
(しかし、”殺人医師”って、要はヤブ医者じゃん ^^;)


この二人が使っていたテーマソングは、
キッスの「I Love it Loud」(邦題:勇士の叫び)








”皇帝戦士”ビッグバン・ベイダー

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新日本プロレスにて最強外国人の名を欲しいままにし、
その後、UWFインター・全日本・NOAHと主要団体を渡り歩きながら、
常に最強外国人として君臨し続けた。

彼が使っていたテーマソングは、
レインボーの「Eyes Of The World」である。





これらの他にも枚挙に暇がないくらい洋楽の名曲が
レスラー達のテーマとして使われているのだが、
これ以上挙げているとキリがないっす^^;






しかし、こうして聴いてみると、
レスラーのテーマ曲を決めていた人のセンスって、なかなかいいじゃん!って思う。
そのレスラーのイメージに合った曲をよくもまぁ探しだしてこれたもんだなと。

現在では、著作権の関係なのか、
レスラー達のテーマ曲の殆どがオリジナル曲となっているのだが、
古き良き時代のプロレスを観ていた者としては、ちょっと寂しくもあるのだ。

以前のように洋楽の名曲をたくさんフィーチャーして、
「このレスラーにピッタリだね~^^」なんてリング上での内容以外の面でも
楽しませて欲しいところなのだがなぁ・・・。




*******************************


毎回毎回、グダグダ感満載で且つ
皆さんをドン引きさせるような記事ばかりの私のブログでありますが、
昨日のアクセスランキングにて、なんと初めて3ケタ台のランク入り^^


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私としては、かなり驚きの出来事です^^;

まぁ、これだけくだらない内容にも拘わらず、
ご来訪頂いている皆様には、改めて感謝を申し上げます。

呆れてしまう内容の記事ばかりでしょうが、
これからも宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
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”鬼”までもが逝ってしまった・・・ [プロレス]

またしても訃報記事である。。。

 

「銀狼のブログは、訃報ばっかりだ」とお叱りを受けそうだが、                                        なぜか今年は私にとっては通り過ぎるわけにはいかない方ばかりが                   亡くなってしまうため、何卒ご容赦願いたい。

 

 

 

昨日の早朝5時半に、元プロレスラーのラッシャー木村さんが亡くなった。

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プロレスに詳しくない方でも、一度は名前を耳にしたことはあるのではないだろうか?

 

大相撲の幕下力士であった彼だが、                                              1964年に力士を廃業しプロレス入りを決意。

それ以来、様々な団体で活躍してきたラッシャー。

 

 

そんな彼につけられたあだ名は”鬼”であった。

それも二種類の”鬼”である。

 

 

 

一つは”金網の鬼”

 

昭和40年代後半、ラッシャーは、今は無き国際プロレスという団体のエースであったが、                         人気や話題の面で、馬場率いる全日本や猪木率いる新日本に大きく後塵を拝していた。

そこでラッシャーは、話題作りのために「金網デスマッチ」を行ったのだ。

もともと地味なレスラーであったラッシャーだったが、                                   邪道な手法ではあったものの、その壮絶な戦いぶりにより、                              ”金網の鬼”と呼ばれ、一躍人気レスラーとなったのである。

 

しかし、所属する国際プロレスが崩壊。

行き場のなくなったラッシャーは、盟友アニマル浜口と寺西勇を引き連れ、                     新日本プロレスに乗りこみ、猪木に挑戦状を叩きつける。

 

彼ら3人は、完全アウェーのリングにあがり、                                       罵声やブーイングが飛び交う中、マイクを通してのアピールを行う。

特攻隊長的立場のアニマル浜口が威勢良く吠えまくり、                               リングを包む空気は殺伐としたものに。

いよいよ大将であるラッシャーにマイクが渡る。

そこで彼の口から出た言葉は・・・

 

 

『皆さんこんばんは。ラッシャー木村です。』

 

・・・

 

場内が失笑に包まれた。。。

 

ラッシャー曰く、「初めて上がるんだから、挨拶するのが当然だろう」

悪役レスラーというキャラクターを演じなければならないはずが、                            本来の人の良さを思いきり出してしまった。

 

しかし、これが彼のその後のレスラー人生の延命に繋がった。

 

新日本での猪木との抗争後、今度は馬場の首を狙うため全日本へ。

当初は馬場の敵役として戦っていたが、                                         ある試合後、いつものようにマイクを握った彼は突然こう言った。

 

「馬場~!これからはアニキと呼ばせてくれ~!」

 

場内は笑いと大歓声に包まれる。

 

これ以降、馬場とラッシャーは「兄弟タッグ」として                                      全日本プロレスの前座マットを盛り上げることとなる。

 

ラッシャーは、試合後に必ずマイクを取り、馬場や観客に語りかける事が恒例となった。

彼本来の人柄の良さ・温かさと、                                                            およそプロレスのリング上には似つかわしくない飄々とした「ネタ」の数々によって、                いつしかファンは彼を”マイクの鬼”を呼ぶようになる。

 

馬場の逝去後、三沢と共に全日本を離れNOAHに移籍するも、                           ラッシャーはマイクを持ち続け、ファンを楽しませた。

 

「茶番」だの「八百長」だの言われてきたプロレスの評判を逆手にとり、                        あえて道化師を演じ続け、プロレス界で新たなポジションを築いたのである。

 

その後、体調を崩してしまった彼は2004年に引退。

それからというものは、すっかり様子がわからなくなってしまっていたが、                     久々に耳にした話題は、訃報となってしまった・・・。

 

 

 

日本プロレス史において、                                                    力道山・馬場・猪木を初めとした様々な強者達が色んな伝説を作ってきたが、                  正統派のレスリングから金網デスマッチの邪道、そして晩年の道化師役と                     これだけ幅広い活躍が出来たのはラッシャーくらいのものであろう。

 

あらためて振り返ってみて、非常に稀有で貴重な存在だったと感じさせられた。

 

 

 

今頃は、天国で馬場さんや三沢と再会しているかな・・・

 

ラッシャー木村さん、どうぞ安らかにお眠り下さい。。。

 


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