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くーぺさんよりご提供^^ (くーぺさんのブログはこちらから^^) r34-2-01.gif

おじさんは、やっぱり80年代が好きです・・・^^;<リクエストアワー> [80's J-POP]

今日(27日)も群馬まで行ってた銀狼でございます。

なんか、こっちに来てからの殆どの用事が栃木・茨城・群馬といった北関東ばかり。
川崎の方から、北関東通いはなまらキツイです^^;

でも、今週土曜には千葉・市川辺りまで行くことになりそう・・・




とまぁ、なんか大した仕事してない割に慌ただしい上に、
ブログのネタも全然まとまっておりません;^_^A

てなわけで、今回はシリーズ化している80年代J-POPのリクエストアワーという形で、
今までピックアップしたアーティストからお気にいりの曲をいくつか挙げてみようかと。。。




ん?

あ、判りましたぁ?

はい!手抜きです!(爆)



さてさて、まずは1曲目いってみましょう~^^♪

まずは、<シリーズその19>でご紹介した横山輝一の曲から「STATUS」



横山輝一の記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-05-22



お次は、<シリーズその11>でご紹介したスペクトラムの曲から「ACT SHOW」



スペクトラムの記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-11-01



スペクトラムが出てくるとなると、この人達も挙げておきたい!
<シリーズその15>でご紹介した米米クラブの曲から懐かしの「Shake Hip」



米米クラブの記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-04-06



息つく暇もなく4曲目へ!^^

今度は、<シリーズその10>でご紹介した佐野元春の曲から、これまた懐かしい「99BLUES」を^^



佐野元春の記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-10-18


まだまだ続きます!

5曲目は、<シリーズその5>でご紹介した久保田利伸を^^
ちょっと変わったところで、久保田の名前を世に知らしめる事となったトシちゃんの「It's BAD」を
久保田が歌ったらこんな曲になっちゃうというモノを。。。



久保田利伸の記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-03-09



そしてトリを飾るのは、<シリーズその8>でご紹介したBARBEE BOYSの曲から
記念すべきメジャーデビュー曲である「暗闇でDANCE」を^^♪



BARBEE BOYSの記事 http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-08-17



なまらゴキゲンな曲聴きまくって、テンションあげて慌ただしさを乗り切りますかぁ!^^






独り言その1・・・

いつもお越し頂いているмдсдяоиさんから「1000nice!のキリ番を踏みました」とのご報告を頂きました^^
思えばrtfkさんの20,000nice!も僭越ながら私が・・・^^;
何かイイ事あるかなぁ?^^


独り言その2・・・

ファイターズは、いつになったら勝つんだぁ~(T_T) 

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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その23 [80's J-POP]

このところ、ちょっと身体が重たい感じの銀狼でございます。

あ、別に肥えたわけではありません^^;

なかなか疲れが抜けきらないといった感じでしょうか。。。



先週6日の川崎⇔宇都宮のクルマ移動往復に始まり、
7日は川崎⇔群馬・太田をまたクルマで往復、8日は東京→札幌の飛行機移動、
9日は札幌→函館をクルマで移動し1泊、翌10日に函館から帰札
といった連日の長距離移動は、さすがに40代半ばの身体には堪えますねぇ…;^_^A


10日の日は、お昼過ぎには仕事を終えて、のんびりと帰札しようなどと考えていたのですが、
想定外の出来事が起きてしまい、函館を発つ事が出来たのは結局夜9時過ぎに…(-_-;)
片道300km以上の距離を走る事を考えれば、札幌に着く前に日付を超えてしまうわけです。

重たい身体に鞭打ちながら、相棒と札幌へ向かったわけですが、
ふと思ったことが。。。


「こうして、夜(夜中)に一人でドライブするなんて、いつ以来だぁ?」


暇な学生時代は、友達と連れ立ってとか、
誰も暇な奴がいない時は、一人でフラっと宛の無いドライブによく走っていたものでした。

なんか、それを思い出した途端、
なまら疲れていた割には、結構テンションがあがっちゃったりして…^^;

開き直って、この状況を楽しむ事に致しました^^v


楽しむからには、ゴキゲンなBGMも必要だべさ!
というわけで、私の好きな80年代のJ-POP集がランダムに流れてくるように
相棒のHDDをセットして。。。


で、今回改めて聴いてみて「やっぱ、コイツはいいわぁ~♪」
と感じたアーティストがいたので、今回はその方についてUPしてみたいと思います。







kohhy02.jpg


ここでも何度か触れた事があります、”kohhy”こと小比類巻かほるです^^
(以下、kohhyと表記します)

確か、この「80年代J-POPシリーズ」の初期の頃にも書いた気がするのですが、
サラッと触れた程度だったはずなので、改めてじっくり書いてみます。



1967年3月16日生まれ(私と同学年です^^)

青森県の三沢市で生まれ育った彼女ですが、
三沢といえば米軍基地がある事で知られております。

高校時代からセミプロのバンドに属し、
米軍基地内のクラブステージで歌っていたところをスカウトされ、
1985年10月EPICソニーより、18歳でメジャーデビューを果たします。

当時といえば、渡辺美里や中村あゆみにプリンセス・プリンセスなどといった
ガールズロックが一大ブームを巻き起こしていた時ですが、
kohhyは故郷で馴染んできたソウル・R&B系のサウンドで勝負。

また、曲調と共にルックスの方でも、
「可愛らしさ」というより「カッコ良さ」の方が際立っていた感じで、
他の女性アーティストとは一線を画していた感がありました。
(”クールビューティー”って表現が似合う感じだったかも。。。)



デビュー曲「Never Say Good-Bye」は、
ドラマ「ポニーテールは振り向かない」の主題歌となった事もあり、
まずまずのスタートを切る。

2nd.シングル「両手いっぱいのジョニー」もスマッシュヒットを記録しましたが、
やはりkohhyがブレイクするきっかけとなったのは、4thシングルの「Hold On Me」でしょうか。

これまた、ドラマ「結婚物語」の主題歌に抜擢され大ヒット。
この年の紅白歌合戦にも初出場を果たします。

そして、4thシングル「Hold On Me」の後に発売された3rdアルバム「I'm Here」は
オリコンのアルバムチャート2位を記録。

すっかり若手女性R&Bシンガーとしての地位を確立致しました。

デビュー当時は、外国人プロデュースの下で活動していたようですが、
3rdアルバムの辺りから、元「一風堂」の土屋昌巳がサウンドプロデューサーとなり、
それが見事にハマったようでしたね^^



その後も、順調にヒット曲を重ねたのですが、
'89年にEPICソニーからTDKレコードへの移籍を行います。

ちょっと、この辺りから雲行きが怪しくなってきました。。。

確か「TDKレコード最初のアーティスト」だったように記憶しているのですが、
どうもEPIC時代と比べて、明らかに露出が減ってきた感じが。。。

これも記憶が定かではないのですが、
kohhyが憧れていた「プリンス」にプロデュースをしてもらえる、という事で
移籍を決断したようなのですが、これが見事に失敗だった感じを受けました。
(実際にプリンスが2曲くらいアルバム曲を書いたはずなのですが、イマイチだった印象があります)


移籍後も着実にシングル・アルバムをリリースはしていたのですが、
かつてのようなヒットには恵まれず…

一時は諸事情で故郷の青森に戻っていた事もあったようです。


しかし、デビュー26年目を迎えた現在では、
地道ではありますがライブ活動もそれなりに行っているようで、
ちょこちょことではありますが、テレビでも姿を拝見する機会が出てきております。



kohhyの歌い方って、「ソウルフル」ではあるんだけども「パワフル」って感じではない。
ちょっと声が薄いというか、線が細い感じを受けます。
だからといって物足りないってわけではなく、逆に艶を感じさせるような歌い方だなぁと。

その辺の艶っぽさや都会的なクールさを漂わせるカッコ良さに
私は結構惹かれたわけです^^


もう20年以上前の曲なので、古さを感じるのは致し方ありませんが、
今こうして聴いてみても、やっぱカッコいいんだよなぁ~^^♪

しばらく新譜のリリースの予定もないようですが、
これからもずっと末永く歌い続けて欲しいアーティストの一人であります。。。
(セルフカバーなどのアルバムは出してるみたいです^^)

kohhy03.jpg
現在のkohhy(オフィシャルHPより抜粋)








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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^;<特別編③> [80's J-POP]

充実の引きこもり生活を送っている銀狼でございます(爆)


相変わらず暑い日が続いておりますが、
皆さんにおかれましては、夏休みを満喫されていることでしょうか^^


まぁ、私もちょっぴり仕事して、掃除・洗濯・買物と
やらなきゃならん事もありながら、結構ボーっと過ごしております;^_^A



そんな中で、Youtubeをツラツラっと流して観たりしてたのですが、
改めて感じた事があるので、今回はそれを記事にしてみようかと。。。


酷暑の中、こちらも暑苦しいほどのクドイ内容でいってみよう!(爆)



ここに訪れて頂いていらっしゃる方であれば、
私の松田聖子好きは、よ~くご存知の事でしょう。

また、80年代アイドルに強い興味を持っている事もお判りの事でしょうか。


自分でも、ふと思うのですが、
なぜ私がそういうモノに興味を抱くようになったんだろうか?…

思い当たるきっかけがあるのです。。。



幼少期の頃に遡るのですが、
私は4歳の頃から小学4年生になる前まで、とあるバス会社のバスガイド寮に住んでいた事があります。
(以前にも、どこかで書いたはずですが…)

私の母に寮母の仕事の依頼が入り、
家族ごと寮に住み込みながらの生活を6年ほど送っておりました。

バスガイドさんに囲まれての生活ですから、当たり前の如く若いお姉さん達ばかり^^

そういう方々と一緒にテレビを観る事が多かったのですが、
彼女達が好む番組となれば、当時流行っていた歌番組が中心となります。

漠然とでも一緒に観ていれば、幼かった私の中に自然と刷り込まれていくわけで…

気がつけば、アイドル歌手に興味を抱くようになったのであります。。。




そうして、色んな歌番組などを観ながら育ってきた私でしたが、
中学2年となる1980年に衝撃の出会いがありました。


聖子.jpg

松田聖子のデビューによって、
40代半ばとなる今に至るまで、どっぷりと聖子に浸る事になるわけです。

細身で華奢な身体つきに似合わない太くてパンチ力のある歌声。
この当時は、まだ危さがありましたが、歌唱力も十分なモノでしたし、
新人離れした表現力の素晴らしさには目を見張りました。


しかし、この年は聖子だけではありません。

他にも実力派のアイドルが目白押しとなっておりました。



河合奈保子.jpg

八重歯が目立つベビーフェイスとグラマラスなボディのアンバランスさが売りだった河合奈保子。
「西城秀樹の妹コンテスト」に優勝し、華々しくデビュー。
聖子の最大のライバルとも言われておりました。勿論、歌唱力は折り紙つきでしたね^^



三原順子.jpg

「3年B組金八先生」のツッパリ役でブレイクした三原順子(現・じゅん子)
その落ち着いた雰囲気から、”ポスト百恵”の一番手とも目された事もありました。
現在は…まぁ、国のために頑張って下さい^^;




柏原芳恵.jpg

河合奈保子と同じく、グラマラスなボディが売りであった柏原よしえ(現・芳恵)
歌の実力も聖子や奈保子に引けを取らないモノだったが、
艶っぽさを感じさせる声質が特徴でもあり、「歌謡曲」然とした楽曲を歌わせたら
天下一品だったと私は思っております。



岩崎良美.jpg

デビューの時点でいえば、ダントツの評判だったのが岩崎良美。
何たって、あの岩崎宏美の妹なのだから、期待度も高かったわけで…
歌唱力は姉譲りでもあり、同年デビュー組では一番といっても過言ではないでしょう。
まさに「実力派」の言葉が一番似合う人だったように思います。



鹿取洋子.jpg

オリエンタルムード溢れるデビュー曲とモデルのようなスタイルが特徴的だった鹿取洋子。
他の女性アイドル達よりも大人びた雰囲気を醸しだしており、
故・松原みきさんのようなアイドルとシンガーの中間を狙った売り方だったように思われます。




松村和子.jpg

「アイドル」と括るには多少無理がありますが、この人も取りあげないわけにはいかないでしょう^^
奇抜な衣装と三味線という武器で、”ジャパニーズソウルミュージック”である演歌のイメージを
変えた演歌界のアイドル、松村和子ですね^^
我が北海道出身という事もあり、注目しておりました。




田原俊彦.jpg

最後に挙げるのは、この人。もう説明は要りませんね^^
歌の実力は…あえて触れませんが^^;;;
アイドルとしての華やかさという点では、いまだにこの”トシちゃん”の右に出る人はいないだろうと
私は思ってます。



上記に挙げた人達の他にも、浜田朱里や故・甲斐智枝美さん・日高のり子(タッチの南ちゃんの声の人)・
石坂智子などがデビューした1980年。

こうして改めて見てみると、見事にそれぞれのキャラがたっている事が判ります。
そして、歌の上手い人が多かった年でもありました。(トシちゃん除く 笑)

今の時代は、殆どがグループでの売り出しを行っていることもあってか、
個々人でのキャラというかカラーが感じられなくなってきているように思われますが、
この当時は、選り取り見取りといったところではなかったでしょうか^^



'78年にキャンディーズが解散し、
翌年にはピンク・レディーが日本を離れ、米国での活動を開始。
そして、この'80年には山口百恵さんが引退するなど、
70年代を席巻してきたアイドル達が次々といなくなった事で、
業界的にも新しいモノを求めていた時ではあったのも、タイミング的には良かったのでしょうね。。。


また、この80年デビュー組のアイドル達からは、
ニューミュージックのアーティスト達からの楽曲提供が増えてきたなど、
アイドルの在り方が大きく変化してきた頃でもありました。

そして、この80年デビュー組の活躍によって、
歌番組の需要が増えるなど、業界的にも大きな変化を齎した事も事実でしょう。

そういう意味では、この80年デビュー組は、
まさにエポックメイキングな存在であったのだなぁ、と今改めて感じるわけです。。。





とまぁ、世の中がお盆休みの最中に一人で過ごしていて、
こんなどうでもいい事しか考え付かないのもどうかと思われそうですが…^^;

久々に自分の好きな事を書き倒したかったので、何卒ご了承下さいませ。。。


最後は、記事に挙げた方々の動画祭りで締めさせてもらいます^^♪


ニコ動のコメントがかなり邪魔なので(笑)、右下の「・・・」をクリックして消して下さい。























ニコ動では、柏原よしえとトシちゃんのデビュー曲動画だけ見つからなかった・・・orz






あ~、久しぶりに書き倒した~^^;
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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その22 [80's J-POP]

皆様、お暑ぅございます。

豊満なボディのおかげで、ちょっとした暑さでも堪えてしまう銀狼でございます^^;


まぁ、この程度の暑さで文句言ってたら
道外の方々に思いっきり怒られてしまいそうですが…^^;

ましてや、九州の方では大変な大雨との事…
拙ブログにも九州在住のブロガーの方々によく訪れて頂くのですが、
くれぐれも皆さんが大事に至らぬ事をお祈り申し上げます。。。



さてさて、日付変わって今日は七夕ですね^^

といっても、我が北海道の七夕は8月7日というのが定説なので、
全然七夕ムードなんてないんですが…^^;




そんな暑い最中での七夕となりそうですが、
せめて音楽だけでも涼しげな曲を聴いておきたいなぁと思うわけで。。。

今回はこの方々をピックアップしてみようと思います^^♪




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懐かしいですねぇ~^^

カルロス・トシキ&オメガトライブ(1986オメガトライブ)です。


約1年ほど前に、杉山清貴についても書いたのですが、
80年代が大好きな私的には、夏となると「オメガトライブ」は外せません^^v

杉山清貴の記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-07-30


上記の記事でも書きましたが、
元々オメガトライブは、杉山らが組んでいた「きゅうてぃぱんちょす」というバンドが
メジャーデビューするにあたり、プロデューサー藤田浩一さん(故人)を中心とし、
作曲家・林哲司氏らを擁したプロジェクトとして生まれたものです。

※藤田浩一さんは、元はGSブームの時にギタリストとして活躍しておられましたが、
 後に作詞・作曲・プロデュース業を手掛けるようになり、
 オメガトライブや菊池桃子などが所属していた事務所のオーナーでもありました。


ご存知の通り、「杉山清貴&オメガトライブ」は大ブレイクを果たしますが、
藤田さんと杉山ら数名のメンバー間で徐々に方向性の違いが出てきたため、
'85年の暮れに解散となります。


しかし、「オメガトライブ」というのはバンド名ではなく、
あくまでも藤田さんプロデュースのプロジェクト名とされていたため、
その名を残し、日系ブラジル人のシンガーであるカルロス・トシキとギタリストの黒川氏を迎え、
新たに「1986オメガトライブ」としてデビューを果たしたのです。
(杉山時代からのギタリスト・高島氏とキーボード・西原氏は新生オメガトライブに参加)


その後の活躍は言うまでもないでしょう。
デビュー曲「君は1000%」から始まって、「Super Chance」や「Cosmic Love」などの
ヒット曲を連発します。


杉山清貴は、クールなキャラクターに淀みのない爽やかなハイトーンボイスが売りでしたが、
カルロス・トシキの方は、鼻にかかった透明感のある甘い歌声にベビーフェイスが売りでしたね。
(ちなみに、私は今でもよくふざけてカルロス・トシキの真似をするのですが、
殆どの人に露骨に嫌な顔をされます^^; それでも真似をやめないんですが…^^;)


'88年には、ギタリスト・黒川氏が脱退したのを機に
「1986オメガトライブ」から「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名。
更に、コーラスとして参加してたジョイ・マッコイをヴォーカルとして新加入させます。

そして、その年には、
フジテレビの月9枠で大人気となったドラマ「抱きしめたい!」の主題歌となった
「アクアマリンのままでいて」が大ヒットとなりますが、
新加入のジョイ・マッコイをリードヴォーカルとした次作の「REIKO」から
急激に人気が低下してしまい、'91年3月のライブを最後に2代目オメガトライブも解散となるのです。。。

(カルロスが歌いながらたどたどしいステップを踏むのが、それはそれで良かったのですが、
黒人のマッコイがリードをとった途端、いきなりマイケルっぽいダンスをやり始めて「あれ?何か違う?」って
ドン引きしちゃった人は結構多かったのかも…^^;)



2代目オメガトライブ解散後のカルロス・トシキは、
杉山と同じようにソロデビューを果たしますが、バンド時代のような活躍が出来ずじまいに。
後に病気などにも冒されてしまったようで、母国ブラジルへ帰国。
今では、レストランを経営されたりしているようです^^



私自身は、杉山清貴時代ほどのファンとまではいかなかったのですが、
何せW浅野の「抱きしめたい!」を観まくっていたため、
どうにも「アクアマリンのままでいて」が未だに耳から離れないんです^^;

となれば、貼りつける曲はもう決まり!^^


懐かしい歌声を聴いて、
なんまら暑い夏を少しでも涼しくお過ごし頂ければ幸いです。。。^^





独り言…
①なんか、今日(6日)のアクセス数が異常に多いんだけど、何でだべか?
②どうやら、「なまら」が一部の方々に流行りつつあるらしい…^^;
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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その21 [80's J-POP]

相変わらず疲れが抜けきらない銀狼でございます;^_^A

でも、今日の札幌はそんな疲れを癒してくれるような爽やかな天気に^^

大雨やジメジメした気候に悩まされていらっしゃる方々には、
ちょっと申し訳ない気持ちになってしまいますが。。。



そんな今日この頃の私…

お辞めになると発言をしておきながら、
ますます居座る気満々の菅さんに、なんまらイライラしております<`ヘ´>

それどころか、ここにきて小泉さんの”郵政解散”の如く、
”脱原発解散”なるものを画策しているなんて噂話が聞こえてくる始末…


現状の永田町の様子だけを考えれば解散総選挙もアリかも知れませんが、
3・11から3カ月半が経っても、何も進んでいない事を考えれば解散どころではないでしょうに。

被災地の方々を筆頭に我々国民は、
永田町で戯れている税金泥棒達に弄ばれる筋合いなどないんですが。

ってか、あれだけ泥棒がたくさんいるのに、なんで警察は捕まえないんでしょう?
悪い人を捕まえるのが警察の役割なのでは?




なんて、皮肉を並べたところでどうしようもない事は判ってるんですが…orz

せっかくご来訪頂いた方々には、お目汚ししてしまいまして失礼を致しましたm(__)m





さてさて、気分を変えて本題の方へ。。。

拙ブログ上で、すっかり定番化した80年代J-POPをご紹介するシリーズの第21弾目をお送り致します。

今回ピックアップするアーティスト、実はこのシリーズの当初に一度ご紹介した事があるんです。
でも、その時はまだ私の記事スタイルも確立していないこともあり、中途半端な形でのご紹介でした。

また、それほど著名ではない方でもあったので、深く突っ込んで書いてはいなかったのですが、
ここ最近訪れて頂くようになったカリメロさんの記事にて、取り上げられているのを発見し、
私も改めて書いてみる事に致しました^^




宮原学.jpg


宮原学というアーティストです。


ざっと、彼の略歴を書いてみます。



1967年2月28日 富山県生まれ

1986年6月21日CBSソニー傘下の「FITZBEAT(現キューンレコード)」というレーベルから
「THE FIGHT」でメジャーデビュー。
ソロとして6枚のシングル・5枚のアルバムをリリース。

'90年には元REBECCAの小田原らと「BABY'S BREATH」を結成。
'92年に「BABY'S BREATH」を解散後、再びソロ活動へ。

'93年には、CHARが立ち上げたインディーズレーベル「EDOYA RECORDS」に移籍し、
すぐに単身で渡米(ロサンゼルス)
帰国後、2枚のアルバムを発表。

その後、
EDOYAからコロムビアへ移籍し「ORANGE VOX」を結成→
ソロとしてワーナーと契約などと様々な活動を行うも、
暫しの潜伏期間(色んなアーティストとのセッション活動はあった模様)を経て、
現在では「KISSAMA」というバンド活動とソロ活動を並行して行っております。



特に目立ったビッグヒットがあるわけでもなく、
俗に言う「知る人ぞ知る」的な存在であったのです。


私が彼を知ったのは、デビュー間もない頃。

はっきりとは憶えていないんですが、
深夜帯での音楽番組にて、彼のPVを観て「何だ、コイツは!」と衝撃を受けました。


スタイルは、正統派・王道のロックとでも言うべきでしょうか。

私自身は、それまでそういうスタイルの曲を然程好んで聴いていたわけではないのですが、
なぜか彼の曲を初めて聴いた時に、ズドン!とハートに響いちゃったんですねぇ^^♪


彼の曲の印象を一言で言うなら・・・

「武骨」とか「骨太」って表現が、まさにピッタリといった感じ。



ちょっと日本人離れした感のあるパワフルなヴォーカル。

ハスキーで荒削りな感じの声が、彼の最大の魅力でしょう。


だいたいの曲を自分で作詞・作曲しておりますが、
私的には、彼の曲は詞の世界観よりもメロディーに惹かれる事が多いです。

彼の声質とメロディーラインを感じるだけで、もうお腹いっぱいになるくらいです^^;



シャウトするような、どストレートなナンバーは彼の真骨頂と言えるでしょう^^

ブルージーな感じのナンバーも、彼のハスキーな声質と相まって最高に魅力的です^^



私としては、「なんでこの人が売れないんだろう?」って、不思議に思うほどなんですが…



彼を知った頃、私は大学生だったのですが、
当時の友人と二人して宮原にハマりにハマっていた時がありました。

そして、他の友人にも「コレ、絶対イイから!」と薦めて回っていたのですが、
周囲の反応はあまり芳しくなかったんですよねぇ…orz



しかし、そんな私も彼がソロ活動に一旦終止符を打ち、
前述の「BABY'S BREATH」を結成した辺りで、ちょっと離れてしまいます。

EDOYA移籍後に少し聴いていたのですが、
彼の活動自体も目立たないものとなり、私自身も彼の事を忘れかけた時もありました。



それが何年前だったか忘れてしまいましたが、カラオケに行った際に、
歌本をめくっていると、そこに「宮原学」の表記があったではありませんか!

で、さっそく曲を入れて歌ってみたのですが、周りの人達は「それ、誰の歌?」って雰囲気に^^;

また、それ以来周囲の人に宮原学を薦めるようになったのですが、
なかなか彼の認知度は広まりません…



ちょっと何曲か動画を貼ってみますので、是非聴いてみて下さいませ♪


まずは、私が大好きな「JUST LIKE RAIN」('89年3月1日発売 6thシングル)から




お次は、サントリーの缶ビールのCMソングにもなった「GET READY」('88年4月1日発売 5thシングル)
夜ヒット出演時の映像です(画質悪いですが^^;)







最後は、カリメロさんも貼ってましたが、彼の名曲中の名曲「Without You」を♪





ご覧頂いた通り、ルックスだって結構イイんですがねぇ。。。

なんで売れないんだべか?^^;


あ、今現在の彼はこんな感じです。。。


宮原学02.jpg



私と同学年という事もあるんで、もう結構いい歳ではあるんですが^^;

'86年6月21日デビューという事は、ちょうど25周年を迎えたばかりの”manabie”(彼の愛称です)
これからも男気溢れる歌声を聴かせ続けて欲しいものです。。。
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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その20 [80's J-POP]

今日の札幌の最高気温は、26.8℃だったとか。。。

やっぱり暑いのは苦手だわ~と思った銀狼でございます^^;


北国・札幌からしてみれば、真夏並みの気温なんですが、
やはりまだ6月初旬という事もあってか、ギラギラした暑さってわけではないのは幸い。
北海道らしい爽やかな暑さです^^

こんな爽やかな天気の上に、
我がFsが誇る大エース・ダルビッシュが今日も快投を見せてくれ、
3試合連続完封&44イニング連続無失点を達成!^^

ますますスカッとするわ~^^♪





そんな気分で、今回はまた80年代の音楽ネタでも。。。


先日、深夜の音楽番組を何気なく観ていた時の事。
初めて見る新人アーティストが出ていたのだが(名前忘れちゃった^^;)、
ずっと女性だと思って見ていたら、最後の最後で男だという事を知り、ちょっと驚き(@_@;)
見た目から声まで完全に女性なんだもん^^;

このアーティストを含めて、所謂”中性的”と表現されるアーティストをよく見るようになったが、
その先駆けとも言える人をちょっと思いだしたので、触れてみようかなと。。。




k_nakagawa.jpg


中川勝彦さんというアーティストです。

このブログ上にて、80年代のアーティストを色々とご紹介しているのだが、
訪れて頂く皆さんが「あぁ~、懐かしいっ^^」と思って頂ける事もあれば、
以前ご紹介した松原みきさんやスペクトラム・横山輝一など
ご存知の方とそうでない方が半々くらいって場合も結構多かったりもする^^;

松原みきさん記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-09-03
スペクトラム記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-11-01
横山輝一記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-05-22


今回の中川勝彦さんも、そんな「半々」のうちの一人なのかもしれない。



でも、この人は皆さんもよ~くご存知でしょう^^




しょこたん.jpg

”しょこたん”こと中川翔子ですね^^


そうです。 しょこたんの父親が、この中川勝彦さんなんです。

17年前に、32歳の若さで亡くなられてしまいましたが…
しょこたんが9歳の時だそうです。。。



そんな中川勝彦さん。

早くに亡くなられてしまった事もあって、活動期間は短かったのですが、
前述の”中性的”アーティストとか”ヴィジュアル系”アーティストの奔りと言える存在だったと思います。

見るからに美形といった顔立ちに化粧を施して歌う様や
裏返るような歌声の使い方ってのが、当時では結構衝撃的だった事を憶えております。


しかし、中川さんのデビューはアーティストとしてではなく、最初は俳優としてでした。
彼が慶応大学に進学したばかりの頃、
薬師丸ひろ子主演の映画「ねらわれた学園」('81年)にて初出演を果たし、
その後も「転校生」などの映画に出演し、人気を博すようになります。

そして、'84年にシングル・アルバム同名の「してみたい」を同時発売という形で
満を持してアーティストとしてのデビューを飾るのです。

正直、大ヒットを飛ばす事もなかったのですが、
同時期にデビューした本田恭章と共に”ヴィジュアル系”として人気を二分する活躍を見せます。

この人が本田恭章
y_honda.jpg



本田も同じく俳優からのスタートでありました。

デビュー作である「2年B組仙八先生」にて、常にナイフを隠し持っている生徒という
影のある役柄で知られるようになったせいなのか、
歌番組などでも、あまり口数の多くないキャラクターで売っていたが、
反対に中川さんは、外見とは裏腹に親しみやすい雰囲気を持っていたように思われます。



アーティストしての中川さんは、当時流行していた
ニューウェーブ~ニューロマンティックの流れを汲むような音楽性だったかと。
(当時は、デュラン・デュランやカルチャークラブなどが流行っておりましたよね^^)

ただ、私自身はこうして記事にしてはいるものの、それほど好きにはなれなかった^^;

ニューロマンティックが嫌いなわけではなかったのだが、
やっぱり、あの裏返るような歌い方っちゅうのが、
どうも癇に障る感じがして受け付けなかったんだよなぁ。。。

どっちかっていうと、本田恭章の「0909(ワクワク)させて」の方が好きだったかも。

まぁ、メインターゲット層は明らかに女性だっただろうから、
それほど我々男へのウケは考えていなかったようにも思われます。


こうして、念願のアーティストデビューも果たした中川さんだが、
デビューして1年余りで、出来ちゃった結婚をしてるわけなんですね。
もちろん公にはせずに。

アイドル的な人気を誇っていた中川さんが結婚して子供も出来たなんて事になれば、
当時では大スキャンダルになるだろうし、人気にも大きく影響するわけでしょうから。

だから、一人娘のしょこたんがデビューするまでは、
私も結婚して子供がいたなんて全然知りませんでした。



その後は、俳優業とアーティスト業を並行して行いながら地道に活動。
音楽の方では、Charと「MAJI-MAJIC」というユニットを結成するなど、
アイドルからアーティストへの移行を図っていくのですが、
そんな矢先に「急性骨髄性白血病」の発症が発覚。

入院して闘病している事を誰にも悟られないようにしていたようだが、
退院後に白血病が再発してしまい、ついには還らぬ人になってしまったのです。。。

奥様と一人娘のしょこたんを残して…



そんな中川さんのナンバーから1曲を。

クセのある歌い方や当時としては前衛的なイメージには好みがはっきり分かれる事でしょうが、
今改めて聴いてみても、それほど古さを感じさせないようにも思います。。。





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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その19 [80's J-POP]

日曜日は、すっかりダラけまくってしまった銀狼でございます^^;


先日、我が家の一番上の愚息(中3)が修学旅行に行って参りました。

札幌の中学校の修学旅行といえば、定番なのは青森・十和田観光なのですが、
今年は東日本大震災が起きたこともあって、早々に青森行きが中止に。

で、変更となった行先は…道南ツアー。

函館を始めとして、室蘭やニセコなどを回って、
なぜか最後は、飛行機にも乗らないのに新千歳空港を見学だったそうで。。。
(しかも、ニセコに行ったのに何もレジャー的な事はなかった。ただ泊まっただけ)

親の立場としては「それってどうなのよ?」って内容のルートだったのですが…

3月に震災が起きてしまい、急遽予定を変更せざるを得ないご苦労はあったんだとは思うんだけど、
北海道の人間としては、ちょっとお座成りな行程としか思えない内容。
(今なら、小学校の修学旅行でも、もうちょっと中身が濃いぞ)

他の中学の親御さんの話を聞けば、道東の知床方面に行った学校もあれば、
東京や大阪まで脚を伸ばしたところもあるとか。

まぁ、肝心の子供達が楽しければそれはそれでいいんだけど、
穿った見方をすれば、何となく旅行会社が「やっつけ」で作った行程にしか思えない。

一生に一度の修学旅行なんだからさぁ、
大人の都合だけで物事を考えて欲しくなかったよなぁ。。。




おっと、ついつい愚痴から始まってしまいました^^;

愚痴ばっかり言ってもしょうがないんで、
また好きな曲を聴いて、気分転換を図るとしますか^^♪


今回、ご紹介するアーティストはこの人!




kiichi_yo.jpg


横山輝一


あれ? 知らない方が多い?
ちょっとマニアックだったでしょうか?^^;

それにしても、またしてもネタが古い…orz


ご存知ない方のために、彼の簡単な略歴などを。。。



我が北海道は芦別市出身の横山輝一

1961年生まれとの事なので、今年でちょうど50歳となります。

札幌の某私大在学中に地元ラジオ局にてDJを務め、
その後はCBSソニーのオーディションに合格し、
バンド活動を経た後、1986年にシングル「ブギ―・ウォーキン」でソロデビュー。

しかし、思うようなヒット曲に恵まれず、
1989年に一旦活動休止を宣言し、アメリカに渡りブラックミュージックの吸収をしてくることに。

アメリカでの勉強・充電を経て、1992年に再デビュー。

再活動後は、他のアーティストへの楽曲提供なども行い、
そのうちの一つである、この曲がヒットする。




今をときめくEXILEのリーダー・HIROが所属していた伝説のユニットZOOのヒット曲
「YA-YA-YA」


このヒットで自信をつけたのか、これ以降はセルフプロデュースにも乗り出す事に。

そして、1993年にはこの曲がスマッシュヒットとなり、ブレイクを果たす。






「Lovin' You」

この曲を聴いて「あぁ~、この曲歌ってた人ねぇ!」
って方もいらっしゃるのではないでしょうか?^^

確か、テレビ番組のイメージソングやCMソングなどにも使われた曲のはず。。。

この「Lovin' You」がヒットした後、
「SOMEDAY」「I'm Missin' You」「Limit」など、スマッシュヒットを連発。

また、ライター活動の方でも、
MAXの大ヒット曲「Ride on time」など多くのアーティストへの楽曲提供を行い活躍を見せます。


その後は、目立った活動こそないものの、
現在でも地道でありながらも精力的な音楽活動をされている模様。


彼の曲を聴いて頂ければ判りますが、
80年代後半~90年代初頭に流行した、所謂「ニュージャックスイング(NJS)」の系統。

日本では久保田利伸が先鞭をつける形となり、
その後も色んなアーティストによって、ブームを起こしました。
(私が以前にご紹介した林田健司辺りも、同じ系統ですね)
林田健司の記事:http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2011-03-16



今となっては、古さを感じさせはするものの、
基本的にこういったハネるビートの曲が大好きなんですね、私は^^;

だから、今でも色んな方に「これ誰?」なんて言われながらも
しっかり聴いちゃっております♪
(横山輝一さんやファンの方、スミマセン^^;)


歌はなまら上手いんだけどなぁ~。。。

もうちょっと売れても良かったのに…なんて思ってるのは私だけ?^^;


最後にもう1曲上げちゃいます。

私が一番好きなシングル曲である「Limit」




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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その18<400記事記念> [80's J-POP]

先日、久々に乱れに乱れてしまった銀狼でございます;^_^A

私の勤める会社は、GWは暦通りの休みのため、
2日(月)は出社日だったのですが、昼からは新入社員の歓迎会も兼ねた、
大焼き肉大会というレクレーションが行われました。
(初っ端から、テンションMAXで飲んでいたために、何も写真撮ってません^^;)

社屋1階にある工場横の倉庫にて、焼き肉の準備を行い、
昼12時から飲み会がスタート。

私は、普段なら肉をたらふく頬張っているところなのですが、
この日はとにかく酒・酒・酒のオンパレードでした^^;

ビールを何杯か飲んだ後、
旨そうなシャンパンを発見したため、そちらにスイッチ。

とりあえず私は2本開けまして、ワインにチェンジ。
5L入り容器のものだったのですが、かなり飲んだとしか憶えておりません^^;

しかし、久々の昼酒&ほとんど空きっ腹だったのが良くなかったのか…

とにかく眠気が襲ってきました^^;


で、社屋に戻って一眠り。。。

と思ってたら、何か胸がムカムカする。


やっちゃいましたぁ。。。


ほぼ20年ぶりくらいでリ〇ース^^;;;
(お食事中の方、申し訳ございません)

スッキリしたところで、再び寝たのですが(笑)、
夜6時が過ぎた辺りで、社長から「おい!銀狼!もう1軒行くぞ」とのお達しが…(ノ><)ノ

で、社長馴染みの寿司屋に行って、また飲み直し。

昼のスタートから10時間以上経って、ようやく帰宅。


今度は、頭がガンガンするわけで…^^;


でも、3日朝の目覚めはスッキリ爽快!^^

俺の肝機能もまだまだ捨てたもんじゃない!と自画自賛(苦笑)



そんなGWを過ごしている私 銀狼でありますが、

今回の記事で、400記事目となりました^^

開設当時は、こんなに書くとは思ってもみませんでしたが…

これも、偏にお越し下さる皆様方のおかげでございます。

本当にありがとうございますm(__)m

これからも、教養のかけらもない自己中心的なネタばかりとなりますが、
お付き合い頂ければ幸いに存じます。。。


で、400という区切りを迎えた今回。

いつも以上に、皆さんに苦笑いして頂く内容をお送りしようかなと。。。


ドン引きしても構わない方は、続きをお読みくださいませ~^^;

お付き合い頂ける方はどうぞ~^^;


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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その17 [80's J-POP]

結局、いつも通りのペースで更新している銀狼でございます^^;


皆さま、GWはいかがお過ごしでしょうか?

私は、世の中の経済活動に貢献したいのは山々なのですが、
諸般の事情により、大人しく過ごす予定でおります^^;

ん~、ロトさえ当たってくれれば…ナンチャッテ^^;


そんなGW初日。

私は、日産のディーラーにおりました。

だいたい走行3,000km毎に、相棒のオイル交換と共に簡単な点検を受けているのですが、
先日の点検時にFR外側のドライブシャフトブーツに亀裂が見つかったので、交換することに。

しかし、改めてリフトアップしてみると…

内側のブーツも裂けてるし~(T_T)

まぁ、無理矢理ローダウンさせてるから、接地している状態では常に負担かかるわけだし、
尚且つ今年で12年落ちのクルマということもあるんで、経年劣化的な要素もあるんでしょう。

また、改めて連休明けにに2度目の修理と相成りました。。。

金は飛んでくけど、可愛い相棒のためだからしゃあないかぁ~^^;




さてさて、今回のお題は、またしても80年代J-POPにて。

4月に入って3回目だよ…他にテーマないのか!?^^;

ホントは違う事を書こうと思っていたんですが、
タイミング的にどうしても触れておきたい人が出てきたもので…



2371.jpg

出ました、吉川晃司です!


早いもので、彼がデビューしてもう27年目になるんですね。

そんだけ歳を重ねれば、こんな感じにイイ枯れ具合になってきて…


wararaif05.jpg

わざと銀髪に染めてるのか、それとも白髪になっちゃったのかは定かではありませんが、
とにかくカッコイイオジサンになってます^^

今年で46歳を迎える彼。

私と同年代という事もあり、ずっとデビュー当時から注目しておりました。


彼の歌手デビューのいきさつは、有名な話となっておりますが、
改めて簡単に触れてみましょうか。。。


広島県にて、中学時代から水球選手として名を馳せていた吉川。
オリンピック候補とまで言われた存在だったが、「水球では飯が食えない」とあっさり断念。
水球と並行して活動していた音楽の道へ進むことを決意。

なんでも、きっかけは佐野元春のライブを観に行って、衝撃を受けたことからだそうである。
(そのせいか、デビュー当初はよく「歌い方が元春のパクリ」と言われることもあった)

ただ、黙って広島にいても、そうそうスカウトなんかされないだろうと考えた吉川は、
業界トップであるナベプロに「広島にスゴイ奴がいる!見に来ないと損するぞ!」と
自分で手紙を送り付けるという荒業を^^;

その吉川を見て、ナベプロの社長も「こいつは10年に1人の逸材だ」と感じ、
一大プロジェクトを立ち上げ、吉川をデビューさせる事にした。


あくまでも噂の話だが…
当時のナベプロ社長・渡辺晋氏はプロジェクトの会議の席でこういう主旨の事を言ったそうだ。

『ウチの金庫には、もう3億円の金しか残っていない。この金で何が何でも吉川晃司を売り出す!
ともかく何でもいいから売れる方法を考えろ!』

ん~、スゴイ…^^;
ナベプロとしても、背水の陣である。

「沢田研ニ以来の大型新人」とか「ナベプロのリーサルウェポン」という触れ込みで、
大々的に売り出された吉川晃司。

1984年「モニカ」でデビュー

主演映画「すかんぴんウォーク」の主題歌であったこの曲は、映画と共に大ヒット。

そして、シングル発売から1カ月で1stアルバムを発表。
作家陣には、NOBODY・原田真二・売野雅勇・三浦徳子・佐野元春・大村雅朗など大物をこれでもか!
と起用しまくった気合いの入った1枚となっている。



このようにして、一躍スターダムに登り詰めた吉川。

当時は、聖子・明菜・KYON2からトシちゃん・マッチ・シブがき隊などとアイドル全盛期。
そんな中で一緒にブレイクしたのは、あのチェッカーズ。

吉川とチェッカーズは、
「アイドル」と「アーティスト」の中間を行くような新しいカテゴリーで活躍。

しかし、吉川自身は「アイドル」になる気がさらさらないわけで、
周りからのアイドル的評価を覆したかったのか、出演するテレビ番組やライブなどで突飛な行動の数々を。

番組のセットを壊したり、プールに衣装のまま飛び込んでみたり、
客席に突然ダイブしたり、ステージの緞帳を破いたりetc...

まぁ、何かとお騒がせなことで話題を振りまいていたが、
究極は、'85年に初出場となった紅白歌合戦だろう。

自分の出番が終わっても、ステージに居残りギターを弾き続け水を撒き散らかした揚句、
次の河合奈保子の出番に食いこみ、ついにはギターに火を点けるという行動に!


その時の様子です。。。



これで、NHK出入り禁止になったのは、言うまでもない(苦笑)


でも、このような破天荒キャラが、結構私は好きだったなぁ~^^
なんか「既成のモノに縛られない」ってスタンスには、逆に好感が持てました。


様々な事があれど、快進撃を続けていた吉川だったが、
1989年には、BOΦWY解散後ソロ活動をしていた布袋寅泰と組んだ伝説のユニット「COMPLEX」を結成。

吉川と布袋が組むわけだから、そりゃあ売れるに決まってる^^

しかし、2年であっさり「破局」を迎えることに。。。

その後も、歌に演技にと多岐に渡って活躍を見せているのは、皆さんもご存知の通りでしょう。



吉川の音楽性というのは、彼の行動遍歴でも判る通り、ひたすら直球勝負って感じがする。

デビュー当初は、与えられたモノを自分なりの色でこなしていただけだろうが、
自作の曲が中心となってからも、「攻め」の姿勢を崩さないバリバリの”吉川節”は健在。
(攻めすぎて暴走する事もあるけど…^^;)

彼の中の「ナルシスト」っぷりが、イイ意味で曲に反映していると私は思いますね^^

そして、これもイイ意味でなのだが、「子供」っぽさを失わないでいられるところも魅力の一つだろうか。

「売れる」とか、そういう事をあまり考えないで、
ひたすら「吉川晃司」というアーティストを演じ続けていられるのが素晴らしいと思います^^

アーティスティックを求めながらも、運動会系のノリでドーンといっちゃう。
その自由奔放さをいつまでも失わないでいて欲しいものです^^

まぁ、その辺りが引き金となって、COMPLEX崩壊に至ったんだけどねぇ…;^_^A



そして…そんな吉川がついに動き出したわけですよ!

もうあり得ないと思われていた「COMPLEX」一夜限り(?)の再結成が決まったわけです!


吉川と布袋のコメントを見ていると、積極的だったのは吉川の方だったみたいですね。
布袋は、どちらかと言うと、当初は引き気味だった感じが…

あの震災後、吉川から「何かやろうよ」と持ちかけられても、
布袋は乗らず、吉川がソロでCOMPLEXを歌う流れになりかけたようでしたが、
突然心変わりをして吉川と握手を交わしたそうですね。
(震災前から、吉川はCOMPLEXやりたかったみたいだけど)

やぱり、あのヒムロックの件がきっかけとなったんだろうか。。。

BOΦWY再結成という夢は潰えましたが、
COMPLEX再結成という形で、我々に夢を見させてくれる事になったのは嬉しい限りですね^^♪

COMPLEX.jpg


くっそ~、7月30日かぁ。。。

行きたいんだけどなぁ。。。

誰か、連れてってぇ~;^_^A




デビュー曲「モニカ」のセルフカバーバージョン。
私は、こっちの方が好きだなぁ~^^♪




そして、COMPLEXの名曲「1990」




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おじさんは、やっぱり80年代が好きです…^^; その16 [80's J-POP]

まだ、尾骶骨が痛い銀狼でございます^^;


昨夜の大規模余震から一夜明けて…
皆さまにおかれましては、何事もなかったでしょうか?

私の方にも、多くのブロガーさんからお気遣いの言葉を頂きまして、
本当にありがとうございました。

札幌は震度3との事で、大事に至ることなく済んでおります。

まだ厳しい状況が続くようですが、
被災者の方々が、何とか心折れずに耐えられる事を祈っております。

楽天の星野監督も言っておりましたが、
「頑張ろう」とか「強くなろう」ではなく、
我慢を強いられますが、皆で乗り越えていきましょう。。。




さて、今回の話題に…

「あれ?前回と同じ題名じゃねぇか! 手ぇ抜いてるな、この野郎!」

いえいえ、そんなわけではございません(ノ><)ノ

ただ、前回の記事で大学生時代の話に触れたのですが、
色々と思い出す出来事があったので、そのまま記事にしようと思ったら
お得意の「80's J-POP」シリーズになっちゃったんです^^;



ただ…

こんな時に、ちょっと重たい話から入っちゃうんですがね…




ちょうど四半世紀前の昨日4月8日に、世間を騒がせる事件が起きました。



yukko.jpg


当時、人気絶頂だったアイドル歌手の岡田有希子さんが
自ら命を絶ってしまいました。

享年18歳という若さで。。。


鮮明に憶えていらっしゃる方も多い事でしょう。


伝説のオーディション番組「スター誕生」にてチャンピオンを獲得し、
満を持して'84年に「ファースト・デイト」でデビュー。

所属事務所はサン・ミュージック

事務所の先輩であった松田聖子の後継者として、
猛烈なプッシュもあり、正統派の女性アイドルとして順調なスタートを切った彼女。
(サン・ミュージックの女性アイドル歴を書いた記事:
http://ginrou-enr34.blog.so-net.ne.jp/2010-11-30


デビュー曲を書いたのは、あの竹内まりやさん。

聖子も出ていた菓子メーカーのCMにも抜擢された。

デビュー3曲目にはオリコン10位以内を記録(同時にTBSザ・ベストテンでもランク入り)

年末の賞レースでは、数々の最優秀新人賞を獲得


そして、デビュー3年目の'86年には、聖子の後を追うように、
シングル曲「くちびるNetwork」がカネボウのキャンペーンソングに抜擢され、
自身初のオリコン1位を獲得するまでになったのである。
※ちなみに作詞をしたのは、松田聖子(Seiko名義にて)


しかし、その大ヒットシングル発売から僅か2カ月余りで…


”その出来事”に関して、
掘り下げるつもりもないし、掘り下げたいとも思わない。


ただ、今は

「もう25年経ったんだなぁ…」とか
「今、生きていたらどうなっていただろうなぁ…」
と思うばかりである。


勿論、当時の私はバリバリの聖子ファンであったから(今も変わってないけど^^;)
岡田有希子さんが特に好きだった、というわけではない。

でも、衝撃的な出来事としてあの日の記憶が鮮明に残っている。




他にも、ちょっとした出来事があったんだよなぁ。。。

ここからは、私 銀狼が過ごした1986年4月8日の出来事をドキュメントでお送りします。

(但し、なまらクダラナイ話題に変わりますが…^^;)



当時、大学2年生だった私。

一人暮らしをしたかったのだが、結局親元から地元の大学に通う日々。


そんな25年前の4月8日朝。

目覚めの悪い私を起こしにきた母。
しかし、相も変わらず一向に起きる気配がない私^^;

だが、母が言った一言で私は飛び起きた。

母「ホレ、アンタ起きなさいって!輪島がプロレス入りするんだってさ!」

私「えっ!? マジで!?」

(そんな事で飛び起きるなっちゅうの^^;)


昭和の大横綱として活躍した後、
花籠部屋を引き継ぎ親方業に専念していた輪島大士だったが、
トラブルを引き起こし、相撲界から身を引かざるを得ない事に。
(このトラブル話も、掘り下げません)

そんなお騒がせな輪島が、今度はプロレスラーとなるというのだ。

それも、相撲の現役を退いてから5年が経った38歳という年齢で。


私が尊敬してやまない 故・ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレス入りが決まったとの
記事がスポーツ新聞の1面にデカデカと載っていたのを見て、すっかり目が覚めた^^;


それから大学へ行き、一応講義には出たものの、
「輪島がプロレスに入るんだってよ~!」と与太話に花を咲かせていた私^^;
当時は、周りにプロレスファンが多かった事もあり、輪島の話題でもちきりに。

そうして予定の講義が全て終わると、バイトなどの予定がなかった事もあり、
「よっしゃ、今日は麻雀だな!^^」と勝手に遊ぶ約束をして一旦帰宅。

家に帰ったのは…確か午後3時前だったはず。


茶の間に入った途端、その日仕事が非番だった父が私に一言。

父「お前、岡田有希子って知ってるか?」

私「え?知ってるけど、なした?」
(※「なした?」は北海道弁で「どうした?」の意)

父「飛び降り自殺したらしいぞ」


・・・


私「ウソだべや~!?(驚)」


慌ててテレビを点けると、当時やっていた3時台のワイドショーが始まる頃。

麻雀をやるために、私を迎えにきた友人達も家に上げて、皆でワイドショーを観る事に。


誰も、岡田有希子さんのファンではなかったのだが、
皆一様にショックの表情を浮かべていた。


「おい、どうする? 麻雀やる?」

「おぅ!やるべやるべ!ユッコの弔い合戦だ!」

誰が言ったか忘れたが、何で弔い合戦で麻雀なんだよ…(苦笑)

意味わかんねーし^^;



と思いながら、いきつけの雀荘へ。
(↑ 結局、行くのかよ)


あの衝撃のニュースの後のせいか、いつもとは違う雰囲気での開戦となった。


この日の私は…

非常に波があった。

ドツボにハマるほど大負けした半荘もあれば、バカ勝ちするほどの半荘もあった。

そんな状況で、私に奇跡が起きる。



役満あがっちゃった!

それも、滅多に出来ない「字一色(ツーイーソー)」という役である。
(※字牌ばかりで作る役 麻雀判んない方、スミマセン^^;)

更にその後、またしても私が役満を!

今度は「国士無双」という役である。
(※字牌と数字の一・九を一個ずつで作る役 これも判んないですよね^^;)


人生初の1日2回の役満アガリとは。。。


とんでもない出来事に、皆大騒ぎになった\(◎o◎)/!


この頃は、年末1日だけしか麻雀をしなくなってしまったのだが、
1日2回の役満なんて、これっきり巡り合わない。


朝は輪島で騒ぎ、

夕方からは、岡田有希子さんで騒ぎ、

夜は、役満で騒いだ。



あぁ、なんと暇な学生だったんだろう…;^_^A


岡田有希子さんの命日になると、
必ずこの日一日の事を思い出す私でありました。。。



こうして改めて記事にしてみると…



なんか、どうでもいい事ばっかですね;^_^A



わざわざお越し頂いた方々には、お目汚ししてしまい申し訳ございませんm(__)m



最後に、岡田有希子さんを偲んで、
最大のヒット曲「くちびるNetwork」を。。。。




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